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結局――。
もう一晩、ぎりぎりまで一緒にいたいと言う宗輔の甘い言葉に抗えず、私は帰るタイミングと意思を失ってしまった。
部屋着を借りて過ごしているうちに、宗輔は年明けの予定を立ててしまう。
「明日から元日にかけて、佳奈は実家に帰るんだよな。何で行くんだ?」
「今回は、電車で行こうと思ってる。混むような路線じゃないから適当に時間を見て、午後早めの電車に乗るつもり」
自動車を持ってはいるが、雪道が心配だから車の運転はやめておこうと考えていた。
「それなら、帰りは俺が迎えに行くよ」
「雪だと時間かかるかも……。無理しないで」
「たいした距離じゃないさ。後で佳奈の実家の住所と、念のために目印を教えてもらえないか。午後早めに行って、まずは一度、佳奈のご両親に顔を見せておきたいと思うんだ。少し時間を取ってもらうことはできるかな」
「そうね……」
私は少し考えた。元日早々に、家族を驚かせることになるのもどうかと思ったのだ。けれど、また今度などと言っていると、ずるずるとその日が先に延びてしまいそうだ。それならいっそのこと、思い立ったが何とやらで、この機会に宗輔を紹介しておいた方がいいかもしれない。ただ、兄夫婦は確か義姉の実家に行くと言っていたから会えないだろうが、それはまたの機会ということでいいだろう。
「それじゃあ、家に電話して聞いてみるね」
「あぁ。この流れで、うちの親父たちにも会ってもらっていいか?」
「もちろん」
頷いて、にわかに胸がどきどきし始めた。今回はまったくのプライベート、しかも宗輔の彼女として、社長夫婦と顔を合わせることになるのだ。どういう顔で、どういう言葉遣いをして会えばいいのだろう――そう思うとひどく緊張してしまう。
「佳奈の会社、仕事始めっていつ?」
宗輔の声に私ははっとする。
「えぇと、四日よ。マルヨシさんは?」
「うちも同じ。だったら……忙しい年始になってしまって悪いんだけど、三日はどうだ?うちで軽くお茶を飲むくらいにしてさ」
「私はそれで全然構わないけど……」
「けど、何?」
宗輔は口ごもった私の顔を覗き込んだ。
「何が気になってる?言ってみな」
優しく促す宗輔に私は答えた。
「ん……なんていうか、展開が早いな、って」
「怖いか?」
私は首を横に振る。
「そうじゃなくて……。こんな風に流れに乗ってる感じ、夢を見てるみたいでふわふわしてるというか」
「夢みたい、って佳奈がそう言うのは、確か二回目だな」
「そうだった?よく覚えてるのね」
「佳奈のことはなんでも覚えてるよ。それなら――夢じゃないって実感できるように、一緒に住むところ、探さないか?」
「え?」
「ここに一緒に住んでもいいけど、せっかくだから新しい部屋の方がいいのかなと思ってるんだ」
「お家に入った方がいいんじゃないの?」
おずおずと訊ねる私に、宗輔は軽く肩をすくめた。
「佳奈がそうしたいのなら、それでもいいけど。部屋はあるからな。でもそうなると、夜はあんまり鳴けないぜ」
「夜?鳴く?」
きょとんとする私に、宗輔はにやっと笑う。
「佳奈の鳴き声が聞けなくなるのは、つまらないんだよな」
言っている意味をようやく悟って、私は熱くなった頬を手で覆った。
「変なこと言わないで」
くすくす笑いながら、宗輔は言った。
「俺としては、できるだけ長く佳奈と二人で過ごしたい。うちの親たちと一緒に住むっていう選択肢は、今のところはまだないな」
「宗輔さんと、社長たちがそれでいいなら……」
「いずれそういう時が来たら、それは考えるってことで。今は――」
宗輔は私の体に腕を回すと、座っていたソファの上に私をゆっくりと倒した。
「しばらく会えないんなら、もっと佳奈を味わっておきたいんだけど」
「しばらくって言っても、二日くらいでしょ」
「その二日が長いんだよ」
私は手を伸ばして宗輔の唇に触れた。
「明日の朝になったら、私をちゃんと部屋まで送って行ってくれる?」
「本当は嫌だけど、仕方ないな」
宗輔は、鼻の頭に軽くしわを寄せた。
それを見て私はくすっと笑うと、彼の首に手を回した。それを了解の合図と理解した彼のキスを受けて、私は甘い吐息で応えた。
