一番の原因は、三ヶ月に一度の間隔で訪れる、『オメガの発情期』だ。
俗にヒートと呼ばれるその現象は第二次性徴を迎えると必ず現れるもので、男女ともに子を成すことができるオメガは発情期に入ると約一週間の間、全身から甘い香りのフェロモンを発してアルファを誘うようになる。そして盛りのついた猫のように、繰り返し性交を求める獣となるのだ。そういった姿が浅ましく映るとのことでオメガは汚れた慰み者と呼ばれ、近代までずっと迫害の対象となっていた。
だがそれも昔の話。今では発情を抑える薬が多種に渡って開発されたため、自我を失うこともなくなったし、ヒートの時期を調節することだってできるようにもなった。随分とオメガが暮らしやすい時代になったのだが、それでもこの男のように昔の名残を引きずったまま生きている者もまだ多い。マフィアの世界は特に、だ。
「そう、なら商談が終わった後にまた改めるよ」
セイは男にこれ以上関わるまいと、踵を返そうとする。しかし掴まれた腕は、痛みを訴えたままだった。
「まだ何か?」
「お前、自分の立場をきちんと弁えてるのか? 少しばかりボスに気に入られてるからっていい気になりやがって。いいか、お前の本来の仕事は俺たちアルファに足を開くこと。それをちゃんと頭に入れておけ」
オメガに対するあからさまな嫌悪。この男はオメガ絡みで何か嫌なことでもあったのだろうか。なんてことを考えながらも決して冷静さを失わず、かつ考察も加えながらセイは平穏にやり過ごす手段を思案する。
できれば早くこの手を振りほどいて、この場から立ち去りたい。でないと――――。
脳裏に浮かぶ厄介な光景に、セイの眉根がわずかに寄る。
執務室の扉が内側から開いたのは、その時だった。
「セイっ!」
中から明るい声とともに出てきたのは、狼のような金色の目と人懐っこそうな表情が印象的な青年で、彼はセイを目にするなり子どものように瞳を輝かせ、笑顔を咲かせた。
「やぁ、セイおかえり」
「ヴィー」
「ヴィート様っ」
突然現れたドンの姿に、セイと同時に声を出した男の顔が恍惚に染まる。
きっとこの扉番はシチリア一と言われる巨大ファミリーを束ねるヴィートに、心底惚れ込んでいるのだろう。顔を見ただけで読み取れた。
しかしヴィートはセイを見つめたまま、門番の男には一切目を向けない。
「帰ってきたなら、すぐに顔を見せてくれればよかったのに。俺、深刻なセイ不足で死にそうだったんだよ?」
「視察で一日空けてただけでしょう? 大げさだよ」
「一日だって十分長いよ! 信じられないなら、昨日の俺がどれだけ使い物にならなかったか、事細かに説明してあげようか?」
「謹んで遠慮しとく」
何故帰ってきてすぐにドンの無能ぶりを聞かされなければならないのだ。はっきり言ってごめんである、とセイは温かみのない笑顔をヴィートに向ける。
「酷い! セイが俺に冷たいっ! ねぇ、もう俺に愛はなくなったの? だから君はこんな近距離で浮気なんかするの?」
するとヴィートはイヤイヤ、と駄々を捏ねる子どものようにダークブラウンの髪を左右に揺らし、泣いた振りまで見せてきた。
ファミリーの長ともあろう人間が何と情けない。いや、それよりも今年二十三を迎えた成人男子の泣き真似なんて、正直直視したくない光景だ。彼が、同い年だなんて信じられない。
「何言ってるの、僕が浮気するわけないだろ? ってか浮気って何? そもそも僕たちはそういう関係じゃ……」
「うん、そうだよね。俺がセイを愛しているのと同じ分、セイも俺のことを愛してくれているもんね」
どうやら話を聞く気はないらしい。生まれた時からの付き合いであるがゆえ大体は予想していたが、どこぞの付き合いたての恋人同士だという甘ったるい台詞に、セイは呆れた顔を浮かべる。が、次の瞬間、舞台劇の早替えのようにヴィートの柔らかな笑みが、冷刃のごとき微笑に変わった。
「で、君はいつまで俺の宝に触れてるの?」