コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「えーっと。会長?」
生徒会室で本棚に向かい合っている右京を、結城が覗き込んだ。
「何調べてんの?」
屈んで右京が持っている本を見上げた。
「―――え。国語辞書…?今さら日本語のお勉強?」
右京が口を開けたまま瞬きを繰り返している結城を見下ろす。
「―――じゃあ、お前は全ての日本語を理解してんのか。未来の新聞記者さん?」
「えっと…それは―――」
右京は言葉に詰まる結城をとんと押しながらチョークを取ると、黒板に何かを書き始めた。
「げ」
先ほどから長机の上で、各クラスから上がってきた「宮丘ミスターコンテスト」の選抜メンバーを一覧にしていた清野が、低い声で呻いた。
「会長。まずいです。事件が起きました」
「……事件は生徒会室で起きてるんじゃない。現場で起きてるんだ…!」
右京がふざけながら振り返ると、清野はずり下がった眼鏡を直しながら、こちらを見上げた。
「イケメンコンテスト、3年5組の選抜―――。永月君と会長です」
「……はあ?」
右京の目が大きく開く。
「イケメン―――?」
結城が慌てて辞書を捲りだす。
「会長!どうしよう!イケメンっていう言葉が載ってない…!このままじゃ俺、イケメンの概念が理解できないよ……!」
「おい……」
「永月君がわかりすぎるだけに、この対比が……」
清野が眼鏡の縁を指で摘まみ、わざと震わせる。
「お前ら―――」
「右京君は可愛い系だよねえ?」
加恵まで苦笑している。
「――お前ら、いい加減にしろよ……」
右京のかわりに諏訪が生徒会のメンバーを睨む。
「失礼な奴らだな。右京に謝れよ」
「諏訪……」
その言葉に右京は驚いて諏訪を見上げる。
「そのコンテストは“イケメン”コンテストじゃねえ。”ミスター宮丘コンテスト”だ。男なら誰を選んでもいいのだ。はき違えるな!」
「おいこら……」
右京が睨み上げ、
「なるほど」
結城が手をパチンと叩く。
「―――そ、そうでしたね」
清野が肩を震わせ笑いを堪えながら俯く。
「そんな諏訪君も、3年6組の選抜組です…!!」
「――――!」
「…………」
諏訪と右京が同時に清野を振り返る。
「まあ、男だしな?」
右京が息を吐くと、
「違いがわかる奴らなんだよな、うちのクラスって」
諏訪は短い前髪を手櫛でとかしながら目を瞑った。
「まあ、これだけは言えますが…」
清野が眼鏡をずり上げながら言う。
「ダントツの1位がいると、以下の票がばらけ、最終的に少数でも奇跡の2位を獲得するってことですね」
「ああ?」
右京が睨むが、清野は構わず続けた。
「3年5組は、永月君が22票で堂々の1位。一方2位の会長はーーー4票……」
「4票…?!」
眉間に皺を寄せる右京の肩を諏訪が笑いながら叩く。
「すごいじゃないか…!4票も!モテ期だな、右京!」
「ちなみにー」
清野が声を張り上げる。
「6組の諏訪君は接戦の末、3票で2位…」
右京が深刻そうな顔をして諏訪を見上げる。
「―――それって。お前の他には2票しか入れてねえってことじゃねえか!」
「自分になんて入れてねーわ!」
すかさずその頭を諏訪が叩いた。
「え、じゃあ1位は?」
加恵が清野の手元を覗き込む。
「―――あ。蜂谷君かぁ」
その名前に右京が一瞬体をぴくりと痙攣させた。
「そう。蜂谷が28票で堂々の1位。いつの間にそんなに人気になったんですかね?」
清野が首を捻る。
「はっ」
諏訪が笑う。
「後輩に人気のある蜂谷を持ち上げて、クラスからミヤコンの1位を出そうとしてんだろ、どうせ」
「―――それなのに自分に入れるとは……。泣かせる奴だなあ、諏訪―!」
結城が諏訪の肩に手を置き、目を手で覆う。
「だから違うって!!」
皆は笑ったが、隣に立っていた右京だけは笑っていなかった。
彼はまた窓に寄りかかると、ボールを蹴るサッカー部をぼーっと眺めていた。
◇◇◇◇◇
「じゃあ俺、清野が作ってくれた名簿をもとに、MYO44のポスター作ってくる!」
「ポスター?」
「顔写真付きのポスターだよ!盛り上げるぞー!」
