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『皆様、本日はお忙しい中、セゾンエスペース暮らしの体験会にご参加いただき、ありがとうございます。
今から向かいます、セゾンエスペースホールには、約20の体験ブースをご準備しております。
台風、錆び、紫外線、カビ、シロアリ、あらゆる家のトラブルを学びながら、セゾンエスペースが誇る住宅性能の高さを確かめていただければと思います』
渡辺がアナウンスすると。バスの中からは拍手が起こった。
『長い旅になります。何かございましたら、いつでもお気軽に添乗スタッフ、または営業スタッフにお申し付けください』
紫雨はシートに深く座ると、いつもの癖で足を組んだ。
「紫雨さん、まずいと思いますよ」
隣から林が静かに言う。
「ちっ」
舌打ちをしながら足を伸ばすと、前のシートの間から篠崎と新谷が見えた。
「そういえば、プログラムは配ったか?」
篠崎が新谷の耳に口を寄せる。
「あ」
言いながら新谷がガサゴソとファイルを捲ると、そこには人数分のプログラムが入っていた。
篠崎が軽く新谷の頭を叩く。
「す、すみません……」
新谷が項垂れる。
「いーよ。次のサービスエリアの休憩の時に席に置いていけ」
「はい」
「2号車のは若草にやらせろよ」
「……」
新谷が黙る。
「いえ、俺がやります」
「強情だな……」
篠崎は呆れて新谷を見た。
「無駄な喧嘩すんなよ。あいつだって曲りなりともリーダーだぞ。次期マネージャーになる男だ。
隣の展示場なんだから、仲良くしとかないと、ゆくゆく困るのはお前だぞ?」
「……すみません」
ますます項垂れた新谷の後頭部を見る。
(……悪いことをしたな)
紫雨はふっと目を逸らした。
新谷にはひどいことをしてばかりだ。
新谷がゲイであることは、林との行為を見られた時の瞳の動きですぐさま分かった。
あれは、男性との行為を見たことがある、または経験がある人間の視線の動きだった。
そして、唇を合わせてみると案の定こっちの人間だった。
新人嫌いの篠崎に珍しく可愛がられている新谷が癪に触り、地盤調査でちょっかいをかけた。
渡辺から連絡を受けるであろう篠崎が現れるかは半信半疑だったが、それでも彼は現れた。
そしてそれは天賀谷展示場で新谷に手を出した時も同じだった。
ーーここまでする?ただの後輩に。
その予感は確信に変わりつつあった。
篠崎は男もいけるのではないか。
どうしても確かめたくて、新谷に篠崎に告白するように焚きつけた。
しかし彼は、自分が想いを伝えることよりも、篠崎の幸せを願い、門倉美智に連絡を取るという暴挙に及んだ。
門倉美智が独身であること、恋人も作らずただ静かに実家で暮らしていることは、事前に両親にアポを取ったときに知った。
それでも会いに行こうとした新谷を一度は止めたが、彼の意思は変わらなかった。
門倉美智からの呪いのような手紙を篠崎に見せられた。
その衝撃は、自分の気持ちに気づいていなかった篠崎より、新幹線でこっそり読んだ新谷より、自分が一番大きかったと思う。
ーーー篠崎が、新谷を……?
どうしても確かめずにはいられなかった。
篠崎が男も恋愛対象として見られるのか。
性行為が出来るのか。
しかしそれを確かめた瞬間、篠崎と新谷は―――。
「俺も間を取り持ってやるから。あとから形だけでもいいから謝れ。な?」
「はい」
篠崎が新谷の小さな頭をポンポンと撫でる。
「………」
「痛っ」
紫雨は林との間にあるひじ掛けを乱暴に下ろし、そこに肘を付くと、頬杖をついて目を閉じた。
「この霧吹きで2つの障子を濡らしてみてください」
夫婦に霧吹きを握らせ、交互に障子に水を掛けてもらう。
「はい、そのくらいビショビショにしていただければ十分かと思います」
二人の手から霧吹きを受け取ると、紫雨は人差し指を二人に見せた。
「それでは思う存分、この障子に穴をあけてくださいね!どうぞ!」
言うと、二人はくすくすと笑いながら、その障子に指を突き刺した。
片方は予想通り穴が開く。
しかしもう一つの障子は、穴が開くどころか、しなりさえしない。
「ええ、どうして?」
「不思議だねえ」
夫婦は顔を見合わせて微笑んでいる。
「これがセゾンエスペースオリジナルの障子です。紙なのにここまで耐久性が高い障子はどこにも売ってないんですよ」
にこやかに話してから、紫雨は夫婦にバレないように小さく息をついた。
体験会に参加するのは、通算20回以上にもなるが、何度来ても慣れない。
しかも他人のお客様を案内するとなると、プレッシャーはいつもの倍以上だ。
「あ、耐震実験が始まりますね。貴重品などは私が預かりますので、このバックの中に入れてくださいね」
言いながら、地震装置まで誘導したところで、正面から若草が客を連れながら来たのが目に入る。
「—————」
「—————」
無言のにらみ合いは一瞬で、すぐさま二人は互いの客に向き直った。