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テラーノベルの小説コンテスト 第4回テノコン 2025年1月10日〜3月31日まで
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◇◇◇◇◇


和室に入った途端、篠崎はため息をついて紫雨を見下ろした。


「お前、言い方ってもんがあるだろ。林、今頃きっと泣いてるぞ」


紫雨はふらつく足に何とか重心を乗せると、軽く眩暈を覚えながら篠崎を見上げた。


「いーんすよ、あいつには」


まだ視界がぐらつく。


(あいつ。こっちはそんなに若くないんだから。吐き出したら吐き出した分だけ、体力削られるのをわかんねえのか!)


そこまで考えて紫雨はぴくりと眉間に皺を寄せた。


(てかあいつ、鬱憤を晴らすなら普通逆じゃね?咥えさせるならまだわかるけど……)


林がなぜ無理矢理自分のを咥えたのかわからない。

というか思考が回らない。

階段下のせいで軽く酸欠なのか、それとも連日の寝不足が祟っているのか、紫雨は霞が掛かったような頭のまま篠崎を見上げた。


「大丈夫か。具合でも悪いのか」


その様子に篠崎も気づき覗き込んでくる。


「大丈夫ですよ……」


何とか答えると、片足に重心を移して、仁王立ちでバランスを取った。


「それより要件は?」


できれば早く済ませたかった。


本意でないとはいえ、つい先ほどまで部下に自分の物を咥えさせ達してしまった手前、その気だるい身体や思考回路で彼の前に立ち会話をすること自体が憚れた。


「……あーいや、小耳に挟んだんだけど」


篠崎はもう一度、展示場に人がいないことを確認してから、紫雨に視線を戻した。


「お前、変な客に付きまとわれてるって本当か?」


紫雨は薄く口を開けた。


(なんだ、そのことか)


林との関係の方が自分にとっては深刻で忘れかけていたが、確かにそんな男がちょろついたこともあった。


しかし展示場にも現れず、マンションの管理人の話では、マンションを出入りするのも寄りつくのも住民ばかりで、それに不自然な点はないという。


あの男とはハッテン場と呼ばれるバーで出会ったのか、それとも出会い系サイトか、はたまたそういう友達の紹介かは忘れたが、いわゆるマゾヒズムの男たちにはウケが良く、相手には困っていなかったはずだ。


紫雨が逃げ回るので、あっさり飽きて別の男に執心しているのではないか。いつまでも手に入らない男のケツを追いかけるやつじゃない気がする。


紫雨は軽く息を吐くと、篠崎を見上げた。


「マンションで待ち伏せされて、ちょっと追いかけられたりしましたけど、大丈夫ですよ。偶然通りかかった林が助けてくれましたし。それに今は秋山さんの指示で林の家に泊めてもらってますしね」


「…………」


それを聞いた篠崎が目を丸くする。


「お前らってどっちかというと、嫌がる林にお前がちょっかいかけてたんだと思ってたけど、逆なんだな…」


「はあ?」


「そこまで愛されてるとは……ふっ」


篠崎は自分の言葉に笑い出した。


「篠崎さん、ふざけたこと言わないでくださいよ?」


「だって」


篠崎は笑いながら続けた。


「お前のマンションから林の実家までどんだけ離れてると思ってんだよ。市の南北に位置してんのに」


「…………」


考えてみれば、確かにそうだ。


林の実家は北の市境にある。八尾首から帰り道だったら、紫雨の家を通るわけがない。


(あの日、林は、わざわざ、俺のマンションに来た………?)


篠崎はひとしきり笑うと、紫雨に向き直った。


「きっと暮らしの体験会の帰り道でのお前がおかしかったから心配してくれたんだろ。良い部下を持ったな」


「…………」


帰り道のことはほとんど覚えていないが、篠崎に殴られたことなら覚えている。

紫雨は少し気まずくなって目を伏せた。


――――と、


「腫れてないか?」


篠崎が紫雨の顎をグイと掴んでこちらを向かせた。


「だいじょーぶですよ」


睨み上げると、篠崎はまたふっと笑った。


「お前ってさ、新谷と身長あんまり変わらないんだな」


「は?」


「同じだ、この感覚」


「…………」


紫雨は黒く澄んだ篠崎の瞳を見つめた。


(新谷の目線……か)


