翌日。
担任の吉岡先生に進路希望調査を提出した時、吉岡先生はじっと紙を見つめた後、「またか」というふうにため息をついた。そういう反応は、やめてほしい。どうせ、2者面談で何か言われるんだから。今そんな反応をしなくたっていいじゃないか。俯きながらそんなことを考える。
「なあ、相澤…。もう少し時間をやるから。考えてみたらどうだ。」
先生の言葉に、僕は何も返さなかった。ただ、下を向いて。この嫌な時間が過ぎるのを待った。
「…もういい、席につけ」
恥ずかしかった。
静かに席に着く僕に、クラスメイトの視線が集まっていることが分かる。この視線が、何よりも気持ち悪かった。
その時だった。
「えぇっ!?」
吉岡先生の声に、クラスメイトの視線は僕から先生へとうつされた。同様、僕も何事かと思い先生の方を見る。ちょうど、駿が進路希望調査を提出しているところだった。
「市川、お前…。い、行かないのか?」
先生が信じられないというふうに訊く。
「おん。行きませーん」
駿の間抜けな声に、クラスメイトはどっと笑いだした。
「駿、まじかよー!」「なんでなんでぇ?」「駿は絶対いくと思ったのに」「勿体なくね?」
駿と仲が良い友人たちが、一斉に駿に質問しだす。駿は困ったなあというふうに笑いながら、頭を掻いた。慌てて吉岡先生が、
「いや、すまん。つい反応しちまった…。2者面談でまた話そう。すまんな」
と、手を合わせながら言った。駿は笑いながら「うっす」と言い、自分の席へ戻った。
…駿、本当に大学へ行かないんだ。
本当に「面倒くさい」という理由で行かないのだろうか。だって、あんなに勉強していたのに。あんなにいい点数をとっていたのに。バイトでお金を稼ぎながらも、部活、生徒会に入ったりしていたのに。おちゃらけキャラとは裏腹に、努力する彼を散々見てきた僕は、余計に分からなくなった。
それなら…そんなに頑張った意味が無いじゃないか。
僕は隣の席の彼を、こっそりと見た。
…目が、死んでいるように、見えた。
どこを見ているのか、分からない。ただ、まっすぐ、何かをまっすぐ見ていた。その視線の先が黒板なのか、先生なのか、張り紙なのか、分からない。
彼の目には、光が宿っていなかった。そのせいで、なんだか不気味に感じてしまう。
その時だった。
視線を感じたのだろうか。
彼の黒い瞳がぎょろりと動いて、僕と目が合った。顔は正面を向いたまま、瞳だけを動かして、彼は僕の方を見た。
どうしてか、「やばい」と思った僕は、駿から視線を逸らして下を向いた。心臓はばくばくと脈を打っていた。彼と目が合って、これほどまで緊張感を覚えたのは、初めてだった。初めて、彼に、「不気味さ」を感じてしまった。
それからすこしの間、駿のほうから視線を感じていたが、しばらくすると、彼は「先生、トイレ行ってきまーす」といって、立ち上がった。
僕のすぐ前にある扉がガラッと開いて、駿が出ていくのを、視線の端で捉えた。けど、しっかりと駿のほうを見ることは、できなかった。
なぜ、このタイミングでトイレに行ったんだろう。
どうして、駿の目は、あんなふうに暗くなっていたのだろう。
どうして、僕は、彼にあんな感情を抱いてしまったのだろう。
…もしかして、彼は、僕の感情に気がついたのだろうか。
それで、悲しくなって。
涙が溢れそうになって。
トイレに、逃げたのだろうか。
気がついたら僕は、「僕もトイレに行ってきます!」といって教室を飛び出していた。先生が僕の名前を呼ぶ声が聞こえたが、それを振り切って、トイレへと駆け込んだ。
駿の姿は、なかった。
「駿っ!」
僕は、鍵のかかった個室に向かって駿の名前を叫んだ。
絶対に、ここにいる気がしたから。
すると、「…透真か?」と、聞きなれた声が、トイレの個室の中からかえってきた。
やっぱり、いたんだ。
「どうした?お前も腹痛かぁ?」
いつもの、駿の声が聞こえた。
からかうような、すこし笑いの混じった声。
けれどその声は、微かに震えていた。
「駿、泣いてるの?」
少しの沈黙が走った後、彼は
「泣いてない」
と答えた。
「僕のせい?僕のせいで、泣いてるの?」
泣いてない、と、彼は言ったのに、僕はおかしな質問をした。
だって…駿は泣いていたのだと、そう分かるから。なぜかは分からない。でも、分かる。 彼が1人、ここで泣いていたことを。
僕が独りだったとき、駿は僕に光をくれた。
駿に光が宿らないのなら、今度は僕が駿を助けたい。
そう思い、もう一度、彼に声をかけようとした時だった。
ガチャリと個室の鍵が外れ、駿が出てきた。
「駿…!」
駿の目の周りが、すこし赤くなっていたのを、僕はしっかりと目で捉えた。
「駿、あの、僕…」
「ばかだなあ、透真は。泣いてないって言ってるだろー」
「え…」
彼は笑った。
中身のない、笑顔で。
「俺が泣くわけないだろっ!さ、戻ろーぜ」
駿は振り返らずに、僕を置いてトイレを出た。
…僕は、なにか間違ったことを言ってしまったのだろうか。
うざかったのだろうか。泣いていると、決めつけられて。
ほっといて欲しかったのだろうか。
そう考えていた、その時だった。
「…ありがとな、透真。来てくれて、嬉しかったよ」
扉の向こうで、駿が言った。
その時初めて、つめたくなった心が一気にあたたまるのを感じた。
当たり前だよ、駿。君の、親友なんだから。僕は心の中で応えた。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!