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蜂谷は処置室の上で赤く光る【使用中】の表示灯を見上げ、ため息をついた。
5人のミナコちゃんの中にナイフを持っていた人間がいたのか。
それとも用具室の外でも他の奴らとやり合ったのか。
とにかく右京は脇腹を負傷していた。
図らずも、自分がまだ顔も見ぬ家庭教師についた嘘と同じ状況に、蜂谷はため息をついた。
「蜂谷……!」
ランニングでもしてきたような白シャツに短パンの諏訪が、病院に駆け込んできた。
「右京は?」
「誰が来いって言ったんだよ。保護者に連絡しろって言ったんだぞ、俺は」
睨むと、諏訪は顔中の神経を引きつらせて、蜂谷の胸倉を掴み上げた。
「うるせえ!右京はどうなったかって聞いてんだよ!!」
つま先が浮くくらい引きつりあげられ、蜂谷は思わず諏訪の顔を見つめた。
「刃物で刺されたらしいって」
「それは聞いた!内臓までいってんのか?出血の量は!?」
諏訪は今にも噛みつかんばかりの形相で叫んだ。
「あいつは助かるのかっ!?」
「んな……大げさな……」
蜂谷は思わず口の端を引きつらせた。
「刺されたことにも気づかなかったほどのケガだぞ?」
「――――っ!!」
諏訪は思い切り蜂谷を床に投げ捨てると、その赤い頭を掴んで叫んだ。
「お前と関わると、あいつは命がいくつあっても足りない!!」
―――そんな人を悪魔のように……。
蜂谷は目を細めた。
「俺は何もしてねえよ。ただ永月が―――」
「他の誰とか関係ねえ!」
諏訪が尚も叫ぶ。
「結局、黒幕が誰であろうと、右京はお前を助けようとして怪我を負うんだよ!そしてそれに気づけないで、今回みたいにいつかきっと!!」
「ここは病院ですよ?」
その声に振り返ると、看護師長がこちらを睨んでいた。
「蜂谷君。こんな形でまた会うなんて、残念ですね」
師長は悲しそうにそう言うと、諏訪と蜂谷を交互に見ながら話を続けた。
「右京さんの処置、無事終わりました。保護者の方はまだですか?」
「―――あ、いや」
諏訪が歯切れ悪く答える。
「保護者は、祖母が一人しかいません。ちょっと精神的に問題もありまして。下手に心配をかけられません。せめて容態がわかってから連絡をと思って―――」
言うと彼女は小さく頷きながら諏訪を見つめた。
「あなたは?」
「友人です」
淀みなく答える諏訪に、一抹の羨ましさを覚える。
蜂谷はふうと息をつくとベンチに腰を下ろした。
「わかりました。じゃあ説明します。
右京さんは脇腹を左後方から鋭利な小型ナイフまたはカッターのようなもので刺されていました。
出血が多かったので、輸血を行い、縫合して今は麻酔で眠っています。
命に別状はありません」
師長の言葉が終わると、諏訪は全身の力が抜けたようにベンチに座り込んだ。
「しかし」
と師長はその顔を覗き込んで続けた。
「あと数センチ右にずれていたら、腎臓に当たっていたし、運悪く副腎静脈を傷つけていたら、出血多量で死亡していた可能性だってあります。
本来であれば警察に言うべき案件だと思いますが、当院は医院長の方針で本人や家族に委ねることにしています」
そう言いながら蜂谷を見つめた。
「―――わかりました」
諏訪はもう一度立ち上がると、師長に深々と頭を下げた。
彼女は大きくため息をつくと、自分より頭一つ分も大きな諏訪を見上げた。
「麻酔が効いていますので起き上がれませんが、あいにく満床です。今日はここで休ませて、明日の早朝、連れてお帰り下さい。何かあれば、ナースコールで呼んでください」
そう言うと彼女はナースシューズの音を響かせながら、医局に向けて去っていった。
諏訪はガタンと大きな音を立てて、再びベンチに座ると顔を覆った。
「―――よかった……!」
「…………」
その横に腰掛けながら蜂谷は諏訪が言葉を発するのを待った。
大きく呼吸を繰り返し、ポケットからティッシュを取り出して鼻を啜った後、諏訪はまた大きなため息をついてから、やっとこちらを振り返った。
「やったのは、また永月か?」
「―――またって。学園祭の、気づいてたのか?」
蜂谷が目を見開くと、諏訪はふっと鼻で笑った。
「いや、気づいてたというより。そうだろうなーと思っただけだ」
言いながら諏訪は拳を握った。
「俺と永月、背が同じなんだよ」
「―――は?自慢?」
177㎝の蜂谷は、自分より5㎝は背が高いであろう諏訪を睨んだ。
「だからわかるんだよ―――。もし右京と一緒にいたら。しかもあいつを狙ってるやつがどこかにいるかもしれないって思ったら。道行く人々の大半を見下ろせる俺たちは、気づかないわけがない」
「――――」
「もし学園祭の日。あいつの隣を歩いていたのが俺だったら。絶対に目の前で拐われたりしなかった。だから―――」
諏訪の切れ長の目がこちらを睨む。
「あいつが仕組んだんだろうと……」
「それだけ?はは。おっかねー奴……」
蜂谷は諏訪から目を逸らしながら、腰をずらして座り直した。
「――――」
「…………」
「あいつのこと。どこまで知ってる?」
諏訪が発した言葉に、蜂谷は振り返った。
「どこまでって―――。昔ヤンキーだったことか?」
「……それ以外は」
諏訪は正面を向いたまま淡々と質問を繰り返した。
「それ以外?―――めちゃくちゃ喧嘩が強いこととか?」
「――――」
蜂谷がそう言うと、諏訪はなぜか黙り込んでしまった。
遠くのナースステーションで、ナースコールのブザーが聞こえる。
女性の話声。
キュッキュッキュというシューズの音。
「なんであいつが、喧嘩が強いかわかるか?」
諏訪は、今度はちゃんと蜂谷を振り返っていった。
「―――運動神経がいいから?」
「それもある」
「―――少林寺拳法の有段者?」
ふざけて言う。
諏訪は、大きく息を吸った。
怒鳴られるのかと思いきや、彼は吸った空気を細く長く吐き出した。
やがて肺が空っぽになり、吐き出す空気が無くなると、諏訪は静かに息を吸い、言い放った。
「あいつは―――。右京の身体は今、痛覚が機能してない」
「――――?」
一瞬言われている意味が分からなかった。
つうかく……
痛覚……?
「―――つまりあいつは、自分で自分に手加減ができないんだ」
諏訪はそう言うと、手で顔を覆いがっくりと頭を垂れた。