言いながら結城が生徒会室を飛び出していく。
「彼は何か思い違いをしてるようですね…」
清野が呆れながら立ち上がる。
「某アイドルのファン投票と勘違いしてるんじゃないのかな」
言いながらバッグを手繰り寄せる。
「じゃあ俺は、選抜総選挙のためのパンフレット作るのでお先します」
言いながら眼鏡を直すと、そそくさと生徒会室を後にした。
「パンフレットって…。どっちが勘違いしてんだか…」
諏訪が呆れてその後ろ姿を見送ると、加恵も立ち上がった。
「ーー私は、右京君に入れるよ」
「え」
外を眺めていた右京が振り返る。
「当然でしょ。私は宮丘学園で一番誇れるのは、右京君だと思ってるから」
加恵の白く柔らかい手が、右京の頭に触れる。
「……転校したばかりなのに生徒会長に立候補して、ここまで学園を、生徒を、私たちを、よく引っ張ってきました。はなまる!」
言いながらその手が右京の髪の毛を撫でる。
「………藤崎」
ーーー懐かしい匂いがした。
この視線。
この声。
この言葉。
そして、この手―――。
「……母ちゃんかよ……」
右京は目を伏せて、ふっと笑った。
「これからも右京君には、自分の直感を信じて生きていってほしいな」
加恵は微笑みながら手を下ろすと、ふうっと息を吐いた。
「じゃ、私も帰るね。お疲れ様」
言いながら加恵はバッグを引き寄せると、スタスタとゆっくり生徒会室を後にした。
「――――」
「…………」
「――――」
「……俺もコンテスト出るのに」
諏訪の言葉に右京はぷはっと吹き出した。
2人並んで窓枠に肘をかけ、グラウンドを見下ろす。
「―――お前さ」
諏訪が話し出した。
「お前、この間言ってたこと本当か?」
「なんだよ、この間って」
「だから。永月のことだよ」
言いながら諏訪が右京の顔を覗き込んでくる。
「ーー本当に付き合ってんのか?」
「――――」
右京はグラウンドの中心で、軽いフットワークで駆け抜けていく永月を見下ろした。
「ああ、多分……?」
「なんだ、多分って」
あの日から、永月の誘いをなんだかんだで断っている。
永月自身も連日サッカーの練習があるし、自分も現にミヤコンの運営で忙しいのもあるので特に怪しまれてはいないようだが、それでもこのままというわけにもいかない。
でも、今の状態で会って、この間のような行為をする気にはとてもなれなかった。
ーーーなぜだろう。
あんなに恋焦がれてきた相手とやっと結ばれたはずのに。
ポン。
「――――」
右京は視線を上げた。
そこには傾きかけた夏の日を浴びた諏訪が微笑んでいた。
「―――俺は犬じゃないんだよ」
右京は諏訪を軽く睨んだ。
「藤崎といい、お前といい、17歳の男を気安く撫でるなよ」
「―――ふっ」
諏訪は笑いながらそれでも右京の頭をガシガシと撫でた。
「……っ!お前!!」
「みんなお前のことが可愛くて仕方ないんだよ!」
言いながら笑っている。
「はあ?」
「健気で、一生懸命で、純粋で、ちょっと抜けてて、でも勉強も生徒会も頑張ってるお前のこと、みんな尊敬してる」
「な、何だよ……急にっ!!」
急に褒め出した諏訪に、嫌でも顔が赤く火照る。
「―――尊敬してるような態度じゃなかったけどなっ!」
つい目を逸らすと、諏訪はもっと笑った。
「尊敬してるって。イケメンだとは納得できないだけで!」
「お前―――。その言葉そのままお前に返してやるよ…!」
右京も口の端を上げて笑ったところで、諏訪はやっと手を離した。
「だからさ」
言いながら窓枠に再び肘をつく。
「悩んでるくらいなら、やめちまえよ」
「―――え?」
右京は、夏だというのに、部活が終了したからか少しずつ白くなってきたその横顔を見つめた。
「お前の中で疑問符が出てるなら、とりあえずやめておけ。藤崎も言ってただろ。お前の直感を信じろって」
「――――」
右京は振り返って、先ほど加恵が閉めたドアを見つめた。
「ちゃんと答えが出てからでもいいんじゃないのか?」
「……………」
右京は再び視線をグラウンドに戻し、ゴールを決めた永月の笑顔を見つめた。
「―――蜂谷。明日から来るって」
諏訪が言った。
―――こいつ、このタイミングでそれを言う?
