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ポタリ、ポタリ、と私が歩みを進むたびに頭や口から赤黒い血が零れ落ちる。意識が海底にいるかのように朦朧とし、壁を支えにしないと歩いていけないほど足元が安定しない。このままじゃ結構本気で死んでしまうかもしれない。
殴られた後頭部から感じる針を刺されたような疼痛はなかなか止まず、鼓膜に残る男たちの勝ち誇ったような笑い声に焼けるような苛立ちが沸く。その痛みと湧きあがって来る感情を我慢するたびに唇が酷く歪み、心臓がねじれるような苦痛が私を襲う。
ボーっとなんてしているんじゃなかった。何度目かのその後悔が胸を黒く蝕む。
『…けほ…っ』
咳が出るたびに喉を鉄の味がする液体が流れ、赤い霰が降ったみたいに地面が汚れる。きっと疲労はピークを迎えているに違いない。
どさりと勢いよく地に倒れ込む自身の身体にぼんやりとそう思った。
イザナと出会って、少しは変われたかもしれないと自分に期待した私がバカだった。
結局、何一つ変われていないじゃない。あの頃と同じように寂しさに汚れたまま。
息をするように暴言を吐いてしまうし、腹が立つとすぐに手が出てしまう。
『…なんでこうなっちゃったんだろ』
どこが悪かったの、何が間違っていたの。
覚えている限りの過去の記憶を辿っても原因は分からず、あの冷たい声色と眼差しで私を見つめる両親の姿だけが走馬灯のように、不気味なほど鮮明に脳裏に過った。
両親からの愛が無いと本格的に確認したのは小学4年生のとき。
私が初めて、学校で問題児だと恐れられていた男子と取っ組み合いの喧嘩した、とある日。
家に帰った後も髪を引っぱられたズキズキとした痛みの余韻がまだ頭皮に残っており、引っかかれた頬や腕がギリギリと焼かれるように痛んでいた。
「…娘が申し訳ありませんでした、と相手のご両親にお伝えください。…はい、大丈夫です。」
いつもよりずっと高いママの申し訳なさそうにうまく演じた声をBGMに、目尻に残った乾いた涙がまた濡れぬよう顔全体に力を込め一生懸命泣きそうな気持を我慢する。
「…ただでさえ毎日大変なんだからこれ以上迷惑かけないで。」
ママはカチャリと受話器を置き、学校からの電話を終えると、これ以上冷ややかには言えないと思える程の響きでそう短く吐き捨て大きな絆創膏が貼られた私の頬を力任せに叩いた。
「産まなきゃよかった」
こんな恩知らず、産まなきゃよかった。
このとき、「あ、嫌われてるんだな」って思った。
一段階冷ややかになった声と瞳に。あまりの衝撃に怒ることも、悲しむことさえ忘れる。なんで、という純粋な疑問、ただそれだけが氷のように冷え切った孤独に染みる。
頬を叩かれた痛みすらもスゥーと波を引くように消え、頭の中が白く溶け落ちるような衝撃が体の芯に色濃く残る。背筋に氷柱を当てられた感覚が気持ち悪い。
そんな目で見ないでよ。ママ、パパ。
表情が悲しげに歪むのが自分でも分かった。
他の奴らにこんなこと言われたら迷う間もなく殴り飛ばすのに、倍にして言い返すのに。
両親を前にすると何も言えず石のように立ちすくんでしまう。
私だって殴られたんだよ。
それにアイツが悪いんだよ。
アイツ、私の事、“可哀想な奴”って笑って来たんだもん。
上手く口に出せない分、心の中で必死に言い訳を繋げる。
ねぇ私は、
『……可哀想なんかじゃないよね、ママ、パパ。』
あの世とこの世の境にいるような、生死の境目をさ迷う、感じたことの無い不気味で不思議な浮遊感が私を諦めの境地へと誘い込む。
先ほどまでずっと感じていた叫び出しそうな程の強い痛みは嘘みたいに消え、代わりに肉体的でない、生理的な痛みと壮大な疲労感だけが体の奥深くまで残っている。
イザナに会いたいなぁ。いやこんな姿見られたら幻滅されちゃうかな。
ふと、薄れていく意識とは反対にそんなネガティブな考えが色濃く私の心にやってくる。
喧嘩に手を出していることもきっと気付かれている。夜の世界に染まっていることも、全部。
それでも何も聞かないで、ずっと傍に居てくれたイザナの姿が妙に愛しく感じる。
「イザナは目も髪も全部綺麗だね」と不器用な手つきで彼の頭を撫でたときの、あのきょとんと少し困ったような表情が可愛かった。
最初は仲が悪かったという血の繋がらないお兄さんや弟妹の話をぶっきらぼうに、それでいてどこか嬉しそうに話す彼の姿が好きだった。イザナがあまりにも嬉しそうに話すものだからそれほど大切に思ってもらえる“お兄ちゃん”たちに少し嫉妬したぐらい。
なんで私なんかと構ってくれるの。その問いだけがずっと喉に詰まって出てきてくれない。もしも自分が傷つくような理由だったら怖いから、そんな自分勝手な理由で。
そんな私の汚点塗れの世界で唯一、綺麗に光り輝く彼との記憶を最後に、私の限界は尽きた。
続きます→♡1000