「頼もう!!」
右京は次の日、早朝に蜂谷家の呼び鈴を押した。
「道場破りかと思ったぞ……」
蜂谷は呆れながらドアを開け、右京を部屋に招きいれた。
「おお!結構片付いてんじゃん」
本棚と勉強机、ベッドにテレビ台しかない部屋を右京は2周くらい回って確認すると、その真ん中にドスンと音を立ててリュックを置いた。
「げ。何その荷物。てか、なんで制服?」
大きめのTシャツに綿麻のハーフパンツを履いたラフな格好の蜂谷は、ネクタイまで締めた右京を見上げた。
「俺は一応お前の家庭教師だからな!」
どこか得意そうな顔で言うと、右京はふふんと笑った。
「……お前さ。こんなことしてる暇あんの?」
蜂谷はベッドに腰掛けながらだるそうに頭を掻いた。
「お前だって受験生だろ」
「………………」
「なあ?」
言うと、右京はふっと笑った。
「人に教えることで自分だって復習になんだよ。そういう経験ねえの?」
「………ないね」
蜂谷は膝に肘をつき、目を擦った。
「お前さー。悪いことは言わねえから、もう俺に構うなよ。お前にとってのメリットが……」
「なんだよ、メリットって」
「―――!」
目を閉じていても、マットレスの沈み方で右京も隣に座ったのがわかる。
―――こっちの気も知らないで。こいつは……!
だんだんムカついてきた。
こっちは必死で距離をとろうとしてるのに、自分からズカズカとヒトの家どころか、ヒトの事情にまで踏み込んできやがって。
好きでもない男と2人で、男のベッドに座れるほど無防備で考えの浅い脳内お花畑野郎が!
永月で痛い目を見たはずなのに、それでも懲りずにこいつは……。
蜂谷は指の間から右京を睨むと、その腕をぐいと引き寄せ、身体を返した。
「――――!」
ベッドに押し倒された右京がこちらを見上げる。
――やっぱりあれかな。痛みを感じないから学習できないのかな。
「何の真似だ」
――身体が痛くないなら、心を攻撃してやるしかないか……?
そのままもう一つの手も頭上で押さえつける。
「お前が勉強を教えてくれる代わりに、俺がお前に世の中の恐ろしさっつうのを教えてや―――」
瞬間、膝が飛んできて蜂谷の溝内にクリティカルで打ち込まれた。
「………!!」
腹を抱えてベッド脇に転がった蜂谷に、右京がリュックの中からビニール袋を取り出す。
「吐くか?ならカーペット汚すなよ?なんか無駄に高そうだから!」
大真面目で言いながらしゃがみこみ、口の下にビニールを滑らせる。
「―――お気遣い……どうも……」
一方蜂谷は、転がりながらも必死で手を伸ばし、自分に蹴りを打ち込んだ細い膝をスリスリと撫で、壊れていないか確かめた。
◇◇◇◇◇
「なんだお前、国・数・英は、平均して160点も取れるんじゃん」
右京は7月の模試の結果を見て、口を開けた。
「それで?ダメなのは理科と社会?」
仕方なく机の前に座らされた蜂谷は脇に立っている右京を見上げ頷いた。
「嫌いなんだよ、どっちも。興味ないの、俺」
「志望校は?志望学科は?絞った?」
「いや……」
「じゃあ、5教科全て捨てきれないしなぁ?」
顎に手を添えた右京を横目で見上げる。
―――変な気分だ。
こいつと勉強のことや大学のことを話すなんて……。
まるで本当のダチみたいに……。
「でも!喜べ蜂谷!お前、多分この1ヶ月で飛躍的に成績上がるぞ!」
右京は微笑みながら机に手をついた。
「なぜなら!短期で成績が上がるのは、国語の一部と理科と社会だからだっ!」
「―――へえ」
胡散臭そうに全教科まんべんなく成績のいい右京を見つめる。
「教科を細分化すればわかる。国語は評論、小説、古文、漢文が50点ずつ。
評論と小説はいわゆる国語力だから、今までどれだけ文章に触れてきたかが試され、すぐに上げるのは難しい。
でも古文と漢文は暗記だ。教科書を嘗めれば理解できる!」
「―――お前、簡単に言ってくれるけどなぁ」
「あ、忘れてたけど」
右京はこちらを見下ろした。
「今から俺が“暗記”というたびに、“ラッキー!神様ありがとう!“と叫べよ」
「はあ?」
蜂谷は右京を睨み上げた。
「覚えるだけで点が取れるんだ。ラッキー以外の何物でもないだろ」
「…………」
「よし。もう一度言うぞ。古文、漢文は暗記だ!蜂谷!」
「…………」
「早く!」
「―――ラッキー、カミサマ、アリガトウ」
蜂谷が棒読みで言うと、右京はクククと笑った。
「よし!続いて!理科も暗記!社会も暗記だ!」
「ラッキー、カミサマ、アリガトウ」
「…………うっ!」
右京がデスクに手を突いたまま屈み、震えだした。
「は、右京?」
そのままプルプルと震えている。
―――まさかさっきの膝蹴りで、また膝を怪我したんじゃ……!
