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龍賀家。
実質、日本の政財界を牛耳っているとも過言ではないほどの絶大な権力を握る。
ある血液製剤を富の源泉とし、戦争の最中で急成長を遂げたとされるが、その影響力の大きさに反して謎も多く、何処に住宅を構えているのかさえ分からない。
「なに!?………それは本当か?」
東京都の都心部に建造されている帝国血液銀行。
社内にある一つの部署にて、衝撃的な一報が届く。
応対したのは部長に当たる眼鏡をかけた中年の男性。
タバコの煙が室内に充満する中、唐突とも言うべき知らせを卓上にある固定電話から耳にするなり、驚きのあまり椅子から立ちあがってしまう。
その際、机にある書類に目を通していた部下たちが挙って目を向けるも、当の本人は気にしないまま通話をし続ける。
「まだ他には漏れてないだろうな?………よし、分かった!」
粗方内容を把握した後、少々乱雑に受話器を置く。
そして社員たちに何も告げぬまま席から離れるなり退室する。
「………」
それを眺めていた者が一人。
口に咥えていたものを一服し終えた後、冊子の傍らにある灰皿に捨てる。
「ちょっと失敬」
戦争時の名残となる傷がある社員。
黒スーツを身に纏ったそれは、紛れもない水木本人であった。
――――
所変わって、社長室。
会社のトップに君臨している白髭を生やした禿頭の初老の前に立つのは、先程の電話を受け取っていた部長。
訪れた理由は、言わずもがな件の一報に深く関わっていた。
「龍賀一族……その当主となれば絶大な権力を誇る。跡目争いは熾烈なものとなるぞ」
「全くその通りです」
当主として長らく生き永らえていた龍賀時貞というご老人。
製薬の成長の立役者だったが、事もあろうに志半ばで急逝してしまった。
当然のことながら死んだとなれば、後の遺産や経営方針などについて、親族たちが藁にも縋る勢いで押し寄せることは容易く考えられる。
「新当主と好を結ぶべきかと……」
「うむ」
あくどい考えを持つ者は、何も親族だけではない。
後継者を上手く丸め込むことができれば、弊社をより発展させることができる。
願ってもないチャンスがやってきたことから、ここぞとばかりに慎重に相談し合う。
「ところで……誰がなると思うかね?」
「望ましいのは龍賀製薬の克典氏ですが、彼は入り婿ですから……」
わが社と親身と言って良いほどの関係を持つ龍賀製薬の社長。
もし跡継ぎとなれば正に好都合だが、実際の所どうなのかは分からない。
「克典社長ですよ」
「「ッ!」」
刹那、何者かが扉を叩かずに入室する。
「み、水木君!失礼じゃないか!」
聞き耳を立てていたことや許可を得ずに堂々と入ってくる無礼な態度に叱責するも、当人は軽く受け流すのみ。
加えて、机の前まで近寄ってから自身の主張を述べる。
曰く、嫡男は健康面に問題があるらしく、何年も表に出ていないとのこと。
また克典氏は、時貞翁の信任厚く前条の内示を受けていると説明する。
その内容を耳にした後、ふと思い出したかのように呟く。
「そうか……君は龍賀製薬の担当だったな」
「克典社長には可愛がってもらっています。必ず当主にさせてみますので、是非とも私を行かせてください」
あくまでも自分が行くという前提で話を進める中、同席していた上司が待ったをかける。
というのも、肝心の一族の本家が何処にあるのかが不明なのだ。
風の噂によれば、ごく限られた者にしか知られていないとのことだったが、それに関して彼は口角を上げる。
「哭倉村ですよ」
「はっ?」
「宴席で克典社長が漏らしたことがあります。行ったことはまだありませんが、今から夜行に乗れば、明日の昼頃には着きます」
「………良いだろう。君を我が社の命運を託そうじゃないか」
「ありがとうございます」
「……あと、水木君。龍賀と言えば、例のアレがあるが……それも頼んでも良いかね?」
