手首にヒヤリとした冷たく固い感触を感じながら、クグッと力を入れて横向きに引っ張る。
縦向きに引けないのは恐れからだろうが 、そんな自分が情けなく思える。
力に負けた皮膚がパックリ割れて、血がわらわらと出てくるのを、ぼぅっと見つめる。
幸せな気持ちにさせてくれる脳内物質が溢れるのか、気分が良くなって嫌なことも脳の隅に追いやって、忘れた振りができる。
カッターをハンカチで拭いてから、暗くなってきた空の下で、垂れ流しの状態で黄昏る。
自室は四人部屋で人目があるし、その他鼻が良い先輩が沢山いるから、始めは場所を探し迷って疲れていたが、最近は学園の裏にある森の崖に座ってするようになった。
真下が海だから地面が血で汚れてバレることもないし、何より景色が綺麗でいつの間にかお気に入りスポットになった。
「あ~ぁ、これ絶対風呂で滲みるな。」
じわじわとようやく痛みだすソレを見て、俺は心底安心してしまう。
ポケットティッシュを取り出して、ゆっくり拭いてから大きめの絆創膏を貼る。
「この絆創膏のペタッてなるとこ、痛いしヤなんだよなぁ」
なるべく大きめのを選んだが、若干足りなそうなのを見て、次はガーゼとかにしてみるかと早歩きでオンボロ寮に向かう。
監督生は基本的に自由に入ってどうぞタイプなので、少し前に掃除した部屋に勝手に入って椅子に座る。
オンボロ寮は埃っぽいけど、ハーツみたいに冷たくて固い床じゃなくて、木材の床だから何か好きなんだよな。
電気も付けずに暗い部屋で深呼吸をすると、やはり此処は落ち着くなと再確認する。
目を閉じて何度も繰り返している思考に目を向ける。
部屋には自分が居ない、と錯覚するような冷たい空気と響かない声が薄暗闇に呑まれていく。
「かぇりたく…なぃ……」
ポカリと空いた傷口から、泥々とした情けない気持ちが溢れるように、何かがジワッと滲んだ。
時折賑やかなハーツラビュルから、逃げたくなることがある。
それは勝手に盗み食いをしたとか、ハートの女王の法律を違反しただとかではなく、単純に……疲れるからだ。
本来求められるキャラとは程遠い自分の姿に、酷いなとは思うが治すことは出来ない。
とりあえず目を閉じて、背もたれに頭から背中の全てを任せて、俺は眠りに落ちた。
授業中眠い目を何とか起こしながら、授業内容を聞き流していると、開いていた窓から青色の鳥が俺の目の前に舞い降りた。
白い手紙を咥えたまま、ジッとこちらに視線を寄越す。
動物言語は習っているが、ほとんど共通語のない鳥と会話するのは、かなり億劫だ。
俺が後ろの端にある席に座った為、先生も気付かないし、マブは言うまでもなく寝ている奴と、熱心に聴こう……とはしている奴と無駄に内容の濃い教科書をペラペラしている奴で構成されているので、動物言語が分かる訳がないと、諦めた。
授業中だし…と先程まで聞き流していたことを棚にあげて、ジトリと見つめる脳内の俺に意味の無い言い訳を並べて、鳥の方に目を向ける。
言語は分からずとも、行動で読めることはある……つまり、鳥の咥えている手紙を受け取った。
青色の鳥がその場を動かずに、こちらの行動をそのつるりとした瞳で、観察しているのを見て、不思議に思いながらも手紙に視線を戻す。
透明な色と一緒に、少量の青が入った水のようなシーリングスタンプの中に、銀色で塗った鳥が羽ばたく様子が描かれている。
キラキラと光る手紙に躊躇いながらも、後付けされたソレを取り外して開いてみると、綺麗な透明感のあるインク達が、滲まないように隙間を空けつつ几帳面に並んでいる。
インクの感じからして、最近マジカメ内で話題のガラスペンを使って執筆されたものだろう。
ここまで見て確信する。
これを書いたのが、どこかの可愛らしい女の子であると言うことを。
いや、もしかしたらマジカメ中毒の先輩のような人物なのかもしれないが、文章を読めば分かる。
“エースさんへ
初めまして。
突然手紙を送ってしまって、すみません。
どうしても貴方に伝えたくて書いたのですが、会ったことが無いので驚かれたと思います。
単刀直入に言います。
貴方が好きです。
貴方に一目惚れしてしまい、使い魔の青い鳥にお願いして届けて貰いました。”
一旦手紙を置いて、お前使い魔だったのかと、青い鳥に目を向ける。
青い鳥は首を傾げて、落ち着いた様子で机の上に座って、こちらが読み終わるのを待っている。
“貴方に一目惚れしたのは、マジカメに投稿された動画を観たことがきっかけでした。
投稿されていく色んな貴方を観ていると、感情移入しながらも、貴方と話したくて堪らなくなりました。
子供みたいなきっかけだと言われるかもしれませんが、本当に恋をしてしまったのです。
貴方に逢いたい。
是非ロイヤルソードアカデミーに来て頂けませんか? “
RSAはNRCと関係が悪く、多くの学生達が敵対している学校である。
そこに行くとなると……どうしようかと頭を悩ませる。
外出許可を貰うためには、何処に行くのか聞かれるのは当たり前。
つまり自分がRSAに行くと知られると、面倒な事になるのは目に見えて分かる。
それに内通者だとか何だか噂されるのは、気分が良いものでは無いし、いや、しかしRSAには女の子がいる!
