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入り口付近まで来て、後から誰も追いかけてこないのを確かめると、千晶は荒い息を繰り返している男を見上げた。
「あんたは!なんでそうなの?!」
青白い顔をして男が千晶の顔を覗き込む。
「あ、君、あのときの!!」
「あのときの!!じゃないわよ!なんであんたは会うたびに男に囲まれてんの!」
言うと彼は少し悲しそうな顔をして笑った。
「さあ?ゲイだからじゃない?」
千晶は目の前の未確認生物を見つめた。
「……ゲイなの?あなた」
「うん。そうだけど」
「生物学上、おかしいんだけど」
「生物学上?」
「そうよ。生物の目的は子孫繁栄で、子孫繁栄に貢献しない感情は生物として間違ってるの」
言うと、男はその言葉に対し、妙に納得したように大きく頷いた。
「なるほど。だから俺は人を苛立たせるのかな」
「え?」
「さっきの人たちもさ。俺を見るとなんかイラつくらしくて、ああいう嫌がらせをしてくるんだよね」
(いや、嫌がらせっていうか、あれって……)
「半分襲われてんの、わかんない?」
「え?」
彼はポカンと口を開いた。
「だって、彼ら、ゲイじゃないと思うよ」
「ゲイじゃなくても、あんた、なんか襲われる要素を持ってんじゃないの?」
彼を頭の先からスニーカーまで見つめる。
艶の良い黒色の髪の毛。
大きな瞳が特徴な中性的な顔。
白い肌。
華奢な体型。
少年のように細い足。
そしてその首筋には先ほどつけられたと思われる赤いキスマークが二つ、並んでいる。
「もう、あんたさ。あの授業出ないほうがいいわよ」
言うと、彼は眉を下げた。
「え。単位取れないと困るんだけど」
「そんな来年でも再来年でも取ればいいでしょ?生物の2単位くらい」
「来年なんて、俺にはないから」
千晶は男を見上げた。
「はあ?」
「俺、4年だから」
「…………」
千晶は思わず口を開けた。
「よ、4年生?」
「そうだよ」
「21?」
「もう22歳だけど」
「…………」
高校を卒業したばかりの1年生か、せいぜい2年生だと思っていた。
ため息をつきながら、視線を逸らすと、先ほどのポスターが目に入った。
「しょうがないわね。これ、行くわよ」
「これって?」
男はそのポスターを見つめた。
「無理だよ、俺、10万円なんて。バイト掛け持ちで何とか家賃払ってんのに……」
バイト掛け持ちで家賃。
医者の家に生まれた千晶には、想像もつかない世界だった。
しばし無言で見つめあう。
先に口を開いたのは彼だった。
「あ、やっぱり」
呟くように彼が言った。
「何が?」
「君の眼の色、緑色だね」
(何を言い出すかと思ったら……)
「文句ある?」
この目が嫌いだった。
『医者が高い金をつぎ込んで、金髪パブで女を買った』
そう両親のことを言われるのが嫌いだった。
しかし。
「あの色」
彼は先ほどのポスターを指さした。
「あの海の色にそっくり―――」
言いながら彼は微笑んだ。
「…………」
初夏の優しい光が彼の顔に差した。
千晶の胸に、確かに、今まで経験したことのない感情が流れ込んできた。
「……あんた、名前は?」
「新谷、由樹」
「わかった。新谷君。お金なら私が出してあげるから」
「えっ!悪いよ。だめだよ、そんな大金もらえないって」
「誰があげるって言ったの?貸してあげるのよ」
千晶は腹の底からため息をついた。
「出世払いで返してよね!」
男は戸惑うようにもう一度、ポスターを見上げた。
そこには眩しいほどのエメラルドグリーンの海が広がっていた。