美しいという感情が死ぬ時は、永遠にやって来ない。
可憐で秀逸な作品が永遠と世間によって称賛され、淡々と持ち主が移り変わる様に。
美しさは、永久に人々の手によって保管され続ける。
彼女の繊細な肌。毛穴の一つもなく、全体に潤いが行き届いているその美しい肌。
弾力があると言うのが、遠くから見ただけでも分かり、化粧とも違う肌の質感を感じた。
瞳は吸い込まれる様に美しい真紅の色彩を持ち、睫毛は瞬きをする瞬間すらも月の光を反射し輝いて見えた。
一本一本の純白の髪が靡くたび、心臓の鼓動が速くなっていくのを感じる。
彼女は…..眼皮膚白皮症。
通称、アルビノと言われる人だった。
月明かりが彼女を照らすたび、彼女の存在はより大きく表示される。
気づかれてはいけないと、本能で悟った。
生きている次元が、存在価値が違うのだと。
音を立てずにその場を離れようとした。
その時、甘い天女の様な声が背後から聞こえてきた。
「…..勿体無いですよ。こんな美しい夜なのに。もう行ってしまうのですか?」
心臓が飛び出るかと思った。
彼女の視界に俺が入っている。認識されてしまったのだ。
「….あー…散歩がてら寄っただけなので。
すぐに帰るつもりだったんです。気にしないでください。」
ぎこちない口調で、その上不格好な作り笑いでその場を乗り切ろうとしたが、彼女は俺を離すつもりはないらしい。
「そんなことおっしゃらず。
…..少し喋りませんか?こんな時間に、しかも古ぼけたこの公園に、人がいらしたのは初めてだったので….」
少しおっとりした口調の彼女は、ゆったりと微笑みながらそう言った。
離すも何も…何を話したら良いのだろう。
何の取り柄もないこの俺と、彼女と真反対の俺と話していて得することはないだろう。
「…..遠慮します。貴方と私じゃ、住む世界が違いすぎる。もう夜も遅い。早く帰ったほうがいいですよ。」
そうぶっきらぼうに言い、振り向かずに家へ帰ろうとした。
…..最も、住む家はもうないのだが。
これからどうするかと悩んでいた時、後ろからベシャッと嫌な音が聞こえた。
不吉な予感というか、何かに巻き込まれそうな予感がして、俺はその場をいち早く去ろうとする。
「ぇ、あ、あの!ま、待ってください!」
何か聞こえた様な気がしたが、無視した。
後ろで彼女が転んだのだろうとなんとなく察した。
が、仮に彼女が転んだとして、俺が助けても君悪がられるだけだろう。
お世辞にもいいとは言えない顔面の者が助けたって、誰も褒めちゃくれなかった。
いつだって良い行いは否定され続けたのだから。俺だって性格が良いわけでもないのだ。
これくらいは許してほしい。
今までの経験が全てだと思い、偏見に囚われたままの自分に腹が立ったが、だからと言って行動を変えようとも思わない。
そんな事ができたら、そもそもこんな事態にはなっていないのである。
俺は、ザッザッザッと音を立てて歩き続けた。
彼女の声は聞かなかったことにした。
少しのモヤモヤと共に、俺はその場から離れた。
結局、俺はその日ダンボールを買って少し広い裏路地の、雨の当たらなそうな場所で眠りについた。
酷い寝心地で、全身が筋肉痛になったのはここだけの秘密にしておこう。
・・・
…….眩しい。
太陽の光によって目が覚めるというのが、 案外気持ちの良いものだと気付いたのは僥倖だった
小鳥の囀りを聞きながら、昨日の出来事を改めて思い出そうとする。
まだ虚ろな目が光を受け付けようとしないが、俺はなんとか根性で起き上がって考え始めた。
が。昨日のモヤモヤが矢張り晴れない。
彼女と俺では世界観が違すぎる。
近づくべきではない。仲を深めてはいけない。
そう思っていた筈なのに、彼女の美貌を忘れられない。忘れられる筈も無いのだが、死にたいと思っている以上、新たに気になる相手を作る訳には行かない。
どうせ死ぬのに、新しい発見をする必要は無いのだ。
そう悶々としていると、急に斜めから影が刺した。