そう、これを書いたのは女の子で間違いないと分かった今、周りを恐れて距離を取っていたら、恋人なんて出来る訳がない。
……行こう。誰に何と言われようと……俺の恋を邪魔するなぁ!!!!!
荒ぶっている俺に賛同する俺という、奇妙な構図を取った脳内のまま、手紙の続きを読みつつ作戦を練る。
“お互い敵対する学校でも、個人にはこんな風に手紙を送ったって良いでしょう?
もし、エースさんの学校に恋人がいらっしゃると言うならば、諦めるつもりでいます。
その時は手紙を捨てて、使い魔を見送ってあげて下さい。
それまで、貴方を待っています。
ロイヤルソードアカデミー生より”
何か勘違いしているようだが、この学園は女の子が居ない完全な男子校だ。
つまりこちらの情報にほぼ全く興味のない、敵対意識のない女の子だと確定したことになるので、俺は思わずスキップしたくなった。
……が、授業中なのと自分が椅子に座っていることに気が付いて、ソッと思考を閉じた。
青い鳥がまだこちらの様子を伺って居るので、安心させるような感謝を添えて頷いた。
手紙をそっとポケットにしまって、授業が終わるのを待つ。
青い鳥は休憩がてらに目を瞑って、撫でるのを許してくれている。
(可愛いなぁ……ペットとか案外良いかもな)
授業が終わり、マブも周りも賑やかに話し始めると、席を立って鳥にソッと小さく指示をした。
「中庭の方で待ってて、 ?」
鳥の言語じゃないから、もしかしたら通じて無いかもしれない。
だが、鳥は教室の窓から、高度を下げながらゆっくり飛んでいたので大丈夫だろうと、授業道具を小脇に抱え、一人で庭の方面に急いだ。
小走りで階段を下りて、たどり着いた中庭の真ん中を見ると信じられない光景が広がっていた。
先程まで隣で待っていてくれた青い鳥が、
死んでいたのだ。
血が流れている中心に矢が刺さっている、死因はすぐに分かった。
何処からともなく現れる、全肯定bot狩人に狙われてしまったのだろう。
「ボンジュール!ムシュー・ハート、ここらに何かようかい?」
真後ろに居たのかと、ぐちゃぐちゃな腹の内を隠すようにヘラッと笑って、分かりきった答えを問う。
「これ、ルーク先輩が殺ったんすか?」
「あぁ、そうさ!青い鳥は珍しかったからね!……でも、恐らく誰かの使い魔だろうね止血をしておかないと……」
先輩の話からして、青い鳥はまだ死んでいないのだろう。
死んだというのは早とちりだったが、どう見ても俺には、死んでいるように見えてしまう。
「先輩……止血をし終わったら、その子返して貰えます?」
「……。君の使い魔なのかい?」
「いや、俺の友達の使い魔なんですよ。……今日会いに行くので、その時に俺が謝っておきますね。」
「今日の君は随分と……いや、そうだね、お願いしよう。代わりに君が叱られないよう、きちんと事実を話しておくれ!」
「分かってますよ。……止血出来たみたいなので、さようなr」
急にパシッと左腕を掴まれ、痛みにビクリと驚いて振り返る。
「すまないね、やっぱり今回は譲ってくれないかい?……少し用が出来てしまってね……」
「や、でも」
「勿論元気になったら、お友達に返すと約束するよ!……そのお友達の名前と居場所を教えてくれるかな?」
「いや、あの………………。」
少しだけ渋ったが、うっすら香る美人の圧に耐えられず、口を開いた。
「……ロイヤルソードアカデミー……名前……名前は……」
あれ?名乗って無かったよな……
そう思ってポケットにしまっていた手紙を取り出して、もう一度読み直す。
……やはり、名前が書かれていない。
ルーク先輩は俺が取り出した手紙を、隣で盗み見していたらしく、突然一人で会話をし始める。
「……なるほど、そうだね、この学園に居るとこういう手紙を貰うのは珍しいから、嬉しくなってしまうよね。」
「でも、これは駄目だね。」
「……?」
自分の脳内で会話をしているのだろうか、変な人なのは、最初から分かっていたので今更焦ったりはしない。
