「渡慶次。おっすー」
「おっは。渡慶次くん」
「あ!渡慶次くん、おはよー」
まぶしい朝陽と同じくらい煩わしい挨拶のアーチをくぐりながら廊下を抜け、渡慶次雅斗(とけしまさと)は教室のドアを開けた。
「おお~」
「セーフ!」
自分が入ったことで、教室の空気が変わったのがわかる。
「雅斗、遅刻ギリギリー!」
隣のポジションを盗られまいとするように、新垣智景(あらがきちかげ)が慌てて駆け寄ってくる。
「どうしたんだよ、遅かったじゃん」
そう言いながら、かいがいしくも渡慶次のマフラーを解こうとする。
「彼女かよ。自分でできるって」
ふざけた調子でその手を振り払う。
可愛い女子ならまだしも、174㎝の自分と背格好もほとんど同じ男子に寄り付かれると、視界は遮られるわ、暖房が当たらないわで迷惑だ。
――そろそろガツンと言ってやろうか。
「……あは、ごめんて」
横目で見返すと、新垣は一瞬怯えたような目でこちらを見つめた。
できない。
クラスカーストの上位に立つ者には、それなりの責任と重圧が伴う。
このクラスで、自分の発言が他の生徒にどれだけの影響を与えるかは半年前に実証済みだ。
渡慶次は軽く息を吐きながら、鞄を机に下ろした。
「なんか、2年の女に待ち伏せされて告られた」
「はあ?またかよ!?また告られたの?」
新垣が大袈裟に復唱する。
「モテるなあ、雅斗は!」
自分の友人がモテることで、自分のイメージまで上げようとしているのが透けて見える。
――人の袴で相撲をとりやがって。だからお前はモテねえんだよ。
喉仏あたりまで上がってきた言葉を懸命に飲み込む。
「2年って、知ってる先輩?」
そのとき、後ろから少し鼻にかかった声が聞こえてきた。
振り返ると、クラスどころか学年でも1位2位を争うほどの美少女、前園杏奈(まえぞのあんな)がこちらを上目づかいに見つめていた。
「私たちの渡慶次くんなのに!」
「許せない!」
「てか年下に告るとかキモっ!」
本人非公式のまま渡慶次のファンクラブを立ち上げた、赤嶺、稲嶺、仲嶺の“3嶺トリオ”も後ろからブーブー言っている。
「いや、知らない先輩。電車が一緒なんだって。知らんかったけど」
3人をシカトした渡慶次が少し眉を上げて見せると、前園は「ふうん」と少しだけ口を尖らせた。
「それで?渡慶次はOKしたの?」
「まさか」
渡慶次は笑いながら席に座ると、鞄の中身を雑に机の中に入れた。
「いくら俺でも、顔も名前も今日知ったような人とは付き合いませーん」
「だよねー」
前園はそう笑うと、渡慶次の前に回って、長い髪の毛を垂らしながらのぞき込んだ。
「……でもちゃっかりアドレスくらいは交換してたりして?」
新垣が、美少女の前園を十分意識した、かっこつけた言い方と目つきで肩を竦める。
「当然。ボクもオトコですからぁ?」
ここは新垣に乗っかる。
「………」
前園はすーっと身を起こし、明らかに不機嫌な目つきで睨んだ。
変な期待はさせたくない。
こっちが振った時に同情を集めやすい美少女ならなおさらだ。
「ま、お友達からってやつですよ」
そう言いながら渡慶次は見せびらかすようにスマートフォンを机に置いた。
「……ん?」
とその瞬間、端末がブルブルと震えた。
「ビビった。メールか?」
覗き込むと、隣で新垣も、そして前で前園も同じくスマートフォンを見つめていた。
「え、これ誰?」
前園が眉間に皺を寄せる。
「メール?俺も知らない奴からきたんだけど」
新垣が前園と渡慶次のスマートフォンを交互に覗く。
「【ドールズナイトへようこそ】……?」
件名をそのまま読んだ渡慶次は首を傾げた。
「なになに~?『私立松ヶ丘高校1年5組の皆様は、当社のスマホアプリ「ドールズ☆ナイト」のモニターに選ばれました』」
新垣が読みだすと、クラスのほとんどの生徒がこちらを振り返った。
「え、お前も?」
「ちょっと!私にも来たんだけど!」
「誰から?」
「知らないアドレスぅ」
「……は?」
渡慶次は教室を見回した。
まさかクラスの全員に来ているのだろうか。
いつも行動を共にしている仲間内ならまだしも、地味目の女子グループや、窓際に連なっている不良グループまで一斉に?