右京は諏訪を無表情のままの諏訪を見上げた。
―――実のとこ、どこまで知ってんのかな…。
空恐ろしくなりながら視線を落とすと、長机の上には、先ほど結城に渡した国語辞書が置きっぱなしだった。
「あいつ。ちゃんとしまえよ……」
言いながらそれを手に取る。
「…………直感、ね」
右京は顔を上げると、黒板に書かれたままの”已己巳己”を見つめ、小さくため息をついた。
◆◆◆◆◆
「蜂谷君、お昼ご飯よ」
「――――」
蜂谷は、個室のベッドの上で、この1週間ですっかり耳に慣れた看護師長の声で目を覚ました。
「―――また寝てたの?若いのに、よく寝るわねー」
言いながら彼女はサイドテーブルを差し込み、リモコンを使ってベッドを起こした。
「若いから、よく寝るんですよ。師長さん」
言いながら目を擦る。
「もう頬は痛くない?」
入院した時こそ、ひどい腫れのせいで眼球が圧迫され二重に見えた視界は、今や痛みもなければ腫れてもいなかった。
「そうですね。全く」
「やっぱり若いのね。回復が早い」
言いながら盆をサイドテーブルに置き終わると、彼女は蜂谷を覗き込んだ。
「でも、ここはそうはいかないわよ。完全に骨がくっつくまで、若くても2ヶ月は覚悟しなさい」
腹をぐりぐりと拳で触ってくる。
「痛いって。師長さん…」
蜂谷は腹を抑えながら、テーブルの上を眺めた。
今日のメニューは冷やし中華とスイカ、それにヨーグルトだ。
「これが最後の晩餐ね。晩餐じゃなくて昼餐かしら?」
言いながら、生きていたら母も同じくらいの年代だったろう師長はニコッと笑った。
「最後にしては味気ないけどね」
笑う師長に蜂谷も微笑んだ。
「冷やし中華、好きですよ。サバの味噌煮や、鳥つくねの煮物よりなんかは、人間の食べ物って感じがします」
言うと、師長がその頬を指で突こうとする。
「生意気―」
蜂谷は笑いながら、その指を避けつつ、視線を窓の方に移した。
今日でちょうど入院してから1週間が経つ。
意識が戻った際、目の前に多川の顔があった瞬間は人生が終わったと思ったが、彼はニヤニヤと蜂谷を見下ろしただけで、そのまま取り巻きを連れて病室を出て行ってしまった。
何も聞かれないのは不気味だったが、面識のない“赤い悪魔”のことを聞かれても困るし、触れられたくない右京のことを聞かれても困る。
何も言わずに去ってくれたことは有り難かった。
「今日ね、晴れてるけど、からっとしていて気持ちいいのよ」
師長も隣に並んで窓の外を見た。
「退院日和ね」
「―――そう、ですね」
蜂谷はあいまいに頷いた。
―――あいつは。
右京は、今、何を思っているのだろうか。
黒幕は消えたと大手を振って永月と楽しく過ごしているのだろうか。
あいつの好きなように抱かれているのだろうか。
本当の目的もわからないまま―――。
「……勝手にしろ」
呟いた言葉は青い空に吸い込まれ、師長には聞こえないようだった。
「―――圭人」
病室に低い声が響き渡る。
意図せずとも身体がびくんと跳ねた。
蜂谷は振り返った。
そこには夏なのにスリーピースのスーツを着こなした男性が立っていた。
「心配したよ、圭人。歩道橋の階段で足を滑らせたんだって?」
言いながら部屋の中に入ってくる。
リーガルの靴がカツンカツンと高い音を立てた。
「師長さん、お世話になりました」
「あ、いえ。ちゃんと安静にしておりこうにしてましたよ」
師長が緊張でいくらかこわばった表情で答えると、男はこちらを見下ろした。
「本当だろうな?圭人」
笑いながら昼食を載せたままのサイドテーブルをぐいと引き抜く。
「あ、まだ昼食が……」
言いかけた師長を無視して背中を向けると、男は蜂谷を覗き込んだ。
「行こう。快気祝いだ。美味い寿司でも食わせてやる」
「――――」
蜂谷は、1週間、かいがいしく世話を焼いてくれた師長の顔をちらりと見たが、やがて男に視線を戻すと、
「……ありがとう。父さん!」
屈託のない笑顔を浮かべ頷いた。