「ッ………探ってきます。では」
深々とお辞儀をした後に部屋から出ていく。
一先ずは、旅先の準備を整えることから始めようと意気揚々に行動に移る。
龍賀の内側に食い込むことができれば、社内での立場が優位に変わる。
重役の椅子は確実だという野心を原動力に動き続ける。
――――
月明かりが降り注ぐ夜の森林。
その中にある線路に従う様に突き進む蒸気機関車から汽笛が鳴る。
先頭車両から煙を上げながら進んでいく内に自然のトンネルから抜け出すと今度は鉄橋の上を走る。
一方で豆電球が灯りとなっている車内はというと、ほぼ満席とも言うべきの状況となっていた。
しかも、乗客の男性陣は、これ見よがしにとタバコを吹かしている。
誰もが窓を開けることなく喫煙をし続けているせいなのか、同乗していた家族連れの女の子が、絶え間なく咳き込んでいる。
「………」
外の景色といっても、見えるのは暗闇だけ。
照明器具の効果も相まって鏡のようになっており、何の意味もなく目を向ける。
頭の中で考えるのは、これからのことに関するものばかり。
手にしている小さな箱を開き、中から一本取り出す。
喫煙者として欠かせない日課をするために、続けて懐からマッチを出そうとするが……。
「ちょっとすまないが、相席しても大丈夫か?」
声を掛けられてしまったことにより中断してしまう。
突然のことだったため多少戸惑うも、すぐに落ち着かせてから振り向く。
「なっ………」
ところが尋ねてきた人物を見るなり、唖然とする。
せっかく咥えていた物を落とす程の反応に、相手はしてやったりというような笑みを零す。
「おいおい、そんなに驚くことはないだろうに」
「……な、何でお前がこんなところにいるんだ?」
先日のおでんの屋台で知り合った仲。
黒の作務衣を身に纏い、顎髭を生やしている背の高い褐色肌の漢。
「確か……神谷だったか?」
「覚えていてくれて何よりだ」
嬉しそうに口元を綻ばせてから対面にある座席に座り込むと、背負っていた大きめの巾着袋を隣に置く。
無論、勝手に相席をしてきたことに対して反論する。
「他にも席は空いてあるだろ!何だって俺の所に……」
「良いじゃないか。これも何かの縁だと思ってさ」
「ッ~!くそっ………勝手にしろ」
何を言っても聞く耳持たず。
いっそのこと自ら空いている席に移ることも過ったが、態々面倒なことをするのも癪に障る。
故に、悪態をつきながらも了承する。
「すまないな。それはそうと、お前さんはどうしてこの汽車に?」
「………出張だ」
嘘はついていない。
現に、仕事関連で哭倉村がある地元まで向かっていることは事実なのだから。
反対にその答えを聞いた彼は、成程と納得する。
「そうか……大変だな」
「……そういうお前は何なんだ?」
「俺か?俺はだな、いま旅をしている所だ。ある村を目指してな」
「……村?」
村という単語から不意に眉を顰める。
否、まさかそんなはずはないと思いつつも、確かめるべく問いただす。
「……その村っていうのは、一体どこなんだ?」
「ん?あぁ……確か“なぐらむら”……だったかな?」
胸が高鳴ると共に息を呑む。
偶然にも程がある。
汽車だけならまだしも、尚且つ目的地まで一緒だという現実から思わず目を背きたくなる。
何故、一部の人間にしか存知していないとされる龍賀一族が住んでいる田舎の集落に赴くのか。
そもそもの話、それ自体も知っているのか等の様々な憶測が飛び交う。
「いや……まさかそんな……」
「……何だ?ひょっとしてお前さんの出張先って……」
「……あぁ、そうだよ」
隠した所で仕方がない。
どうせ降りる駅でバレてしまう。
ならば正直に話した方が無難だと悟る。
「そうなのか………」
「……信じられん。というか、何をしに村へ行くつもりなんだ?」
吃驚するくらいの展開が立て続けに起こったこともあり、タバコのケースを仕舞い込む。