ーーその翌朝。
宗輔は約束通り、私をアパートまで送り届けてくれた。私が建物の中にまで入ったのを確かめてから、車を走らせ去って行く。
エントランスのガラス越しに彼を見送って、私は急いで部屋に戻るとバタバタと帰省の準備をする。身支度を済ませて駅に向かい、食べる物を適当に買い込んでから、無事に電車に乗り込み実家へと向かった。
年明け第一日目。つまり元日早々、私を迎えに来た宗輔は両親と顔を合わせた。
今回は簡単な顔見せ程度になることは、すでに両親に伝えてあった。だから、思っていたよりは堅苦しい空気にならずに済んで、私はほっとしていた。
マルヨシの名前を聞いた時、さすがに両親は驚いたが、宗輔と言葉を交わして安心したようだった。父はずっと固い笑みを浮かべたままだったが……。母は終始にこやかに宗輔に接していたが、帰り際、私の傍までやって来て心配そうに言った。
「マルヨシなんて、そんな立派なお家、あんたに務まるの?」
それについては私自身も少々思っていたことだった。けれど、いらぬ心配はかけまいと笑って返す。
「彼がいるから大丈夫よ、きっと」
母はほうっとため息をついて、そっと宗輔の方を見た。
「そうね……高原さんがあんたのこと大事に思ってるのは、話してみて分かったからね」
「でも、お父さんはなんだかずっと……」
ふっと顔を曇らせる私に、母はにこっと笑った。
「気にしなくて大丈夫よ。お父さん、あんたを取られたような気になってるだけで、別に反対ってわけじゃないから。ま、あんたも色々と忙しいだろうけど、もう少し帰って来て、お父さんに顔を見せてちょうだい」
「うん、また来るよ。あ、そうだ。お兄ちゃんとお義姉さんにもよろしく言っといてね」
「言っておくわ」
「ごめんね。急に決めちゃって。早い方がいいかなって思ったから……」
「びっくりはしたけど、大丈夫よ。新年早々嬉しい話を聞けて良かったわ。また、二人でいらっしゃいな。――あらやだ、高原さんをお待たせしちゃったわね」
母ははっとして、車の傍で私を待つ宗輔に向かって頭を下げた。父はと見ると、母の少し後ろでまだ複雑そうな顔をしている。
私は父の傍まで寄ると言った。
「お父さん、今日はありがと。また来るからね。今度は美味しいお酒持ってくるから、私と一緒に飲もうね」
私と――そこを強調して言うと、父の表情が少しだけ明るくなったように見えた。
「そうか、待ってるぞ。えぇと……高原君」
父が数歩前に出て、母の隣に立った。
「はい」
宗輔はすっと背筋を伸ばして、父に向き直った。
「今日はわざわざ来てくれてありがとう。……佳奈を、頼みます」
そう言って頭を下げる父の声が、微かに震えているように聞こえて、私は思わず涙ぐみそうになった。結婚するのはまだ先のことだ、と少しだけ顎を上げて涙を散らす。
宗輔は、私の父を、母を、順に真っすぐな目で見ると、しっかりとした口調で言った。
「色々とご心配なのは十分に承知していますが……佳奈さんのことは私にお任せください。――正式なご挨拶は、また改めて伺います。慌ただしくて申し訳ありませんが、今日はこれで失礼します」
「うん。高原君のご両親にも、どうぞよろしく伝えてください」
「ありがとうございます。――そろそろ行こうか」
宗輔が私の背に手を添えた。
「えぇ。――それじゃ、お父さん、お母さん、また来るね」
こうして、私の両親と宗輔の初対面は無事に終わった。
帰りの車で、私は宗輔の横顔に礼を言う。
「今日は、色々とありがとう。うちの親たち、きっと安心したと思う」
「ちゃんと認めてもらえたのか、心配だけどな……」
「大丈夫よ。だって、お父さん、ありがとうって言ってたもの。私のこと頼むって……」
「そうだな。また、二人で来ような」
「うん。――次は、明日ね」
「あぁ、悪いな」
「全然悪くなんかないわ……ふわぁ……」
思わずあくびが出てしまって、私は慌てて口元を隠した。
宗輔はくすっと笑いながら、ちらと横目で私を見て言った。
「疲れたんだろ。寝てていいぞ。着いたら起こしてやるから」
暖房の温かさと車の振動に加えて、一大イベントの一つを無事にクリアしたという安心感もあったのだろう。運転してくれている宗輔に申し訳ないとは思ったが、素直に彼の言葉に甘えることにして、私は目を閉じた。