……いや、たまにおかしくなったのかと焦る瞬間はあった……気がする。
長々と説明口調で称賛しつつ話す彼の声は、淡々としていて、何だかいつもより変だった。
「君の優しい嘘はとても素晴らしいものだけれど、……」
集中が途切れてしまった俺は、とりあえずで聞き流し、青い鳥のことは任せることにした。
どうせ何を言ってもしつこく説得してくるのだろうから、大人しく身を引くのが正解だ。
「それじゃ……お願いします。」
会話を終わらせた後に教室に戻ると、ガラリとしていて、次の時間が別の場所であることを思い出した。
授業を受ける気力も、元々から無かったとはいえ薄れてしまった。
なので、窓から少しだけ離れた比較的暖かい席に座ると、何処からか聞こえる鳥のさえずりを耳にしながら、スッと目を閉じた。
こんなこと分かっていた。
この学園は様々なヴィランの卵達が眠る……いわば魔窟だ。
おとぎ話のような愛や恋をして、皆に称賛されるあっちの学校とは訳が違う。
いとも簡単に小さな動物の命さえ奪ってしまうのだ。
あちらからしたら、適当な扱いをした覚えは無くとも…………何故自分の魂がこちら側に分類されたのか、強く理解出来た。
勿論イイコちゃんばかりの学園はつまらないという性格でもあるだろうが……この鳥とは先程会ったばかりだったからだと思うが……それでも……
「見つかったかと思った……」
自分でも最低だと自覚しているが、鳥から血が流れていて良かったと思った。
ルーク先輩は勘が鋭いうえに、五感を最大限使って観察する人なので、もし鳥の血が流れていなかったらバレていたかもしれない。
一応プライドはあれど、噂などされなければ別に知られてもいいのだが、知った人間も俺も気分が良いものでは無いだろう。
「しんど……」
閉じていた目を開いて、窓から覗く景色を眺めながら、小さく呟く。
頭の中に空白が出来たみたいに、ゾワゾワとする。
でも俺さ、あの青い鳥を何度も見かけたような気がするんだよ。
目が覚めると場所が変わっている、なんてことは無く、いつもよりガラリとした教室の空間が、変わらず広がっていた。
体を起こして伸びをすると、時計を確認して今の時間帯が、完全な放課後だということに気が付いた。
「あーぁ、やっちゃったなぁ」
部活にも行かずに、授業放棄のまま寝ていたという事実に少し呆れるが、いつものような焦りは微塵も沸かなかった。
それどころか、心地よい空気感と此処等では珍しい静かな時間に、癒されてしまう。
眠気は問うに消えていて、ハッキリとした状態の筈が、何故か頭の中は目の前にフィルターがあると錯覚するような、ぼんやりとした風景を映す。
突っ伏した体制で寝ていた為か、首や肩の凝りが酷く、髪の毛も若干癖がついてしまっている。
「体育館……面倒だな」
ガランとして淋しげな教室を出て、ガヤガヤと賑やかな廊下を、覚束ない足取りで歩いていく。
「ぁ、エース!お前何処行ってたんだ?」
「急に居なくなったから心配したんだゾ」
何だか声を出す気力もなくて、ソッと視線を監督生に向ける。
こうすると監督生は別の話題を振ってくれるので、その間に自寮に向けて進んでいった。
「off with your head ……」
それはいつものように、怒りに任せて並べられる魔法とは違い、ゆっくりと言葉を紡ぐような静かなものだった。
和やかな雰囲気には似合わないが、いつもよりは幾分かマシな首輪のカシャンと閉まる音が聞こえ、魔法に首を絞められる。
寮長が首輪に付けられた、取っ手のような部分に、手を軽く滑らせてギュッと掴んだと思ったら、俺は勢い良く引き寄せられた。
「おわっ、っだ、!」
突然のことで身体が対応できず、跪いたまま寮長に抱きしめられてしまった。
「心配したんだよ。……エース」
「……あの、寮長…先輩達見てるし、離して貰えません?」
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