ーーー身体に力が入らない。
痺れた顎も、四肢も。
怠い。重い。熱い。
「ーーほら見ろ、やっぱりお前は弱いだろ」
声が降ってくる。
「お前が、プラカードば持ってたとしても、7人の男たちを蹴散らすなんて、おかしいと思ってたんだ」
―――何の話をしている?
プラカード?文化祭か?
「あれも全部、お前が仕組んだことだったんだな?」
―――はあ?ふざけんな…。
「永月が言った通りだ」
右京はため息をついた。
「生徒会長である俺が、お前の思うままに動いたら便利だと思ったんが?」
右京が蜂谷の赤い髪を引っ張り上げる。
ーーー誰だ。こいつは……。本当に右京か?
「―――何とか言えや」
いつもの櫛でといたばかりのような綺麗な直毛は乱れ、ネクタイを緩めて外したボタンからは鎖骨が覗いていた。
「………見くびるなよ」
掠れる声で、傷む喉で、やっとのことで言葉を発する。
「見くびるな、だあ?」
右京が口の端を引き上げて笑う。
「お前、よくそだんなりで言えたもんだな?」
言いながら蜂谷の髪の毛を引き上げたまましゃがみこみ、膝に頬杖を突く。
「――――」
普段の右京から想像もできないほど残酷な表情。
低い声。
悪寒が走るほど冷たい笑顔。
「……見くびるなってのは、俺じゃなくて―――。あんたのことだよ」
「―――は?」
右京が眉を顰める。
「―――もし、そうだとして。俺が、全て仕組んだとして。助けてお前に恩を売ったとして―――」
蜂谷は右京を睨んだ。
「お前が俺の思い通りになるようなかわいい奴じゃないことは、俺が一番よく知ってる」
「――――」
右京は2つの瞳で蜂谷を見つめた。
「お前は誰かに止められたり、押さえられたり、流されたりしない。いつも自分が正しいって思うことしかしないだろうが……!」
蜂谷はその大きな目を睨み続けた。
「ーーーだから俺は、お前に興味をもったんだ」
よくも考えずに発した自分の言葉が、腑に落ちていく。
「ーーーお前に、本当の意味で求められてみたくて……」
「――――」
右京はぱっと蜂谷の頭を離した。
「―――ぐッ!」
負傷した顎から落下した蜂谷は、痛みに顔をゆがめた。
「適当なことば言ってんなよ…!一歩間違えば俺の脚は動かねぐなってたんだぞ!」
肩を蹴り上げられ、蜂谷は仰向けに転がった。
「お前、もうしゃべるな!全部嘘にしか聞こえん!」
「――――っ!」
そのまま喉を踏まれる。
「嘘つく奴が虫酸が走るほど嫌いなんだよ…!そろそろ俺の前から消えろ……!」
「…………ッ」
足に力がかかる。
ダメだ。
彼を信じさせる力が―――。
その根拠が――――。
自分にはない。
「……いいよ……」
蜂谷は呼吸を止めたまま唇を動かした。
「別に、殺しても……」
右京の刺すような目がこちらを見下ろしている。
「どうせ―――死のうと思ってた。それは……」
傍らに落ちているノートを指差す。
「その準備ーーー」
「―――!」
右京の目が見開かれる。
「だから、別にいい……。今でも……」
「お前!いい加減にしろよ!」
右京は部屋が割れるような怒号を放った。
蜂谷の肩を踏みつける。
代わりに喉を解放されたことで、肺が無意識に空気を取り込み、その量に蜂谷はむせかえりながらえずいた。
「また俺を騙そうとすんな!!」
蜂谷はえずきながら、涙目で右京を見上げた。
「思ってねえよ。でも―――」
その手で右京の細い足首を掴む。
「……お前…!離せ……!」
「迷路で勝ったのは……俺だ……!」
右京の眉間に皺が寄る。
「何でも言うこと聞くんだろ…。約束は守れよ、会長…」
「ああ?この期に及んでまだそんなことを……」
「許さなくていい…。殺したっていい…」
蜂谷は割れる声で言った。
「俺のこと、信じなくたっていい……!」
そして乱れた赤い前髪の間から、右京を睨んだ。
「―――でもあいつは、ダメだ」
「あいつ?」
