うるさいセミの声が聞こえる。
やや西に傾き始めた太陽の光が強く差し込む。
そんな太陽の光が琥珀こはく色の球体を照らす。
照らしているのは『化野晴永あだしのはるながの遺宝』だ。
俺はそれを拾い上げて困った。
……どうすっかな、これ。
遺宝を手に載せたまま俺がそれをじっと見ていると、隣にいた氷雪公女が話しかけてきた。
「イツキ。それは?」
「これは遺宝だよ。『第六階位』より上のモンスターが死んだら残すんだ」
「つまり、あの祓魔師の形見ということか?」
「形見……。そう、なるのかな……?」
形見はもっとこう、死ぬ人から託されるような物……というイメージがあるけど、遺品という意味なら確かに形見という言葉も間違いじゃない気もする。
「……そうか。なら、死んだのだな。あの祓魔師は」
「うん。そうだよ。死んだ」
ハルナガは死にたくなかったのだろう。
その点では、俺と一緒だったのかも知れない。
俺だって死にたくないから、強くなったんだから。
でも、俺とハルナガの大きな違いはたった1つ。
俺は自分自身を強くすることで死なないための方法を探した。
ハルナガは他者を使い、モンスターになることで死なずにすむ方法にたどり着いた。
俺は遺宝をぎゅっと握りしめて、深く息を吐き出す。
反面教師だな、こいつは。
生まれ直してから、色んな人を見てきた。
父親や、レンジさんのような大人になりたいと思った。
ニーナちゃんのように苦手に怯まず、自分の夢を掴もうとする姿に心を打たれた。
アヤちゃんのような優しさを手に入れたいと思った。
でも、ハルナガはその真逆。
絶対に、コイツみたいになってならないと決意できる存在だった。
俺が自分の人生の指針を改めていると、氷雪公女が安堵の息を吐き出した。
「……ならば、私は引くとしよう」
「引く?」
だが、俺の問いかけに氷雪公女は答えること無く、目の色が蒼から黒に戻る。
アヤちゃんに戻ったんだな、と思った瞬間に、アヤちゃんが慌てだした。
「ま、待って。イツキくん!」
「な、何が……?」
「あのね、全部思い出したの。氷雪公女は私を守るために、魔力を凍らせてて……。悪い子じゃないから、祓っちゃダメなの!」
慌てながらも、とにかく『氷雪公女を祓うな』という言葉を続けたアヤちゃんに、俺は頷いた。
「祓わないよ」
「え、ほんと!?」
「……うん。僕には、祓えない」
氷雪公女はアヤちゃんを守る気満々だし、アヤちゃんの中に引っ込んじゃったし。
というか、俺たち祓魔師がどうしてモンスターを祓っているかというと、モンスターが人を襲って殺すからだ。
人を襲わないモンスターをわざわざ進んで祓う必要はない、と俺は思う。
「よ、良かったぁ……」
俺の言葉に心の底から安心したように微笑むアヤちゃん。
さて、ひとまずの問題は去ったと思っているのだが……。
遺宝をポケットにしまい込みながら、俺はさっきぶっ壊した視聴覚室の壁と1階の入り口から、俺たちのところに走ってやってくる白雪先生を交互に見た。
これ、全部説明しなきゃだよなぁ……。
どこから説明すれば一体全体、分かりやすく説明できるだろうかと考えて……とにかく、白雪先生にここまでの全てを説明することにした。
それが一番手っ取り早いと思ったのだ。
アヤちゃんの中にいる氷雪公女と共鳴したこと。
氷雪公女は操られていたこと。
その操っていたのが、あの祓魔師だったこと。
それを全て説明すると、白雪先生は目を瞑って両手の人差し指をこめかみに当てて、唸った。
そして、最も大事なところを聞いてきた。
「え、えーっと。つまり氷雪公女は“魔”なのに……人の味方をしてるってことですか?」
「そうです」
「むむ……」
「氷雪公女はどうなりますか……?」
俺は氷雪公女を祓いたくない。
だが白雪先生や父親、それにレンジさんたちも同じように考えてくれるかは……分からない。
しかし、既に氷雪公女の情報は大人たちに共有済みだ。
だったら後は氷雪公女がアヤちゃんの味方であることをアピールして、祓わない方向に持っていくしか無い。
そうやって思考を張り巡らせる俺とは対象的に、白雪先生は記憶の引き出しをこじ開けているようにゆっくりと口を開いた。
「……実は、そういう“魔”の前例が無いことも、無いんです」
「人の味方をするモンスターですか?」
「は、はい。1960年代のカザフスタンで、“魔”に育てられた子供が見つかったんです。山の奥で、親が死んだ双子を育ててたんです」
「そのモンスターはどうなったんですか?」
「8歳になった子供を現地の祓魔師……エクソシストに預けると、子供たちが20歳になるまでは山に住んで、人とも良好な関係を築いたと聞いてます。その先は、分かってません」
「……そんなモンスターが」
「たまにですけど……そういう例外が生まれます。い、イツキくんは『泣いた赤鬼』という話を聞いたことはありますか?」
「は、はい。ありますけど……」
「あれもそういう逸話の1つです。そして、基本的に人に味方する“魔”は祓われません。でも、人に味方する振りして人を食べる“魔”もいますし……。というか、そっちの方が多いので……」
困り続けながらも白雪先生は、なんとか氷雪公女が生き残る方法を探してくれているようで、
「だから、『味方する』と言っている“魔”をそのまま放っておくわけにもいきません」
「だったら、どうすれば……」
「大丈夫です! 先人の祓魔師たちが、ちゃんと対策を考えてくれてます」
「対策……?」
「はい。『契約魔術』と言います」
白雪先生はそう言いながら、顔を上げた。
「『刻術コクジュツ』と呼ばれる古い魔術で、今の『導糸シルベイト』と違ってすごく非効率な魔術なんですけど……でも、昔から“魔”との契約に使われてきたんですよ」
契約魔術って、あれか。
つい先日、イレーナさんと一緒にモンスターを祓いに行った時に、名前だけを聞いた魔法だ。
確かにあの時に『モンスターと契約して言うことを聞かせる魔法』と言っていたけど……なるほど。そういう使い方もあるのか。
「もし本当に氷雪公女が人の味方をするのであれば、契約魔法を結ぶことである程度の安全を確保できます」
そういった白雪先生に向かって、アヤちゃんが吠えた。
「私はアヤの味方しかせんぞッ! 勝手に人の味方にするなッ!!」
いや、アヤちゃんじゃない。氷雪公女だ。
目が蒼いから、見ればすぐに分かる。
てか、引くんじゃなかったのか。
入れ替わり、あまりに簡単すぎない?
俺がそんなことを思っている横で、白雪先生が慌てて続けた。
「け、契約魔法はお互いに納得してから結ぶものです。アヤさんの味方をするのであれば、そういう契約内容にしますから……」
「なら、良い」
氷雪公女は満足げに頷くと、アヤちゃんの目の色が黒に戻る。
白雪先生は安心したように息を深く吐き出すと、ゆっくりと続けた。
「この合宿場にいるなかで『刻術コクジュツ』が使えるのは私だけなので、わ、私が契約陣を作ります。イツキくんも、手伝ってください。きっと、良い勉強になります」
「は、はい。分かりました」
「アヤさんも見て勉強です!」
そんなことを言う白雪先生の後ろを追いかけて、俺は再び合宿寮の中に戻る。
ひとまず、氷雪公女の安全が確保されたことに安心しつつ……壊れた壁と遺宝のことは後で考えることにした。
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