そんなことあり得るのだろうか。
「迷惑メール?」
「でも松ヶ丘高校1年5組の皆様って書いてあるよ?」
誰が。
何のために。
「『ドールズ☆ナイトとは2012年にリリースされてすぐに、スマホゲームアプリのダウンロードランキング1位になり、1ヶ月でスマホ人口のまさに20%がこのアプリをダウンロードしたという快挙を成し遂げたものの、わずか3ヶ月でストアから姿を消した、いわば幻のゲームです」
新垣が続けると、皆、自分のスマートフォンと新垣を見比べた。
「『しかし2022年、ついにドールズ☆ナイトは新たに生まれ変わり帰ってきました。昔プレイしてくださった方も初めての方も楽しめる内容となっていますので、本リリースされた際にはぜひ皆さんもダウンロードしてみてください』」
そこまで読んだ新垣は顔を上げた。
「ドールズ☆ナイトってどこかで聞いたことない?」
渡慶次を見下ろす。
「ない。というかスマホゲームとか興味ない」
「冷たっ!」
新垣が大袈裟にリアクションを取り、クラスから笑いが起こった。
皆この少し奇妙で大いに不気味な現象でひきつった空気を、無意識に緩和させようとしているらしい。
「じゃ、続きな。『モニターのみなさんには実際にプレイしていただき、感想や改善点などを教えていただきたく存じます。
ゲームクリア後に簡単なアンケートを送りますので、そちらにご記入いただければ幸いです。
アンケートに答えていただいた中から抽選で、任天棟スイッチョン2を3名の方にプレゼントしたいと思います』
「おお!!!」
声を上げたのは、廊下側に座っていたお調子者の|平良《たいら》|佳和《よしかず》だ。
「すげえ!スイッチョン2っていったら今品切れ中で、ネットで探すと10万円以上するぜ!」
ゲームのモニターにしては豪華な景品だ。しかも、
「3人に当たるなら、確率10%じゃん!」
確かに30人中3人なら、けして低い数字ではない。豪華だ。いやむしろ、
「……豪華すぎないか?」
呟いた渡慶次の言葉を遮るように新垣は続けた。
「『なお、モニタリングの参加条件は、30人全員がダウンロードしてプレイすることです。もし一人でも掛けたらモニタリングは他の皆さんにお願いすることになりますので、あらかじめご了承ください。ダウンロードの期限は最初の方がダウンロードしてから5分です』」
そのとき、ピロンという間抜けな間抜けな音と共に、
「あ」
平良が口を開いた。
「ごめ。俺、ダウンロードボタン押しちゃった……」
「あーあ」
新垣がこちらを振り返る。
「どうする?雅斗」
「…………」
渡慶次はぐるりとクラスを見回した。
皆が自分を見ている。
容姿端麗。運動神経もよく、勉強もそこそこできる。
金に近い茶髪で、たまに授業サボるくらいのバカやって、週2で告白されるくらい適度にモテる。
このクラスのカースト1位は自分だ。
その証拠に皆が渡慶次を振り返っているし、渡慶次の判断を待っている。
彼女は――?