右京が戸惑った顔でこちらを見下ろしている。
「永月だよ。あいつだけは、ダメだ――!」
「お前、何言って……」
「あいつは違う。お前が思ってるような奴じゃない。本当は気づいてるんだろ……?」
「…………」
右京の瞳に、一瞬だが迷いが生じる。
ーーー今だ。
言わなきゃ。
黒い封筒のこと。
響子のこと。
全部、こいつに―――。
しかし、意に反して意識は遠のいていく。
痛みのせいか。
それとも頭に何度も打撃を受けたからか。
呼吸ができなかったからか。
自分を見下ろす大きな目を見上げる。。
ーーーバーカ。早く目を覚ませ。
声にならない言葉を発し、口の端を吊り上げる。
ーーーああ。そうか。やっとわかった。
蜂谷は目を閉じた。
こいつを……
手に入れたかったんじゃない。
崩してやりたかったんじゃない。
俺は、こいつを―――。
守って……やりたかったんだ。
たった一度助けられたことに浮かれ、
単純にその男に恋をして、
引っ越してきて、転校までして、その上、生徒会長にまでなったこの馬鹿な男を―――。
ただーーー
守ってやりたかった。
◆◆◆◆◆
尾沢は教えられた部屋番号のドアを開けた。
「ーーーー!」
足元には顔を腫らした蜂谷が、額に汗を浮かべ、苦しそうに呼吸を繰り返していた。
「………遅かったな」
壁に寄りかかるようにして膝を抱え座っていた生徒会長は、こちらを見上げると面倒くさそうに立ち上がった。
「てめえ……本当に右京か……?」
乱れた髪とだらしない服装のいつもとあまりにもかけ離れた様子の右京に、尾沢は確認せずにはいられなかった。
「……悪いけど。こいつ病院に連れてって」
言いながら傍らに落ちていた黒いリングノートを拾うと、右京は脇を通り抜けようとした。
「―――おい!」
その胸倉を捻りあげる。
「てめえ!こんなことして、ただで済むと思ってんのかよ…?」
息がかかるほどに顔を寄せ、睨み落とす。
「どんな手を使ったかは知らねえけど、汚い真似したがって。俺らの後ろには多川さんって人がいるんだぞ…!てめえの両親ごと袋にしてやろうか!?」
右京の大きな目が感情の籠らないままこちらを見上げる。
「―――やれるもんなら、やってみろ」
言葉とは裏腹に明らかに覇気がない口調でそう言うと、右京は軽く左右にぶれながら、ホテルの部屋を後にした。
「……蜂谷!!」
尾沢は蜂谷に駆け寄った。
頬は腫れ上がり、鼻血が首元までこびりついている。
意識は、ないーーー。
「ーーーーっ」
本当にあいつがやったのだろうか。
右京が、一人で?まさか。
しかし今は考えている場合じゃない…!
「電話……!」
震える手でズボンのポケットから携帯電話を取り出す。
でも誰にかければいい?
蜂谷の親はダメだ。詳しくは聞いたことがないが、相当仲が悪いらしい。
救急車?それもダメだ。あまり大げさに騒ぎ立てると、警察が介入してくる。
「ーーどうすればいいんだよ……」
尾沢は頭をガシガシと掻いた。
「―――あ」
慌てて電話帳を開き、番号を探す。
【 多川さん 】
幾多の修羅場を乗り切っているこの人ならーー。
仲間を引きつれ、蜂谷を運んでくれるかもしれない。
騒ぎ立てず治療だけしてくれる病院を紹介してくれるかもしれない。
とりあえず今はーーー。
他に頼れる人がいない…!
尾沢は通話ボタンを押すと、それを耳に押し当てた。
ーーーーーーーーーーー
「―――左の第5および第6肋骨骨折」
ーーーここはどこだ……?
「左上顎骨にヒビ」
男の声、消毒の匂い。
「その他、全身に打撲」
それにきつい煙草の匂いが混ざる。
「はは。蜂谷。熊にでも襲われたか?」
瞼を開けると、腫れ上がった頬のせいか、左右でずれた視界の中で、2人の多川が楽しそうにこちらを見下ろしていた。
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