夜になった訳がない。
冷や汗か。はたまた暑さからくる発汗か。何となく、いや、確信はしているのだが、認めたくない自分と脳内で格闘してしまっている。
ギギギギッと首をゆっくりと横に動かす。
段々と影が人の形をしているのだと気づく。
太陽の光を反射して、キラキラと虹色に光る白髪の持ち主が、その嫌な予感の正体だった。
「……こんにちは。
こんな所で、何をしているのですか?」
「….あー…..ホームレスごっこ?」
「…..?何故そんな遊びを….」
「うるさい!分かってるよ俺だってこんな馬鹿馬鹿しいことしてんのはさぁ!」
涙目になりながら半ばヤケクソに声を荒げる。
すると彼女は目を見開き、驚きながらも 日傘をくるりと半回転させながらふふっと微笑んだ。
唇に人差し指を当てる仕草も矢張り美しい。
柄にもなく見惚れていると、彼女が口を開いた。
「…..もしかして、本当は帰る場所がないんですか?」
…図星だった。動揺を隠す様に、俺はわざとぶっきらぼうに言い放つ。
「….あー、はいはい。そうですよ。ごっこじゃなくマジもんのホームレス!今から死ぬとこだったんだよ!同情だか何だか知らないけど、ありがた迷惑なんだよ!さっさとどっか行けよ!!この、! 」
その言葉の後に、続く冷罵はなかった。
言葉につまり、たらりと冷や汗が流れ落ちた。コンクリートに落下し不恰好な雫を生み出す。
……..この可憐な少女を、なんと罵れば良いのだろうか。
非の打ち所がない彼女を貶す方法を、俺は知らない。
自傷し、八つ当たりし。
自己嫌悪の止まらない心情の中、何か言葉を繋ごうとハクハクと無意味に唇を動かしながら罵る言葉を探していた。
ふと、ある言葉が脳裏によぎった。
いつまでも心を侵食する、最悪の言葉を。
….あるではないか
一番の、貶し言葉が。
「ッ、このッ!….出来損ない!!」
「…..!…ぁ、」
…少し言い過ぎてしまったと、遅れて後悔がやってくる。
いつだって、自分の保身の為にわざと冷たく言い放っていた。
だからだろうか。親友が離れてしまったのは。
こんな形で、自分の短所を自覚するとは思わなかった。
また離れられてしまう。
…嫌、離れてもらった方がいいのだ。
いい筈なのだ。
なのに、
….あんな事を言った後に言うのもおかしな話だが。
彼女が、離れてしまうのをとても恐ろしく思ってしまった。
出来損ないなのはどちらだろうか。
そもそも彼女は出来損ないなどではない。
全くもって的外れな発言だ。
だが、この言葉よりも酷い言葉を、俺は知らなかった。
彼女を傷つけてしまった。
悲しませてしまった。
彼女の性格はわからないが、出来損ないなどと対して仲良くもない赤の他人から言われて激昂しない者などいないだろう。
…..嫌われて、しまっただろうか。
恐る恐る彼女の方を見る。
逆光となって顔全体は見えない。
心なしか悲しい顔をしている気がする。
傷ついた様な、ホッとした様な。
真反対の感情を顔に宿し、どちらの感情を優先すべきか迷っているのだと思った。
何も言えず暫く俯いていると
彼女は緊張しつつも驚くべきことを言った。
こんな出来損ないの俺に、
どうしようもない欠陥品のこの俺に。
とんでもない提案をした。
「貴方は、友達がいますか?」
優雅に膝を曲げ、俺の頬にそっと、細長くも上品な指で触れながら言った。
「……貴方の事を、もっとよく知りたい。
一夜限りの、友達になりましょう。」
離れないで、いてくれた。
しっかりと、俺を。俺自身を見てくれた。
それだけで、俺の心は歓喜と希望で埋まった。
願ってもない提案だ。
断る理由なんて、ある筈がなかった。
「……..いいんですか?」
「勿論。」
力強くも儚く美しい、その瞳で見つめられた瞬間。
俺は初めて、『生きたい』と思えた。
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