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連合国はユーラシアとオセアニアから追い出された、次の主力戦線として選ばれたのはアフリカだった。1940年7月25日に亡命していた自由フランス政府が北アフリカに向かうための戦線で大戦果を挙げていた、アフリカ戦線で連合国は優勢を取れていたためである。連合国はアフリカから完全に枢軸国を追い出しシチリアに上陸すると言う作戦を考えた。対して枢軸国はアフリカに連合国は上陸することを予想しておりエチオピア方面に日本海軍を置き陸上にトーチカを置いき防衛の姿勢を取った。リビア方面はドイツ空軍が偵察常時激しい空爆を仕掛け、エジプト、モロッコ方面に対して侵攻の姿勢を取りエチオピア方面との合流を考えた。両陣営の作戦が同じ日程に行われた。1943年5月21日に両陣営共に作戦を実行したエチオピア方面は日本海軍と米英海軍の激しい海戦が行われたがオーストラリア、ニュージーランドの防衛で派遣していた米海軍は主力艦が少なく英海軍はドイツ軍の空爆で主力艦等が全て大破及び破壊されておりまともな船では無く日本海軍の艦砲射撃で木っ端微塵になった。その頃リビア方面ではドイツ軍は今までにないほどの優勢だったエジプトにいた英軍は素早い電撃戦で潰れていた。その後エチオピア方面に居たイタリア軍、日本軍は合流を測るために、1943年8月16日イギリス領スーダンに侵攻を開始した。