蜂谷が覗き込もうとすると、その頭がゴンと蜂谷の顎にぶつかった。
「ぷはははは!お前、その顔で、カミサマとか言うなよ!」
笑い転げる右京に、蜂谷は痛む顎を抑えつつ、ヒクヒクと鼻を痙攣させた。
「お前が言わせたんだろうが……!」
蜂谷は呆れて笑い転げる右京から目を逸らした。
「でも!」
その肩に右京が腕を回してくる。
「それでいいんだ!まずは苦手意識の克服だ!」
言いながら顔を寄せる。
「行くぜ!全国!!」
「……お前は永月に感化されすぎだって。センター試験自体、全国大会だっつの……」
蜂谷も鼻で笑い、しょうがなく微笑んだ。
「ではこれから!受験の極意を伝授する!」
右京はリュックからハチマキを取りだした。
「―――げ」
蜂谷は【目指せ!全国】と書かれたそれを見つめた。
「それ、絶対永月からもらっただろ……」
言うと、
「いや?諏訪から」
右京は目を丸く見開いた。
「そっか。全国行くの当たり前なサッカー部じゃなくて、全国なんてほど遠い野球部からもらったのね……」
「まあ、そうだな」
「……そんな縁起の悪い物使えるか!」
蜂谷が捨てようとすると、右京は、
「それは俺が巻くんだ!」
と言いながら小さな頭に巻いた。
「俺はお前の応援団だからな!」
「――――」
右京が微笑む。
――こいつは………。
「―――イラつく」
「なんで?」
「もういいから、続けて」
右京は軽く咳ばらいをすると続けた。
「では、改めて!受験の極意をこれからお前に伝授する!」
「はいはい」
「一つ!完璧主義を捨て、無駄を省く!」
「―――無駄?」
「つまり、断捨離じゃ!」
右京は顔を寄せ、蜂谷を真っ直ぐに見つめた。
「……?」
『………何かを変えることのできる人間がいるとすれば、 その人は、 きっと…大事なものを捨てることができる人だ……!』
蜂谷が呆れて見上げる。
「……お前、そんな完コピで台詞パクって、テラーノベルの規約的に大丈夫か?」
『心臓を捧げよ!』
「やめとけ!!」
「とにかく!お前は今この瞬間に、化学と物理、日本史と地理、現代社会、政治経済、倫理は捨てろ!」
言いながら教科書を指でどんどん抜いては床に落としていく。
「お、おいおい……」
「今後、お前の人生でこの教科書を開くことは一切ない!」
「――――」
言いきった右京に、蜂谷は目を見開いた。
「お前が勉強するのは、生物!地学!世界史!倫政!この4つに絞れ!」
「………そんな強引な……」
「倫政は、準旧帝大以上の難関大では公民科目は倫政指定のところが多いから、必須。
地理歴史科目は正直、日本史でも世界史でもいいが、特に得意じゃなければ、問題がマニアックな日本史は避ける!
世界史の方が範囲が広い分、教科書やテキスト通りの基本的な問題が出るんだ」
「なる……ほど……」
―――この分析力……。予備校の先生かよ……。
こいつ、だてに成績がいいだけじゃないんだな。
蜂谷は床に転がった教科書を見下ろしながら思った。
「極意その二!達成可能な目標計画を立てて実行する!」
言いながら右京はリュックをごそごそと漁りだした。
「これ!お前の勉強スケジュールだ!」
「―――う」
朝から晩まで組まれた勉強スケジュールに、蜂谷は眩暈を覚えた。
「国語は古文と漢文の復習!
英語はひたすら長文読解と単語カード!
数学は過去問に的を絞って勉強!
理科、社会は、それぞれ教科書を嘗めるように音読&学校指定のテキストの反芻で丸暗記だ!」
「――――」
思わず茫然としていると、右京の鉄拳が飛んでくる。
「丸暗記だ!」
「………ラッキー、カミサマアリガトウ」
「よっし!」
右京はニコッと笑った。
「ここでさらに!蜂谷に朗報だ……!」
右京はデスクに残された教科書の背表紙を端から順に指でなぞった。
「………いいか?センター試験も二次試験も――」
「――――?」
「ここに書いてないことは、一切出ない」
――んなの、当たり前だろ。
蜂谷は並ぶ教科書を見つめた。
――当たり前だけど……。
「そう考えたら………楽勝だろ?」
窓から射しこむ光を受けて、右京が微笑む。
「……………」
――なんでそう思えてくるんだろう……。
蜂谷は顔を見上げ、小さく頷いた。
◆◆◆◆◆
「―――へえ」
ドアの外で、コーヒーと茶菓子の乗った盆を持ちながら、一部始終を聴いていた隆之介は、ふっと口元だけで笑った。
「兄さんにしてはマトモな友達みたいだね」
【KEITO】の札を見ながら呟く。
「――俄然、興味わいちゃうなあ……」
隆之介は盆を持ったまま、足音を立てないように廊下を後にした。
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