時庭展示場に戻ると、渡辺が自分の席で弁当を広げていた。
「あ、お帰りなさい。結構かかりましたね、マネージャー会議。緑茶淹れますけど、篠崎さんも飲みます?」
「ああ」
篠崎は周りを見回した。
小松と、あとは昼休憩で帰ってきている猪尾がいる。
「その前に、ちょっといいか?ナベ」
「え、あ、はい」
渡辺は勘良く察し、一度広げた弁当箱に蓋をして、立ち上がった。
展示場に行くと、リビングのソファに腰かけ、渡辺にも促すと、篠崎は膝に肘を付けて前屈みになり話し出した。
「時庭展示場は、春で取り壊しが決定した」
言うと渡辺は小さな目を一瞬見開いたものの、ふっと肩の力を抜いた。
「なんだ、そんなことですか」
言いながら微笑んでいる。
「篠崎さんが深刻そうな顔で帰ってくるから、何事かと思いましたよ」
「………」
篠崎はなんだかんだ、3年以上、一緒に時庭展示場でやってきた部下を見つめた。
苦楽を共にしてきたと言えば、大げさだろうか。
しかし来客数が全国平均の半分以下である時庭展示場で、一度もペナルティを受けずに定期的に受注を重ねてこれたのは、他でもない渡辺自身の実力だ。
「それで?俺のこと、連れてってくれるんですよね?篠崎さん」
渡辺は胸を張って上司を見つめ返した。
「どこにでも、ついていきますから!!」
その言葉と迷いのない笑顔を見て、篠崎は目頭が熱くなってきた。
「八尾首って知ってるか?」
「どこですか、それ」
渡辺が笑ったまま眉を潜める。
「県北にできる新しい展示場だ。通いは無理だぞ。片道高速で2時間はかかる」
渡辺には彼女がいる。
しかも体の弱い彼女が。
彼が断わるなら仕方ない。
県北に近い展示場から若手を数名引き抜いてくるしか……。
「そうですか。県北っていったら、梨が有名な地域ですよねー。うちの彼女、梨が好きなんですよ」
渡辺はホクホクと笑った。
「結婚するし、ちょうどいいかなー」
「……は?」
「え?」
「何て言った?」
「言ってませんでした?」
渡辺は肉のついた顔を揺さぶって笑った。
「俺、結婚します、マネージャー!今年中に籍だけ入れようと思って!」
「…………」
突然のことで言葉が出てこない篠崎を渡辺は笑った。
「タッチの差で、俺の方が先でしたね!」
言いながら自分の胸をグーで叩いている。
「……そうか」
「はい!」
「…………」
篠崎はやっと一息つくと、頷いた。
「……おめでとう。ナベ」
「ありがとうございます!」
言いながら渡辺は、卓上カレンダーを指さした。
「12月12日に入籍します。1、2、1、2、って二人三脚で歩んでいけるように!」
促されるように篠崎もカレンダーを見つめた。
(………二人三脚か。そうだよな。夫婦はそうじゃないと。二人三脚で一歩一歩、二人で協力しながら、進んでいくんだ)
そしていつの間にか子供が加わって、三人四脚になり、四人五脚になり、そうして命を繋いでいく。
その可能性は、今、確かに、あいつにもある。
さきほど、あいつの凍り付いた顔を見て揺るぎかけた決心が、篠崎の胃袋にすとんと落ち着いた。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!