朦朧とするなか豪邸に入ると、玄関でスポーツドリンクを飲まされた。
目を閉じてぐったりとしていると、彼女が誰か男性を呼び、俺を客間のベッドへ連れていかせた。
横になると首筋や腋の下に保冷剤を挟まれ、しばらく目を閉じて気分の悪さが収まるのを待つ。
回復するのを待っている間に、少し眠ってしまったかもしれない。
大学生になって一人暮らしをし、怜香から逃れても、一人で思考を巡らせているとネガティブな事しか考えられずに不眠気味だった。
だから心身共に限界を迎えたその時、泥のように眠る事ができたのだろう。
たっぷり寝て目を覚ますと、時計の秒針の音が耳に入った。
重たく感じる腕をもたげて額に乗せられているタオルに触れると、『気がついたのね』と女性の優しい声がした。
保冷剤が巻かれたタオルをどけて声がしたほうを見ると、道路で声を掛けてきた女性が座っている。
確か彼女は和服姿だったはずだが、俺が眠っている間に洋服に着替えたようだ。
『……あなたは……』
彼女の顔を見るとやはり既視感を覚えるが、誰に似ているのかピンとこない。
ほっそりとした女性は柔和な顔立ちで、ふわりとパーマの掛かった髪は、胸元まで伸びている。
五十代半ばぐらいだろうが、肌には張りと艶があり、四十代と言っても通じる美しさがある。
――あ。母さんに似てるんだ。
そう思った時、ハッとした。
『ちえり叔母さん?』
『あら、よく分かったわね』
叔母がニコッと笑った瞬間、目の前に母がいるような気持ちになった。
彼女――、|東雲《しののめ》ちえりは、母の妹だ。
母は三十三歳で亡くなったが、生きていればこんな感じなんだろうか。
そう思った途端、張り詰めていたものが一気に崩れ、涙を零してしまった。
『…………っ』
ボロッと涙が零れ、俺はとっさに叔母に背を向ける。
『つらかったわね。……今、冷たい飲み物を持ってくるから、少し待っていて。洗面所は廊下を出た突き当たりにあるから、自由に使っていいわよ』
叔母はそう言って立ちあがり、静かに部屋を出て廊下を歩いていった。
彼女が言った『つらかったわね』が、何を指したのかは分からない。
熱中症になった事なのか、それとも母の事だったのか。
俺は母の葬儀をほぼ覚えていない。
葬儀には出たが、茫然自失として目の前で行われた事を認識していなかったからだ。
母方の誰が弔問してくれたのか、ちゃんと骨を拾えたのか、それすらも覚えていない。
(叔母さんとは、いつぶりになるんだ?)
俺は考えながらも彼女の厚意に甘え、洗面所で顔を洗った。
鏡を見ると、寝不足と栄養不足で顔色が悪くなった男が映っている。
『……ひでぇな』
俺は嘲笑気味に呟いたあと、ゆっくりとその場にしゃがみ込む。
そして今に至る経緯を少しずつ思いだしていった。
――あぁ、そうか……。
自分の身に何があったのか思い出すと怜香への憎しみが蘇り、つらくなる。
――これからどうすればいいんだ。
誰かに尋ねたいが、誰も応えてくれない。
『尊くん? まだ気分が悪いの?』
その時、階下から戻ってきた叔母が声を掛け、俺は『大丈夫です』と返事をして立ちあがった。
彼女は手に盆を持っていて、その上に麦茶にレモネード、剥いた桃が載っていた。
『これ、どうぞ。麦茶には少しお塩が入っているわよ』
客間に戻ると叔母はテーブルの上に盆を置き、俺に座るよう勧めてくる。
『……すみません、ありがとうございます』
俺はノロノロと手を動かし、麦茶を飲んだ。
濃い麦の味がし、久しぶりに味覚が働いたように思えた。
桃にかぶりつくと、口内一杯にジュワリとみずみずしい甘さが広がる。
――美味い。
そう感じたあとは、夢中になって桃を食べた。
叔母はそんな俺を温かな眼差しで見て、ポツポツと話し始める。
『姉さんは母から絶縁を言い渡されたじゃない。母……あなたのお祖母さんも後悔していると思うけど、もう意地になってしまっているのよね。私は葬儀の時に亘さんとご挨拶をして、連絡先を交換した。定期的に会う関係ではないけれど、亘さんは時々メールであなたの写真を送ってくれたわ』
父に写真を撮られた覚えはないので、きっと隠し撮りされていたのだろう。
腹が立つ……というより、呆れて何も言えない。
コメント
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本当に。写メしてんじゃねーや。(💢'ω')
ちえりさん、これを機に尊さんとたまには会ってあげて欲しい🥺 亘め…写メできるなら他に出来ることあったでしょうが💢