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通話を切ると、漣は携帯電話を胸に抱きしめた。
「先生……」
今、おそらく自分のために方々を飛び回ってくれているのだろう、久次のことを想う。
しかし谷原は昨日今日ことがばれたからと言って、簡単に尻尾を見せる男ではない。
執拗に追えば、こちらの揚げ足を取り、しっぺ返しを食らう可能性だってある。
突破口がない以上、久次を解放してあげなければいけない。
それはわかっている。
そして彼を解放する方法も、実は自分は知っている。
でももう少し。
もう少しだけ、自分のことを考えていてほしい……。
そう思うのは、狡くて我儘なのだろうか。
漣は立ち上がると、積み上がった椅子の間から這い出して、会議室を後にした。
廊下に出たところで、
「瑞野先輩」
呼び止められた。
振り返るとそこには、中嶋が立っていた。
「今の電話、久次先生?」
中嶋は常夜灯の薄暗い照明の中でそう言った。
「あ、うん」
「先生と先輩ってこそこそ何してるんですか?」
中嶋は敵意むき出しの冷たい目で漣を見つめた。
「この合宿も、歌の強化が目的なんじゃなくて、あなた方二人で何かをしているから、ですよね?」
「……いや、そんなことは……」
詮索されるなど思いも寄らなかったので、気の利いた言葉も、誤魔化し笑いでさえ出てこない。
「……今度は、瑞野先輩か。あの人もよくやる……」
中嶋は吐き捨てるように言った。
「気を付けた方がいいですよ。あの人、ゲイでショタコンの変態だから」
「……は?どういう意味?」
「あれ。知らないで付き合ってたんですか?」
中嶋は馬鹿にするように笑った。
「久次先生は昔、生徒に手を出して、その親に訴えられてるんですよ」
「……何言ってるんだ」
漣は中嶋を睨んだ。
「クジ先生が、んなことするわけないだろ。第一、そんなことして教師なんか続けられるかよ」
「……それがね、続けられたんです。なぜなら、真相は闇の中に葬られたから」
中嶋はなおも鼻で笑う。
「何それ。何言ってんの……」
漣は中嶋を睨んだ。
「適当なこと言ってんなよ!クジ先生がそんな――」
脳裏に、昨夜見た手紙が蘇る。
……もしかしてあの手紙って。
虹原って、その生徒のこと……?
彼は死んだ。自殺した。だから……。
久次は書いた手紙を渡せなかった?
「その事件の際に少年の親に依頼された弁護士に話を聞いたんだから、確かですよ」
瑞野は目を細めた。
「……弁護士?」
「あれ、あのときいませんでしたっけ、瑞野先輩。この間学校を訪ねてきたんですよ、乙竹弁護士。若くて爽やかで、女子たちはみんなキャーキャー言ってたな」
瑞野は薄く笑いながら言った。
「僕が案内したんでね。そのときいろいろ聞かれました。久次先生は、問題は起こしてないかって」
「…………」
「その少年は、先生との関係がばれ、大騒ぎになったことで、友達にも馬鹿にされ、学校でも孤立し、悪い奴らにはからかわれて、その延長でパンツ脱がされたり身体触られたりなんかのイジメを受けて、そしてとうとう、コミュニティセンターのピアノ室で首を吊って……」
グランドピアノの上にぶら下がっている少年の姿を想像し、漣は鳥肌が立った。
「そんな……」
言葉を失っている漣に、中嶋が重ねるように言った。
「襲われたりしませんでしたか?」
「は?」
「久次先生に、襲われたりしませんでした?」
「…………」
襲われた?
昨夜のあれは、襲われたって言うのか?
いや違う。
自分から求めたんだ。
中嶋にキスできるなら。
虹原って生徒とも関係を持ったなら。
俺だって、いいだろって………。
「……俺は、襲われたから」
中嶋は俯いて言った。
「襲われたって……?」
「見たでしょ。音楽室で」
中嶋はちらりとこちらを見上げた。
「どうしてあの時、助けてくれなかったんですか。あの後、俺……」
漣は耳を塞いだ。
中嶋が何かを言っている。
聞きたくない……!
知りたくない……!!!
漣は赤い絨毯が敷かれた廊下を駆け出した。
中嶋は、その後ろ姿が、エントランスを抜け、外階段を下っていく様子を、ただ窓から眺めていた。
◆◆◆◆◆
どこをどう逃げたのかなんてわからなかった。
気が付くと後方に見える宿泊施設は、はるか遠くになり、漣は膝に手を突いて大きく肩で息をした。
……先生……!
先生は、虹原って奴に何をしたの……?
中嶋とどういう関係なの?
あんたの……。
あんたの口から直接聞きたい……!
漣は短パンのポケットから携帯電話を取り出した
さっき切ったばかりの番号を探す。
しかし……。
暗闇から響いた声のせいで、漣が通話ボタンを押すことはなかった。
彼は、その夜、宿泊施設から姿を消した。