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ども、主です。
今回は、共依存系を描きました。(今回は無し)
この話すごく長いので、分けて書きます。
にゃぽん 😺🇯🇵
日帝 ❤️🩹🇯🇵
妹のにゃぽんは、透き通るような白い肌が印象的なただの女の子だった。私が帰ってくると必ず玄関まで出迎えてくれる。「おかえり!」と嬉しそうに笑うその顔を見るたびに、少し照れくさくもあり、でもどこか誇らしい気持ちにもなっていた。
でも誰も予想していなかった。まさかある日を境に妹の裏の顔を知ることになるなんて。
事の発端は親の離婚だった。
離婚原因の大体は母親にあった。男との浮気や、ブランドのバッグを欲しすぎるあまり、生活費にも手を出すほど母親はおかしかった。
当時私は小6,妹は小4。
姉妹揃ってまともな父親の下で暮らしたいと訴えたが、その言葉は通るはずもなく、裁判所は親権を母親に引き渡した。
親権が渡った理由は、
・まだ自立できるほどの力を持っていない
・養育費は父親の週に収入で賄える
・生活の安定性
など、おとなの事情絡みで決まったにも過ぎない理由だった。
父親は諦めて、さよならの言葉も無しに悔しそうに裁判所を後にした。
それ以来父親には会っていない。
母親は嬉しいのか嬉しくないのか号泣し、こちらに何回も土下座までして謝った。
私と妹は父親に似て諦め早い性格だったため、もう決まったことだと諦め、母を軽蔑しながらも渋々3人で暮らしていくことになった。
半年経つまでは平和だった。
母親も、どんどん私達に時間を費やしてくれるようになった。その時はとても嬉しかったことを覚えている。だが、そんな平和もすぐに終わってしまう。
なんと、また母親が別の年下の男と関係を持ったのだ。男は、母親に似てクマがすごく、顔は中の上ぐらい。
しかも、母親はそれを父親だと言い張る始末。
ここからは男のことをKと呼ぶ。
母親は40代前後だったが、スタイルがよく、昔はかなりモテたらしい。
Kは最初は母親に性的に惚れ込んでいたが、すぐにその思いは形を変えて私達に向くようになった。
最初は返答に困るような質問や、少しくすぐってきたりするだけだったが、突然私に手を出そうとした。最初は少し抵抗するだけで拗ねて逃げるものが、1週間も経たないうちに強制的に犯そうとしてくるようになった。しかも外部に漏らさないよう脅され、家族なのかも怪しいくらい家にいない母親には到底言えなかった。
このことがあってから2ヶ月ぐらい経っただろうか。一番楽しみにしていた修学旅行がついにやってきた。旅先は定番の京都。
毎日犯されるかされないかの瀬戸際にあったことなど、忘れるぐらい楽しんだ。
そしてルンルンで帰宅すると、いつも通り妹が出迎えてくれた。
🇯🇵😺「お姉ちゃんおかえり!最後の修学旅行楽しかった?」
でも、なぜか今回は違う気がする。
それもそのはず、いつも疲れていた妹はそんなことなど吹っ飛んだみたいに、機嫌が良かったのだ。
しかも手には万札を握りしめて。
❤️🩹🇯🇵「にゃぽん、そのお札…どこで手に入れた?」
おかしいと思った私は、すぐに問いかける。
だが、返ってきた答えは最悪なものだった。
😺🇯🇵「Kさんから貰ったの!最初は痛かったけど、どんどん気持ちよくなって…静かにしてて偉かったねって。これでおいしいご飯食べに行きたい!」
帰宅早々私の心はどん底の闇に落ちた。
それは、生命の授業でそういう行為のことを少しではあるが学んでいたから。その時初めてお金が怖くなった。
さらに純粋無垢な笑顔がさらに恐怖心を引き立たせる。明かされてからは7分程トイレに閉じこもり吐いて泣いて吐いて泣いて吐いてを繰り返した。
ようやく精神が安定した頃には妹が私の好物だった抹茶アイスを持ってきてくれた。それでまた泣いた。
泣きまくって原型を留めていないほど顔がぐちゃぐちゃになった。
後で明かしてくれたことなのだが、妹は体を売ることや処女を失うことをよく理解した上で行為をしたらしい。実際妹は、学年では成績もトップクラスに良かった。きっと私よりも頭がいいだろう。
そこからだろうか。よくKと妹が行為を私の目の前でするようになった。時にはKの肉棒を咥えていることも。その時調子に乗ったKは「日帝ちゃんも一緒に気持ちよくなろうよ」と言ってきたこともあったが、その時は必ず妹がKを往復ビンタしたり、肉棒に勢いよく噛みついたりと私に謝るまでやめなかった。でも、行為だけは絶対やめてくれなかった。
今回はここで終わりにします。指痛い🫠
(1910文字)
挿絵