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「沖藤先生!!瑞野は!?」
福島駅からタクシーに飛び乗ってきた久次は、エントランスでうろうろしていた沖藤にしがみ付くように言った。
「まだ見つからない。今、地元警察が動いているが……」
「防犯カメラに」
後ろにいた中嶋がこちらを見上げた。
「飛び出していく瑞野先輩が映っていたんです」
久次は眉間に皺を寄せると沖藤を振り返った。
沖藤も顔をしかめながら小さく頷く。
沖藤から電話がかかってきたのは、自室で明日の新幹線の時間をチェックしながらいつの間にか寝こけてしまってからすぐだった。
『瑞野君がいなくなった』
その声に飛び起きた後は、どうやって駅まで行ったのかほとんど覚えていない。
とにかく気が付くと久次は、新幹線の窓から、闇を睨んでいた。
「カメラに映っていたのは何時ころだ?」
中嶋を振り返ると彼は、時計を見ながら言った。
「17時15分です」
「…………」
久次は自分の携帯電話を取り出した。
沖藤から電話をもらってから今まで、何百回とかけた発信画面をスクロールして着信画面を見る。
瑞野から電話が来たのは17時03分だ。
その直後、彼は逃げるようにこの施設を飛び出した……?
『ちょっと今日はいろいろあって疲れてしまって。明日の始発便で向かうよ』
会話を思い出す。
『……そう』
『寂しくなったか?』
『……うん。まあね』
「…………」
久次はガラス張りのエントランスから、暗すぎてもはや赤っぽく見える山々を睨んだ。
「……探してきます」
「無茶だ……!こんな暗闇の中。熊だって出るのに……!」
沖藤が顔をしかめる。
「熊が出るなら猶更だ!行ってきます!」
「先生……」
振り返ると、いつの間に集まったのか、杉本をはじめとする生徒たちがこちらを不安そうに見上げていた。
「先生。これ、瑞野君の荷物なんだけど……」
杉本が、久次が彼に渡したビニール袋を持ちながら涙ぐんでいる。
「着替えも財布も、全部入ってるの……。だから……戻ってくるよ。絶対……」
……いや、そうとは言いきれない。
久次は奥歯を噛んだ。
戻りたくても戻れない状態にあるのかもしれない。
「……ごめん。すぐに探して戻るから……!」
久次は皆の返事を聞く間もなく、エントランスを飛び出した。
「久次……!!」
階段を下りきったところで振り返ると、沖藤が上から何か黒いものを投げてよこした。
車の鍵だった。
「ありがとうございます!生徒たちを、お願いします!!」
久次はキーのボタンを押した。
古めかしいセダンのハザードランプが点滅する。
それに飛び乗ると、久次はエンジンをかけた。
連れ帰ったホテルで漣をベッドに座らせると、母はソファに座ってこちらを見つめた。
「心配したのよ。久次先生から聞いたホテルにあなたいないんだもの」
「…………」
いつもの母の顔に見える。
子供を心配して福島までかけつけた母に見える。
それでも………
どうやってあのホテルがわかったの?
その質問が、恐ろしくて聞けない。
「ごめん、なんか直前で人数が増えて、その宿泊れなくなったから、急遽別の宿にしたって先生が。てか、来るなら俺の携帯に連絡くれればよかったのに」
笑いながら言うと、母は疲れたようにため息をついた。
「でも、見つかって良かった……」
「んな大げさな……」
漣は笑うが、母はにこりとも笑わずに漣を見つめた。
「あなたに誤解があるようだから、ちゃんと話をしに来たの」
「……誤解?」
「そう。あなただけじゃなくて、久次先生にも」
そう言うと母は座り直し、漣を真正面から見つめた。
「漣。大学にいくのに、いくらお金がかかるか知ってる?」
母親は諭すような顔をしながら話し出した。
「一番安い国立でも、学費だけで250万円。その他、一人暮らしをしたいんだったら、さらに250万円。遊び代は自分でバイトでもなんでもするとしても、それくらいかかるのよ?」
「母さん……」
「私が漣のために準備しているお金は300万円。とても足りないわ」
谷原が言っていた金額と同じだ。
やはりこの二人には、借主と貸主以上の結びつきがある。
少なくとも、自分と母の親子関係よりも深い結びつきが……。
「その点、あなたが中林さんの養子になれば、学費は全て出してくれるどころか、衣食住の全てを提供してくれた上で、30万円の支援がもらえるのよ」
……もらえるのは、母さんだろ……。
「将来だって、社長さんよ?一生お金に困らないわ」
……母さんが、だろ?
「母さん、俺、大学なんか―――」
「馬鹿言わないで!!」
母の声が、狭いホテルの部屋に反響する。
「ほら見たことかって。みんなに後ろ指をさされる。今の時代に息子一人満足に大学も出してあげないのかって。だから片親はダメなんだって!」
「でもそれなら、奨学金だってあるし……」
「それこそ針の筵よ!!子供に借金を背負わせて、なんて親だって!子供は―――」
母は両手で顔を覆った。
「子供は親を選べないからなぁって……!」
そんなの、幻聴だ。
そんなの、彼女が作り出した幻像だ。
父親が蒸発して、事情を分かっている親戚たちは、母の苦労を理解している。
誰も馬鹿にしたりしない。
それでも彼女は……。
皆が自分を卑下していると、本気で信じている。
「なんでわかってくれないの……?あなたにとって、一番いいことなのに……」
母の声に涙と鼻水が混ざる。
「母さん。聞いて?……俺、金も、将来もいらないよ。ただ、母さんと楓と、幸せに暮らせたら、それでいいんだよ」
「……………」
「養子に出すなんて、そんな悲しいこと言わないでよ。俺を母さんの子供でいさせてよ……」
漣は立ち上がると、座ったままの母親を抱きしめた。
その髪の毛から、少し汗の匂いがする。
安い白髪染めの匂いもする。
掌に彼女の背骨のごつごつとした感触が、ワンピース越しでもはっきりわかる。
こんなに痩せて。
こんなに疲れて。
……俺が、支えてやらなきゃ。
漣はより一層彼女を強く抱きしめた。
「わかったわ。漣。もっと話し合いましょう」
母は自分から漣の身体を優しく離すと、潤む目で漣を見つめた。
「とにかく合宿最終日の前日、ここにもう一度、迎えに来るから。それからまた話し合いましょう?嫌なら嫌だって、そこで言ってもいいから」
「母さん……」
「私はあなたの意思を尊重するわ」
「……うん!」
漣が大きく頷くと、母は立ち上がった。
「さ。みんなが心配するわ。そろそろ施設まで送っていくから」
「―――母さん」
漣は意を決して言った。
「その若林っていう人、他の生徒たちと同じで、俺の身体を買おうとしてるってことはない……?」
あんなに言いにくかったのに、一度唇を滑り落ちた言葉は、折り紙で繋げた輪飾りのように、ズルズルとあふれ出してきた。
「俺、もうやだよ。キモいおっさんたちに触られるの……」
「…………」
母の瞳から表情が消える。
眼が見開かれ、顔が引きつる。
(……あれ?)
漣は口を開けた。
……もしかして母さん、知らなかったんじゃないの?
母さんが初めから全部知ってたってのは谷原がついた嘘だったんじゃないの?
……考えてみれば、そうだよ。
どこの世界に自分の息子が好き勝手犯されて平気な母親がいるもんか。
今、母さんはきっと、初めて知ってショックを……。
「そんなの……」
母が口を開いた。