視線を廊下側の席に流す。
一番前の席に座り、俯いて長いポニーテールを前に垂らしているのは、上間美紀(うえまみき)。
彼女だけは、机に頬杖をついたままこちらを振り返らない。
その事実に少し落胆しながら、渡慶次はスマートフォンを見下ろした。
面倒は面倒だが、たかがスマホアプリだ。そんなに難しいことはないだろう。
スマホゲームに興味はなくとも、8月の発売開始からすでに売り切れ続出の任天棟スイッチョン2には多少の興味がある。
「じゃあ……暇だしやってみる?」
仕方なく渡慶次が口にすると、
「なんだそれ」
窓際にいた男が鼻で笑った。
比嘉悠馬(ひがゆうま)。
銀色の髪の毛を朝陽に反射させている彼は、入学してからの8ヶ月間で2回の停学処分を食らうなど、不良としてはそこそこの成績を上げている、いわゆるヤンキーだ。
「やってみろよ、比嘉。ゲームは得意だろ」
その前に座っていた照屋(てるや)が振り返り、
「うそつけ。こいつ、スプライト2しかできねえよ?」
後ろに座る玉城(たましろ)が顔を寄せる。
この2人が180㎝を優に超える長身であるため、低くても170㎝はあるはずの比嘉が小さく見えるという、本人にとったら気の毒なミラクルが起こる。
1年5組の癌細胞。
このクラスで唯一、渡慶次の言うことを聞かない3人だ。
「比嘉ぁ!頼むよぉ!」
平良が廊下側から窓際に駆け寄る。
「制限時間になっちゃうよぉ!」
脇の大男ではなく、ボスの比嘉の前に躊躇なく跪いて両手を合わせている。
普段はそこまでぱっとしないが、こういうところはすごいと思う。
渡慶次はそのやせ細った後ろ姿を見ながら目を細めた。
「“じゃあ……暇だしやってみる?”」
比嘉が口の端を上げながら言い、
「似てねえ」
「腹立つわー」
前後の2人が吹き出す。
比嘉のスマートフォンのディスプレイの上を、真っ黒なネイルを塗った指が滑ると、ピロン、と軽快な音がした。
「ダウンロード完了」
バンッ。
比嘉は渡慶次を挑発するように机にスマートフォンを叩きつけた。
「そんな乱暴にしたら壊れるでしょうよ……」
新垣が本人に聞こえない程度の声で言う。
比嘉の前後の二人からも相次いでダウンロードの音が聞こえてきた。
「――よし、俺たちもやっちゃう!?」
新垣が比嘉たちのせいですっかり白けてしまった教室を振り返る。
「……はあ」
渡慶次は大げさにため息をついた。
「“じゃあ、暇だしやってみる?”」
比嘉を横目で睨みがら《《被せ返す》》。
「………ぷっ」
誰かが吹き出し、それがクラス中に伝染する。
「似てねー」
誰かが呟き、
「どっちに?」
誰かが突っ込む。
クラスの空気が融解されていくのを肌で感じる。
それと共に教室中でダウンロード完了の通知音が連呼し始めた。
「――――」
渡慶次はもう一度比嘉を見た。
比嘉は口の端を引き上げたまま、こちらをまっすぐに睨んでいる。
ピロン。
渡慶次はダウンロード完了の画面を彼に見せてから、
バンッ!!
スマートフォンを机に叩きつけた。
その瞬間――――。
「え?」
渡慶次は声を上げた。
真っ暗な教室。
手に今しがたまで握っていたスマートフォンはない。
「停電!?」
誰かが悲鳴を上げ、
「いやいや、朝だぞ……?」
誰かが突っ込む。
そうだ。
数秒前まで煩わしいほどの朝陽が差し込んでいた。
皆が一斉に窓の外を振り返る。
「暗……!」
「は?夜?」
「どうなってんの……?」
皆がそれ以上の言葉を発せない中で、
「あれ……!」
後ろにいた前園が黒板を指さした。
「――――」
渡慶次は息を飲んだ。
そこには、確かに今の今まで書かれていなかった文字が浮かび上がっていた。
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