「わ。学校なつかしー」
エプロンを脱いだ女は、肩が大きく開いた黒いニットに、タイトなジーンズ姿で、明らかに校内をうろつくには浮いていた。
案の定、何事かと女子生徒を中心に在校生が集まってくる。
「おい、あんまり目立つなよ」
「目立ちたくて目立ってるわけじゃないけどお?」
つけまつげを装着し、アイラインを引いたことで、やっと見れる程度になった女は、どこか得意気に微笑んだ。
廊下に彼女が脱ごうとしなかったミュールの音がコツンコツンと響き渡る。
「ねえ、あれ本当に蜂谷先輩の彼女?」
「大人じゃん」
「えー、ショックぅ!」
あまり長い時間こんな女を連れてていたら否が応でも目立つ。
手短に済ませなければ―――。
蜂谷はざっと見える範囲で1階を見回した。
「おい…。蜂谷……」
振り返るとそこには……諏訪が立っていた。
「誰だ、その女は。部外者が許可なく学校内に入ることは禁じられている」
諏訪は蜂谷と女を交互に睨みながら言った。
「おいおい、ご挨拶だな」
蜂谷はふっと笑った。
「姉だよ。地方に嫁に行くんで、その前に俺の高校みたいって言ったから連れてきたんだ」
「お姉―――さん?」
諏訪が訝し気に首を傾げる。
似ているかどうか比べているのだろう視線が、蜂谷と女を往復する。
こんな厚い化粧を施していれば似てるもクソもないだろうが―――。
「だとしても校内は、特別な用事がない以上、立ち入りには許可が必要です」
女に向けて言うと、
「わかったわよ、めんどくさ」
女が言い、蜂谷は思わず吹き出した。
諏訪は二人が笑い終わるのを待ってから、蜂谷を睨んだ。
「そっくりだ」
「はは、そりゃどうも」
脇を抜けていこうとすると―――。
「お姉さん」
諏訪が低い声で言った。
慌てて振り返った女が、180㎝はある諏訪を見上げる。
「弟さんの髪色は校則違反です。地方に嫁に行くなら、ちゃんと更生させてから行って下さいね」
「ぷはっ!」
その言葉に再び笑った女は、手をヒラヒラ振りながら「はいはーい」と言った。
部室棟に続く通路は、蜂谷の“彼女”を見ようと野次馬で埋まっていた。仕方なくそこを通過し階段に足をかける。
と、そこでまた声をかけられた。
「おい」
「―――ったくしつこいな。何だよ、諏訪―――」
振り返るとそこには、諏訪ではなく、右京が立っていた。
◇◇◇◇◇
「なに?会長さん」
言いながら階段にかけた足を戻す。
「なに?じゃない。お前今日、文化祭の衣装合わせだっただろ。6組のやつら、みんなお前のこと待ってたんだぞ」
そういえばそんなこと言われたかもしれない。
「ごめんごめん、用事があったんだよ」
言いながら女の肩を叩く。
「姉が地方に嫁に行っちゃうんで、その前に学校を案内――――」
「嘘を言うな」
右京は顔を1ミリも動かさずに行った。
「お前の家族構成は調べてある。両親と弟が一人。姉なんかいない」
「――――」
「あらら」
女が楽しそうにこちらを見上げる。
「―――なんだ。バレてたのか…」
蜂谷は肩に置いた手をぐいと引き寄せた。
「じゃあ、野暮なこと聞くなよ…」
その途端、見守っていた野次馬たちから悲鳴が上がった。
「きゃーっ!」
「ちょっとおおお!」
「刺激的~!」
「……………」
その中、右京だけは黙ってこちらを睨んでいる。
「部外者は立ち入り禁止でしょ。わかったって。ちょっとだけ校内見せたら帰すからさ」
蜂谷は言いながら踵を返すと、手を女の腰に回した。
「アンッ」
女が文具店の店員とは思えない艶っぽい声を出すと、また野次馬から悲痛な声が聞こえてくる。
蜂谷は振り返らずに階段を上がっていった。
今は右京に構っている暇はない。
それどころか当事者である右京がそばをうろついていたんじゃ邪魔でしょうがない。
―――この女にどうしても見つけさせるんだ。
その男を―――。
校内を軽く一周し、3年5組や6組、ついでに生徒会室のメンバーも見せた。
と昇降口のところに、数人のジャージ姿の男たちがいた。
―――サッカー部……。
蜂谷は輪の中心にいる永月の姿を見つけると、手を上げて声をかけた。
「おーい、永月!」
蜂谷に話しかけられたのがよっぽど意外なのか、永月は大きく目を見開いて蜂谷を見た。
「悪かったな。今日の文化祭の準備、付き合えなくて」
言いながら近づく。
女も永月を見つめながらついてくる。
「いや。俺は別に。女子たちが困ってたけど」
言いながら永月は蜂谷と女を見比べるように視線を往復させたが、やがて焦点を蜂谷に合わせた。
「やっぱり、同じくらいだね。俺と蜂谷」
「は?」
「身長」
言いながら手で自分と蜂谷の頭を比べる。
「俺、衣装Lでちょうどよかったから、蜂谷もたぶんそうだと思うって言っといた。構わないだろ?」
「……すげー」
サッカー部の後輩が囁きあう。
「部長、あの蜂谷先輩と同等に話してるよ…」
「さすが部長…」
その言葉に唾を吐きそうになるのを堪えながら、蜂谷は手を上げた。
「さんきゅーな。じゃあ」
言いながら女の肩にまた腕をかけると、昇降口を抜けた。
「どうだった……?」
低い声でつぶやく。
「どうって?」
女が楽しそうにこちらを見上げる。
「だから―――」
「蜂谷」
視線を上げると、そこには尾沢が立っていた。
「なんだよ。さすがにてめえに用はないんだけど」