代わりとして質疑応答に切り替えると、ありのままのことを神谷が話し出す。
「知り合いから気になる話を聞かされてな。それを確かめに行くんだ」
「……話だと?」
「猟奇的な人体実験が行われているかもしれないっていう話だ」
思いのほか突拍子もない返答に言葉を失ってしまう。
猟奇的な人体実験という耳を疑ってしまうような内容。
一瞬だけ、例のアレと関係しているのかと考察するが、気を取り直して再度話しかける。
「……お、おい。冗談も大概にしとけよ。まさかとは思うが、そんなありもしない世迷言を信じているのか?」
「まぁ、信じているかどうかはともかくとして………ここだけの話だが俺の知り合いから聞いた話によると、そういう恐ろしいことをしている輩がどうもいるらしい。ただ実際に、その現場を見たことはないようだがな」
周りに聞こえないように声量を抑えながら話してくるが、信憑性がない中身だったことから額に手を当てる。
対峙しながら観察した中で、真剣な眼差しで語りかけてくる点から、少なからず法螺を吹いているようには思えない。
けれども、到底信じ難い話であることには変わりなく、疑いの目を向ける。
「……さしずめ信じていないっていう顔だな。まぁ、無理もないわな。こんな話をいきなり信じろって言う方がおかしな話だ。でも、信頼できる奴からの情報だからな」
「………一体どんな奴なんだ?お前の知り合いっていうのは」
「そうだな……ちょっとしたがめつい奴って所だな」
粗方話し終えた所で、背筋を伸ばす。
区切りよく一段落しようと考えているのだろう。
有耶無耶な思いが残っているものの、これ以上突き詰めると変に勘繰られてしまう。
悩み所だったが、ここは潔く引く方が妥当だと判断する。
「……ん?」
その直後のことだった。
突如として車内の電灯が点滅し始め、あろうことか全て消えてしまう。
「何だ?」
「……停電か?」
心なしか、他の乗客たちの声もなくなったような気がした。
窓から差し込んでくる月明かりのおかげで、辛うじて視界は確保できている。
しかし、明かりがないということは暗闇に呑み込まれたも同然。
何が起きたのか把握しようと辺りを見渡した瞬間――――
「お主たち……死相が出ておるぞ?」
隣の席から聞こえてきた声に促されるようにして振り向く。
すると……俯きながら座っている一人の男がそこに居た。
次縹色の着物を着用し、下駄を履いている他、白髪を生やしている。
一見すると老人のようにも思えたが、背丈からして二十代後半ぐらいだと分かる。
「この先、地獄が待っておる」
「「………」」
「儂には見えるのじゃ……見えないものが見えるのじゃ」
訳の分からないことを独り言のように発しているためか、ふざけるなとばかりに水木が立ち上がろうとするも……。
「待て、水木」
「ッ、なん……だ………」
引き止められてしまう。
勿論、反発しようとしたが、彼の面持ちを見る内に失せていく。
「……死相が出ていると言ったな。それは本当か?」
「あぁ……本当じゃ」
俯いていた男が顔を上げ、こちらを見つめる。
片目隠しの髪型ゆえ、覗かせてくる右眼が何とも言えない異様な印象を与えてくる。
「現にそら………お主たちの後ろに大勢憑いておる」
次の瞬間。
二人の背後……正確に言えば窓の向こう側から何かが浮かび上がる。
それに気づいたのか、揃って振り返ると、窓一面に夥しい数の人影が映っていた。
車内に居る自分たちを獲物として捉えているかのような不気味な光景。
「ッ………?」
忽然と景色が変わる。
消えていたはず電気が点いており、他の人たちの声も聞こえる。
見回してみると、元の状況へと戻っていた。
「……今のは?」
「……さぁな」
何が起きたのか理解できないまま呆然とする中、何事もなかったかのように背もたれに寄りかかる。
彼らの元に届くのは、未だに咳き込んでいる少女の声のみだった。