「これは由々しき事態だわ……」
自邸の応接間から続く、緑に囲まれた屋根付きのテラス。
その椅子に腰を落ち着けながら、机上に飾られたピンクローズの薔薇を見つめて呟く。
ルキウスに贈られた、私の髪の色と同じ花弁の薔薇。
「どうしてこんなことに……」
ルキウスに婚約破棄のお願いに行ってから、早くも五日が過ぎた。
結論からいえば、まだ婚約は破棄されていない。
どころか、”これからは我慢しない”宣言をしていたルキウスは、やれ休憩中に顔が見たくなっただとか、自宅に帰る前にお茶を一杯だけ付き合ってくれだとか。
あれこれ理由をつけては、せっせと私に会いに来る。
この薔薇のように、時には手土産を携えて。
贈り物が毎日ではないのは、私が一方的に物品を贈り続けられることが苦手だと、よく心得ているからだと思う。
ルキウスが実に丁度いい加減で丁度いい理由を述べてくるものだから、どうにも断りきれずに、受け取り続けてしまっている。
この薔薇だって、そうだ。
「花売りの娘さんを見かけてね。マリエッタのようだと思って買ったはいいんだけれど、日々のほとんどを外で過ごしている僕じゃ、たいして眺めてあげれずに枯れてしまうだろうから。キミのところで、可愛がってあげてよ。ここなら僕も通いやすいし」
どうしてそう、私が頷くだろう理由がつらつらと出てくるのだろう。
どこまでが本当で、どこまでが嘘なのか。
実態の怪しい、私へこの花を贈るための、そしてちゃっかり自分が通う頻度を上げるめの口実でしかないと頭ではわかっているのに。
私が首を振ってしまっては、きっと花は誰もいない部屋で寂しく待つのみで枯れていくのかと思うと……。
「し、仕方ありませんわね」
結局は、こうして受け取るしかなくなってしまう。
本当にルキウスってば、昔から策略家なんだから!
なんだか彼にうまく扱われているようで、もやもやと胸中を曇らせる不満につい、私は口を尖らせた。
「遊撃隊隊長であらせられる”黒騎士”様が、毎日のように女のもとへ通うなど。部下への示しがないのではなくて?」
黒騎士というのは、いつからか囁かれるようになったルキウスの二つ名。
自分でも、可愛くない言い方をしている自覚はある。
けれどこの口の悪さは昔からの性格……というより、生まれ持った性質のようなもの。
幼い頃からどうにも尖った言い方を治せず、同じ年ごろのご令嬢には避けられがちで。
結局、デビュタントの当日も一人で過ごした。
想定内とはいえ、全く期待をしていなかったのかと問われれば、素直に頷けない。
(そういえば、ルキウスにこの口の悪さで嫌な顔をされたことってないかも)
まだ言葉がたどたどしい頃から一緒だったから?
ううん、ならばそれこそ長年一緒だったのだから、そろそろ嫌気がさしているだろうに。
けれども眼前のルキウスはやっぱりのんびりと笑みながら、腰元の剣をとんと叩き、
「心配ないよ。僕に可愛い婚約者がいるのは、周知の事実だし。文句があるのなら、いつでも相手してあげるしね」
「かわ……っ!? コホン。そ、そもそもとして隊員同士での揉め事自体、よろしくないのでは?」
「照れてるマリエッタも可愛いね」
「照れてなどいませんわ!」
ルキウスは「そっかあ」とクスクス笑みながら、
「まあ、僕らにとって剣を交えることは、対話と同義だから。それに、僕ら遊撃隊は防策隊や看治隊と違って、いわば戦闘要員だからね。血気盛んな隊員が多いし、団長も承知の上だよ」
あとね、とルキウスは少しだけ瞼を伏せて、
「いつどこに、”紫焔獣《しえんじゅう》”が現れるか分からないしね。自由が許されているうちに、好きなことをしなくちゃ」
紫焔獣。それは、この国に昔から現れる幻獣のこと。
名前の通り、紫の霧とも焔ともとれる熱をもった気体の集合体で、狼のごとく鋭利な牙と爪を持ち、熊のごとく巨大な体躯と怪力を備えている。彼らは人を襲うのだ。
発生源は、淀んだ魔力。たいてい、浄化機能を失い汚れてしまった沼や湖などの水源が発生地になることが多い。
それ故にルキウス率いる遊撃隊は定期的に国内の森を調査し、必要に応じて浄化作業を行っている。
そして紫焔獣の発生時に応戦するのも、遊撃隊の役目。
発生の報せがあれば、食事中であろうと就寝中であろうと、即座に向かわなければならない。
「……近頃は、落ち着いているようですわね」
「んー、そうだね。森は僕たちが頻繁に調べているし、王都のほうは防策隊が目を光らせているみたいだしね。聖女の力を持つ王妃様が亡くなられて五年。看治隊の浄化魔法も無限ではないし、騎士団長も色々と策を練っているみたいだよ。特に、莫大な浄化魔力を必要とする”人柱”が出ちゃうと厄介だから」