言うとわけがわからないという顔で尾沢は眉間に皺を寄せた。
「誰。そのブス」
言われた女がスウッと息を吸い込む。
まずい。ここで気分を害されてはここまでの努力が―――。
「うっせえよ。どんなに背伸びしてもてめえでは相手できない女だ」
少し大げさに煽ててやると、女は若く美しい男にそこまで言わせたのが気持ちいいのか、ふふんと鼻を鳴らした。
「引っ込んでろ!童貞が…!」
とっくに貞操なんか捨て去っているのを知っていながらわざと言う。
そう言うことで察してくれると信じて。
しかし――。
「なんだと、てめえ!」
―――しまった。
こいつの頭蓋骨の中には、空気を読める脳みそは入っていないんだった。
必死でアイコンタクトをする。
すると尾沢はやっと空気を察したらしく、眉間に皺を寄せたまま、蜂谷を突き飛ばした。
「――どうでもいいけど、蜂谷。そろそろお前、ヤバいぞ」
今度は蜂谷が眉間に皺を寄せた。
「何が」
「多川さんだよ。お前のこと、生意気だとか言い始めてる」
「ほっとけよ、あんなデブ」
言いながら女を引き寄せまた歩き出そうとすると、
「見つかんなよ」
尾沢がその背中に言った。
「多川さんの呼び出しに応じないで女と遊んでんの見つかったら、それこそただじゃ済まないからな。お前も、その女も」
「こっわ……」
女が半ば馬鹿にしたように笑う。
こんな高校生が、”さん付け”して呼ぶ多川を、ただの高校生に毛が生えたヤンキー程度に思っているのだろう。
だがそれでいい。
無駄に怖がられてもやりにくい。
蜂谷は校門脇に停めてあった車の助手席に乗り込むと、校舎を見上げた。
「それで?教えろよ。どうだった?」
車が走り出すと同時に聞くと、女はハンドルを切りながら歌うように上機嫌で言った。
「いたわ。封筒を買いに来た子。あんな黒い封筒を買うなんて珍しいから、よく覚えてる」
「―――どいつだ」
蜂谷は鋭い目で女を睨んだ。
「その前に―――」
女は県道から外れ、高速道路で陰になる空き地に車を乗り付けた。
「―――おい…?」
蜂谷の顎を人差し指でくいと上げた。
「約束でしょ?”楽しませてやる”って」
「――――」
やっぱりそう簡単には教えてくれないらしい。
女の化粧の匂いが近づいてくる。
蜂谷は目を閉じた。
生暖かい息が唇にかかり、ぬめった舌が自分の口内に挿入される。
白い手が蜂谷の股間の形を確かめるようになぞる。
始まった地獄のような時間に耐えながら、蜂谷は眼を瞑り、先ほどの右京の顔を思い出していた。
―――なんか、様子が変だったな…。
ただ怒っていたのではない。
何かに耐えているような。
泣きそうなのを堪えているような―――。
「……触って」
いつの間にか、ニットをたくし上げた女が、ブラジャーをずらして乳房を露出させている。
蜂谷は女に導かれるまま、その膨らみに指を埋めた。
◆◆◆◆◆
「知り合いの警察官に画像を見てもらったんですけど」
言いながら清野が再度生徒会室の黒板を睨む。
「定規で引いたような直線で形成された字。大きい字と小さい字が混在している書き方、ともに、筆跡をごまかすときに用いられる書き方のようです」
「じゃあ字で犯人を捜すのは困難だってことか…」
諏訪が腕組みをしながらその字を睨む。
「しかも書いてある内容が”脅迫”じゃない。例えば『殺す』って言葉とか『痛い目に合わせてやる』などの文面が入っていれば、脅迫状として警察が動けなくもないらしいんですけど、それにも被害届が必要だそうで」
清野が右京と諏訪を交互に見る。
「しかも1通目の黒い封筒の手紙は右京さんが、そして黒板に貼られていたコンドームに関しては、諏訪さんがすでに捨てていて、どちらももうごみ収集車が持って行ってますので、証拠はこの黒板の文字のみということになります」
「でも……その内容が……」
「女装楽しみにしてます、だけじゃなぁ」
結城が頬杖を突きながらため息をつく。
「もういいじゃねぇか、どうでも」
右京は立ち上がると、おもむろに黒板消しを掴み、それを端から消しだした。
「あああああ!唯一の証拠がー!」
「証拠もクソもあるか、こんなん」
全部消し終わると、黒板消しを置いて、両手をパンパンと掃った。
「帰る」
「え、あ、おい」
諏訪はその腕を掴んだ。
「右京?」
しかし彼は顔を伏せたまま、諏訪の手を振り払うと、乱暴に扉を開け、生徒会室を出ていった。
「あらら。ご機嫌ナナメですか?会長は…」
結城が頭を竦める。
「やっぱり気丈に振舞ってるけど、新体操部Mのことが気になるのかな」
加恵が心配そうに言う。
「そんなタマじゃないだろ」
諏訪がため息をついたところで、
「あれじゃないですか?蜂谷が問題ばかり起こすからじゃないですか?」
清野が言った。
「問題…?ああ、姉ちゃん連れてきたやつか?」
諏訪が言うと、結城が首を振った。
「はは。嘘に決まってんでしょ。あんなフェロモンムンムンのビッチ。蜂谷の女か、少なくてもセフレとかじゃね?」
「―――フケツ」
加恵が目を細める。
「いい加減、ほっとけばいいのにー」
結城が伸びをする。
「会長、あんな奴になんで構うんだろ」
「……………」
諏訪は黙って、乱暴に消された黒板を眺めた。
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