「終わったことを悔やんでも仕方のない話じゃろう」
「そんなことは……分かってます」
「あれがあやつの、無風の望みだったんじゃ。噛み砕けない気持ちも分からんではないが、受け入れてやることも主の務めなのではないのか?」
「それは……そうかもしれませんけど……」
頭では理解できても、気持ちがまだ追いつかない。蒼翠は発散できない悔いを眉間の皺に刻みながら、唇を噛み締める。
「ワシは十分に立派じゃったと思うぞ。師の一人として、賞賛を贈りたいぐらいにな」
お前さんは違うのかと問われ、蒼翠は反論できず視線を逸らす。
――本当は俺にだって無風を誉めてやりたい気持ちはある。
けれどあの日のことを思い出すと、どうしても恐怖と震えが止まらなくなって素直に頷くことができない。
「お前さんも強情じゃな。そんなんじゃ無風は浮かばれんぞ?」
「これは強情とかいう問題では…………ん? 浮かばれない?」
なにか変な言葉を聞いたぞ。
「仙人……今気づきましたけど、さっきから無風が死んだみたいに話してませんか?」
「ほっほっほっ。なんのことじゃか」
わざとだ。これは完全に黒だ。
「縁起でもないこと言わないでください。無風は死んでませんし、それどころかかすり傷ひとつ負ってません!」
あの妖との戦いに無風は勝っている。しかも完全勝利という形で。
無風は蒼翠から剣を奪った後、たった一人で妖と対峙するやいなや、目を疑うほどの強さであの巨体を討った。そして負傷した兵たちまで一人残らず助け出したのだ。
「であるなら何も問題はなかろうて。あやつのことも兵たちに隠すことができたんじゃろ?」
「それはなんとか……」
無風は蒼翠の側仕えとして置いているゆえ外部の者は皆、無風を戦えぬ者として認識している。屋敷の者も無風が修行をしていることは知っているが、それも「自分の身を守れる程度」としか思っていない。そんな無風が将軍よりも強いと知られれば、炎禍皇太子をはじめとする兄皇子たちの目に留まって厄介なことになるうえ、下手をしたら私兵を育てていると謀反まで疑われてしまう。
そういった繊細な状況下で無風のことを隠し通せたのは、討伐に蒼翠の剣が使われたからだ。
この世界での剣は名剣になればなるほど、斬った時に特殊な刀跡が残る。邪君なら黒龍の印、炎禍なら獄炎、そして蒼翠は鳳凰の羽といったように。そのため今回は刀跡から蒼翠が妖を討ったという形となり、無風の存在を隠すことができたのだ。無論、邪君には「将軍が最後に放った一撃が致命傷となったため、運よくとどめを刺すことができた」と報告し、蒼翠が非力なままであることも強調しておいた。これで自分も無風も変に注目されることはないだろう。
と、ここまで完璧にことは進んではいるのだが、では何に悔やんでいるかといえば、やはりあの時無風を一人で行かせてしまったことだ。
「まぁ、お前さんたち二人の問題じゃて、いくらでも好きにやればよいが……」
「なんです?」
「いや、あまり過去ばかり見ていると、また大事なものを見失うことになるぞ?」
以前あった、無風の不調の時のように。
「え?」
仙人に言われて蘇ったのは、数年前、成長期の無風が足の痛みを隠していた時の記憶だった。
「それどういうことです? まさか無風に何かあったんですか?」
「さぁなぁ。あったとしてもそれに気づかなければならんのは、主であるお前さんじゃろうて」
こういう時、仙人はヒントはくれど答えはくれない。自分の人生なのだから、自分でなんとかしろというのが信条だからだ。それは重々理解できるし、この世界でこれからも生きていくにはそれが当然であることも承知できる。
であるけれど今すぐに答えを知りたい時は、実はちょっと腹が立つ。それが無風に関することなら余計に。
「…………ちぇっ、別に教えてくれたっていいのに」
意地クソ悪いな。
「ほっほ、意地クソ悪くて悪かったのぉ」
「えっ! なんで俺が思ってること……」
「お前さん、少しは仏頂面の修行したほうがいいぞ」
「うっ……」
思ってることが全部顔に出ていると指摘され、蒼翠はばつの悪さに視線を逸らす。
「う、うるさいですよ。これでも邪界で一、二位を争う美貌の持ち主なんですから、俺に仏頂面なんて必要ありません!」
「まーた自分で自分のことを美しいなどと言いおって……」
「本当のことだから仕方ないでしょう」
これが葵衣の顔だったら嘘でもそんなことは言えないが、この顔は借り物みたいなものなのでいくらでも褒めちぎろうが恥ずかしさなんてない。
「はぁ……お前さん、そのうち痛い目に遭うぞい」
盛大なため息をつきながら、仙人が眉間を揉む。
「大丈夫ですよ、身内以外の前ではちゃんとしてますから。さて、今はそんなことより無風が気になるので、もう行きますね」
つい小半刻前まで怒っていたのも忘れ、蒼翠は足早にその場から去る。そんな身勝手な男の背中を見ながら仙人が「その身内に痛い目に合わされることもあるんじゃぞ。色んな意味でな」と呟くも、当然ながら蒼翠に聞こえるはずがなかった。
・
・
・