「なぁ今日の昼飯、何にする?」
「そうだなぁ……あ、あそこの弁当屋はどうだ?」
「弁当屋? ああ、【たんぽぽ】だっけ? あそこの弁当スゲェ美味いし、レジの女の子が美人なとこだろ?」
「そうそう。何つーか儚げでさ、守ってあげたくなるような……」
「分かる分かる! まあそこまで若そうじゃねぇけど、美人だしスタイルも良いし、お近付きになれたら嬉しいよな」
「お前じゃ無理だろ」
「お前こそ無理だろーが」
今日から新しく担当を任された取り引き先に先輩と出向いた帰り道、丁度昼時とあって社員が続々と一階に降りて来ては、昼飯をどこにするかという会話が聞こえて来る。
その中の一つで、【たんぽぽ】という弁当屋の話が気になった俺は、その会話に耳を傾けていた。
「おい鮫島」
「はい?」
「俺、今日はこのままもう一件回らなきゃならねぇから、お前は先に戻っててくれ」
「あ、はい、分かりました」
「それじゃあな」
同行していた先輩の柏木 洋輔さんから先に戻るように言われた俺は返事を返すと彼を会社の外で見送り、駅へ向かう為一人歩みを進めていた。
そんな時、
(ここが、さっき話に出てきた【たんぽぽ】か?)
偶然通りがかった先に先程話題に出ていた弁当屋を見つけた俺は興味本位から覗いてみる事にした。
そこは確かに人気なようで、大きく無い店舗には入り切らない客が外にまで列を作って並んでいる。
(レジの女が美人とか言ってたけど、どれ程なのか……)
別に、女に興味がある訳じゃないけれど、噂されている程ならどんな女性か拝んでみたいという好奇心から、俺は列には並ばずコッソリ中を覗いてみる。
(……まぁ、確かに、美人……だな)
レジに立っていた女性は少し小柄で、噂通りどこか儚げな雰囲気を纏っている気がする。
化粧っ気はないけどそれが逆に良い……とでも言うのだろうか。化粧をしなくても元から美人という事なのだから。
俺は昔から、ある理由があって恋愛には消極的で、異性を意識する事がまず無い。
それでも、もう少しで二十四だし、経験だってそれなりにはある。
ただ、付き合いはするけど俺からモーションを掛けるとか好きになる事なんて無くて、来る者拒まず去る者追わず精神という、相手任せな付き合い方をしているだけ。
本気で好きになっても、家の事情で俺にはあまり意味がない気がしているから本気になれないというのが一番で、女と付き合うのは性欲を満たす為と暇潰し、それだけだった。
そんな俺の心が、彼女を見た瞬間、騒がしくなる。
(何だ、この感覚。俺……あの人に、惚れてる?)
今までこんな事は無かった。
胸が高鳴るような、何とも言えない気分。
これが、“一目惚れ”というやつなのだろうか。
(いや、そんな訳ないか。気のせいだ)
思えばここ最近は仕事が忙しくて彼女を作る余裕も無かったから、恋愛は少しご無沙汰だった。
だから、俺の意思に反して美人を目にしたから身体が反応しただけかもしれない。
(そうだ、それだけだ)
その時はそう思ってそのまま会社へ戻った。
それから暫くして、住んでたマンションの契約更新の時期になり、大学の頃から住んでる部屋ではあるけど会社からは少し遠くて、もう少し近場で探そうかと不動産屋に行っていくつか物件を絞って内見をしていた、その時、一つのアパートで偶然、弁当屋の彼女を見掛けた。
その人は小さな子供を連れていて、弁当屋で見た時とは違う、優しげでしっかりした印象で、あの時見た儚さは無くて、“母親の顔”をしていた。
その瞬間、俺の心は再び騒ぎ出す。
しかも、あの時よりも強く、彼女の魅力に惹かれていた。
(あんな表情もするのか……子供に向けるあの優しげな表情……何か、良いな。癒される。他には、どんな表情をするんだろ……)
こんなにも、異性を知りたいと思ったのは初めてだった。
そんな中、彼女が住んでいるこのアパートの部屋が一部屋空いている。
これは、運命だと思った。
「あの、このアパートにします!」
そして俺は迷わず彼女の住むアパートに移り住む決意を固め、後に隣人となって彼女との距離を縮める事になるのだった。
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