焼き鳥屋のカウンターで並んだ沖藤は、3年前に福島で開かれたNコン全国大会で会った時よりも、横に大きくなったように感じた。
「とりあえず。乾杯だな」
微笑んだ彼と、黄金色のビールが入ったグラスを合わせる。
「それにしても感慨深いよ」
グラスの中身を半分ほど飲み干してから、沖藤は久次の肩を叩いた。
「あんなに小さかった君と、こういう風に酒を飲みかわしているとは……」
「はは。3年前もそう言って涙ぐんでましたよ、先生」
あまりに沖藤が強く叩くので、グラスの中のビールが零れないように、ある程度飲んでから久次は笑った。
「どうだ。都会の生活にはなれたか?」
沖藤が目を細めながら微笑む。
「都内の中でもここら辺は田舎な方なので。普通に山も緑もありますし。福島の郊外と大差ありませんよ」
言うと、沖藤は弱く笑った。
「お変わりありませんか?先生は」
言うと、
「ああ。変わりはないが……」
沖藤はグラスの中身を全て飲み干すと、ふうーーと息を吐き切って正面を見て笑った。
「年をとった」
久次も視線をカウンターに移し、軽く首を傾げた。
「加齢は誰にでも平等に訪れますからね」
言うと沖藤はまたこちらを笑いながら振り返った。
「若い君が言っても説得力なんてありゃしない。今年いくつになるんだ?」
久次は沖藤のグラスに酌をしながら言った。
「26ですよ」
「…………」
その年齢を聞いて何かを想ったのか、沖藤の顔が僅かに歪む。
「もう……10年も経ちました」
久次はそう言って笑うと、自分もグラスを傾け、中身を空にした。
焼き鳥屋の親父が、伝票のビールの欄に、正の字を書き終わった頃には、酒に弱い沖藤はすっかり出来上がっていた。
「だからすっかり少年少女合唱団の人数が減ってしまって。週3回だった練習も、いつも使っていた県民会館から断られてしまって。
そりゃあそうだ。団員20人そこらじゃ、場所代に使える金額もたかが知れてる」
「なんで人気無くなってしまったんでしょうね。僕らの時には40人は超えていたと思うのですが」
言うと、
「時代だよ。やれ、ダンスだの、アートだの、ギターだの、習い事の幅が広がって、今の子供は本当にやりたいことができる時代になった。その中で合唱や声楽は、どこか時代遅れで、ダサいんじゃないのか?
結局、幼少時代に歌に触れ、喉を開いておかないと、その後もなかなか続かない」
やけくそのようにビールを喉に流し込む沖藤を見て、久次は小さくため息をついた。
「確かに、それはあるかもしれません。でも合唱や歌の面白さや楽しさは、伝える場所と機会さえあれば、もっと広がっていくと思うんですけどね。とくに子供たちや、感受性の高い中高生には」
現に合唱部の生徒たちは、少し発声の仕方や練習の仕方を変えただけでグングン伸びた。
どこかやる気なく淀んでいた目つきに光が差し、ハーモニーにまとまりとストーリーが出来上がった。
「伝える場所と、機会だけでは、誰の心にも響かんよ」
沖藤は早速出てきた焼き鳥の盛り合わせのなかから、ボンジリを選んで口に入れた。
そして勿体つけるようにそれをゆっくり咀嚼し飲み込むと、久次をまっすぐに見つめた。
「良き指導者がいないと」
久次は想像通りの言葉に思わず笑った。
「その話なら、この間電話で断ったでしょう。僕に合唱団の指導者は無理です」
「なぜ」
「なぜって」
久次は苦笑した。
「原理は教えられても、自分の声で教えられないですからね。言葉で伝わる高校生の合唱部がギリですよ」
自分で発した言葉がストンと腑に落ちて思わず笑う。
「それ以下の子供たちには、声の出し方を教えられないし、それ以上の大人には、“歌えない先生”とナメられて終わるでしょうね」
「…………」
沖藤は顔をしかめ、苦そうにビールを嘗めた。
「………どうして、声だったんだろうな」
「え?」
その呟きに久次は振り返った。
「どうしてあいつは……。お前の声だけ、あの世に連れてったんだろう」
「…………」
久次は視線を落とし、手の中のビールをぐいと飲みほした。
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