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居酒屋の前をフラフラと歩いていると、後ろから大きなRV車がクラクションを鳴らした。
「久しぶりじゃん、連絡くれるなんて」
「ああ…」
言いながら助手席に乗り込むと、紫雨は運転席からのり出してシートベルトを締めてくれる男を見つめる。
(あれ………こいつってこんな顔だっけ?)
名前はかろうじて憶えているが、容姿はうろ覚えだったのは確かだが、見たらすぐ思い出すと思っていたのに。
浅黒い肌に、肩の筋肉が盛り上がっている、男らしい体型だ。
(わかんねえな……)
でも紫雨の着信履歴から見ると、半年以上会っていない相手だ。その間に変貌していても何の不思議もない。
「ヒデ。元気だった?」
男が聞く。
「ああ、変わんねえよなんも」
そう。何も変わらない。
あの男が遠くに行ってしまったこと以外はーーー。
「ごめん、煙草吸っていい?」
「あー、どーぞ」
言うと、男はコンソールボックスから煙草を取り出し、一本咥えて火をつけた。
「…………」
髪の毛には煙草の匂いが付くだろうが、幸いにして明日は休みだ。
どうにでも――――。
「…………!」
紫雨は目を見開いた。
その匂いには覚えがあった。
アジア系の雑貨店で炊かれているお香のような匂い。
ガラムだ。
「…………」
半年前、紫雨は、そのガラムを吸う男に、レイプ紛いの行為をされ、危うく肛門科のドアを叩くところだったのだ。
おそるおそる視線を隣に走らせると、ハンドルを握ったまま男はこちらをまっすぐに見ていた。
「半年前、あんな目にあっときながら、俺のところに連絡をよこすなんて、今日は相当酔っ払ってたんだなー、あんた」
「お………降ろせよ」
柄にもなく声が震えた。
「こんな夜中に呼び出しといて、それはねえだろ」
男の浅黒い顔が歪んだように笑う。
「楽しもうぜ。セゾンエスペース、天賀谷展示場マネージャーの紫雨さん?」
慌ててスラックスのポケットを探る。いつの間にか名刺入れが盗まれていた。
「………っ!」
男が口の端を上げて笑うと、並んだ金色の歯が光った。
「…………く………」
紫雨はアスファルトの上に倒れこんだ。
「くっそがあああああ!!」
紫雨はすでに枯れ果てた喉で、無理矢理叫んだ。
自分の1.5倍はあるだろう体重の男に羽交い絞めにされ、玄関先で好き勝手に犯された。
無駄に抵抗したせいで、框に脛を打ち、シューズクロークに頬を打ち、フローリングに頭を打ち付けられた。
男が3回目に果てた瞬間を狙って股間を蹴り上げ、2階の廊下から自転車小屋の屋根に飛び移り、そこから飛び降りて命からがら逃げてきた。
聳え立つ市営住宅の団地の真ん中にある、潰れた牛丼屋の駐車場で、紫雨は力尽きて寝転がっていた。
閉店してしばらく経つのだろうか、アスファルトをところどころ突き抜けて雑草が生えている。
体を裏返して仰向けになる。
「ケツいってぇ………」
いままでがむしゃらに逃げてきたくせに、一度寝転がってしまうと、右に捻っても左に捻っても臀部に激痛が走った。
マンションの自室には一応専用の軟膏が準備してあるが、それで事足りるレベルだろうか。
痛みに滲んだ涙で潤む瞼を開ける。
「なんで、こんなときに……」
紫雨はその空を睨みながら思い出した。
◇◇◇◇◇
「新谷君。見てくれる?」
あれは彼が天賀谷展示場に来たばかりのころだった。
まだ借りてきた猫のように固まっていた新谷を、少し解してやろうと、紫雨は頻繁に横に座る彼に話しかけていた。
「なんですか?」
「俺の着歴」
新谷が時雨の携帯電話を覗き込む。
「ジョニーテップ……?ですか?」
”ジョニーテップ”の文字が上から下まで埋め尽くす着信履歴を見せた後、紫雨はそれを胸ポケットにしまった。
「俺の客。毎日何回も電話かけてきてさ」
「ジョニーテップさんがですか?」
「バーカ、違うよ。お客様名は狩野さん。でもあまりに毎日かけてくるから、だんだんムカついてきて。俺、若い時のジョニーテップ好きだからさ。彼からの電話だと思えば耐えられるかと思って」
「あ、なるほどです!」
新谷はキラキラと目を輝かせた。
「名案ですね!」
「だろ。でも困ったことに、同じ理由でハリソンフォートと、レオナルドテカプリオと、ネルギフソンもいるから、ワケわかんなくなるんだよね」
「……なんかチョイスが古くないですか?」
「おい。馬鹿にしてるな?」
「ははは!」
こんなつまらない話しかできない自分と、つまらない話でニコニコ笑ってくれる後輩との関係が、意外と好きだった。
「新谷君はストレスたまったらどうしてんの?」
試しに聞くと、
「俺は……」
新谷は思考を巡らせるように右斜め上を見た後、小さく頷いてこう言った。
「人並ですけど、星を見ますかね」
「は?」
紫雨は予想外なその言葉を聞いて笑った。
「それ、マジで言ってんの?」
「え、マジなんですけど」
新谷は思い浮かべるように言った。
「小学校の時にいったキャンプで星空を見て、俺、感動して。
そうしたら連れてってくれた親戚のおじさんが、聖書の1節を教えてくれたんですよ」
「こわっ!聖書?」
紫雨は茶化したが、新谷は大真面目で頷いた。
紫雨は、誰もいない、団地の灯りも消え切った駐車場に一人寝転がって、夜空を見上げた。
「『どんな暗闇も、光には打ち勝てない』」
新谷から教えてもらった言葉を呟く。
相変わらずケツは痛い。
ぶつけた脛も、打ち付けられた後頭部も、噛みつかれた首も、千切れるほど吸われた乳首も、潤滑油もなく力任せに擦られた股間も、全部全部痛い。
それでも………。
空には無数の星が散らばり、光を発していた。