いつも彼は篠崎にキスされるとき、このような視界なのだと思うと、胸が熱くなると同時に胃袋の下のほうがチクチクと痛んだ。


いたたまれなくなって、手を振り払うと篠崎から視線を移し、展示場の外を見つめた。


「…………っ!」


全身が凍る。

頭皮から、うなじから、背中のくびれから、一斉に汗が噴き出す。


広縁の外の掃き出し窓。

そこはウッドデッキに続いている。


ウッドデッキにはベンチが置いてあり、誰でもくつろぐことができるのだが――――。


そこで岩瀬がしゃがみ込みながら、こちらに手を振っていた。



(!!なんで、アイツ……!)


紫雨は畳の上を、一歩、二歩と後退した。


下卑た笑顔のまま、岩瀬は煙草を口にくわえ、これ見よがしにガラスに向かって煙を吹きかけた。


(なんでこのタイミングで……!)


「どうした?」


篠崎が紫雨を振り返る。


「あ………」


「紫雨?」


篠崎は紫雨とその視線にあるウッドデッキを交互に見た。


「あ、あいつです」


「あいつ?」


紫雨は震える指で、まだしゃがみながらこちらを見上げている男を指さした。


「あの男が、俺のマンションに………」


篠崎が再度ウッドデッキを見つめる。


そしてツカツカと広縁に歩いていくと、鍵を解除して、窓を開けた。


「篠崎さん!気を付けてください!!そいつ、おかしいんだ…」


紫雨は後退しながらも膝の力が抜け、その場に尻餅をついた。


「…………」


篠崎が窓を開けると、岩瀬は篠崎に気が付きのっそりと立ち上がった。


「…………!」


身長180cmの篠崎よりも岩瀬が大きいわけはないのに、ウッドデッキは広縁よりも低い位置にあるはずなのに、岩瀬は篠崎よりも二回りほど大きかった。


岩瀬が楽しんでいるように篠崎を見下ろす。


「…………」


やがて篠崎は振り返った。


「紫雨………誰もいないぞ?」


幻だ。


そう気づいた時には遅かった。

紫雨はパニックになり、尻をついたまま、自分の喉元を掴んだ。


「紫雨?どうした?!」


篠崎が慌てて駆け寄る。


(まずい……)


息が吸えずにえずきながら紫雨が畳の上に倒れる。


「紫雨っ?!」


(過呼吸なんて、ずっと起こってなかったのに……!)


苦しさに涙が溜まる。


ダメだ。

吸ってはダメだ。

分かっているのに。


身体が、肺が、咽喉が、口が、焦って空気を吸おうとしてしまう。


(ダメだ!!)


紫雨は一度大きく息を吸ってしまった。



そこからはもう訳が分からなかった。

吸うことしか考えられず、身体が喘ぐ。


しかしすでに吸い切ったパンパンに張れた肺が、それを許さない。


吸った息を吐かなければいけないのに、口が、咽喉が、無理矢理空気を吸おうとして、でも吸えなくて、その焦燥感がまた吸おうとする。


生きるために……。


「紫雨!」


篠崎が思わず紫雨を抱き起す。


苦しさに足がバタつく。


パニックで指が篠崎にしがみ付く。


(こんな姿……見せたくないのに……!)


真っ赤に染まった紫雨の目から涙が流れる。


(収まれ……収まれ……!!)


「吸うなよ。それ以上……吸えないって…」


篠崎は紫雨のパンパンに張れた胸を見て、目を見開いた。


「待て、今誰か人を…」


立ち上がろうとした篠崎に紫雨がしがみ付く。


(嫌だ……)


「おい……紫雨―――」


(行かないで……)


ハクハクと唇が空気を吸おうとして彷徨う。


ングングと咽喉がえずく。


「だから吸えないって。吐けよ。吐くんだ、息を…!」


篠崎は辺りを見回し、紫雨の口を塞ぐものを探す。


しかし展示場の和室は整然としていて、有田焼の壺と木彫りの熊と床の間の掛軸しかない。


「クソッ」


篠崎はその口を、自分の口で塞いだ。



それでもいいから…

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