空が割れると、元の世界に戻ってきた。
すっかり日が暮れて夜になってしまっていて、校庭には全然人がいなくてみんな帰ったんだと思った。
「イレーナさん。足、大丈夫?」
「……えぇ、大丈夫ですよ」
真っ白い祓魔師の服を血で濡らしながら、イレーナさんは顔をしかめてそう言った。
絶対に大丈夫じゃないでしょ。
そう思った俺がイレーナさんの足を治そうとした瞬間、イレーナさんは妖精を呼び出した。すると妖精が足の傷口に入り込むと、ゆっくりと光の波紋を広げた。
イレーナさんなりの『治癒魔法』だ。
足の傷がちょっとずつ塞がっていって、しばらく見ている内に完全に傷を癒やしてしまった。
それにしてもイレーナさんの妖精の種類は多種多様。
それぞれの魔法に応じて、いろんな妖精を呼び出しているように思う。
俺も早く同じようなことが出来るようになりたい。
「すみません、イツキさん。お見苦しいところをみせてしまって」
「……ううん。別に」
そう言うと、傷の治ったイレーナさんは起き上がる。
するとイレーナさんは横になっているニーナちゃんではなく、倒れたままの先生を担ぎ上げて、俺を見た。
「私はこの方を病院に連れて行きます。申し訳ないのですが、ニーナを家まで連れて帰ってくださいますか」
「ううん。連れて帰らないよ」
俺は秒で断った。
それにイレーナさんは意外そうに目を丸くする。
「イレーナさんがニーナちゃんを連れて帰るべきだよ」
「私が……? いえ、でも、それでは……」
困ったように眉をひそめるイレーナさん。
「そもそも、なんでニーナちゃんが祓魔師になりたいのか……知ってるの?」
「ニーナが? いえ……子供だから、正・義・の・味・方・に憧れているからでしょう? そこに、深い意味なんて……」
俺はイレーナさんの言葉で思わず額に手を当てそうになった。
おい、まじかよ。それ本気で言っているのかよ。
グラウンドに寝かせたニーナちゃんを抱きかかえると、俺は首を横に降った。
「違う。違うよ、イレーナさん」
「……何が、違うと言うのでしょうか」
本気で何が違うのか分かっていない様子のイレーナさん。
だから俺は少し迷って、それでもニーナちゃんの代わりに伝えることにした。
なんで、ニーナちゃんが祓魔師を目指すのかを。
本当だったらニーナちゃんの口から伝えるのが良いのだろう。
だが、こんなにすれ違い続けているんだったら、誰かがそれを言ったほうが良い。もちろん俺だって、これが余計なおせっかいなんてことくらい分かってる。
でも、ニーナちゃんは俺に魔法を教えてくれた。
俺が見習うべき精神のあり方を見せてくれた。
そんなニーナちゃんが苦しむような思いをしてほしくないと思うのは、おかしなことだろうか。
「ニーナちゃんは、イレーナさんに認・め・ら・れ・る・た・め・に祓魔師になろうとしてるんだよ」
「…………私に?」
「そうだよ。ニーナちゃんが言ってたんだ。僕に勝てば、イレーナさんが自分を見てくれるって。そのために、祓魔師になるんだって」
「……それ、は」
イレーナさんは、俺の腕の中で静かに胸を上下させるニーナちゃんを見た。
「前にニーナちゃんがねイレーナさんと買い物にいった話をすごく楽しそうにしてくれたんだ。僕はそれを聞いて思ったんだよ。ニーナちゃんは、イレーナさんのことが大好きなんだって。イレーナさんだって、ニーナちゃんのことが大切だから……祓魔師から遠ざけようとしたんでしょ?」
俺がそういうと、イレーナさんは黙りこくった。
「だったら、どうしてちゃんと話し合わないの。向き合って、話し合えば……きっと!」
そう自分で言いながら、俺はあることに思い当たった。
もしかしてニーナちゃんの口下手はイレーナさんから遺伝してるんじゃないのか。
いや、これ結構ありそうだな。
特にお互いがお互いの感情で、やりたいことを押し通そうとしてるところとかそっくりだ。
だが、そう言った俺にイレーナさんは全てを諦めたような笑顔で続けた。
「向き合う……ですか。酷こくなことを、言いますね。イツキさん」
「……酷?」
「私はこの娘こにひどいことをしてきました。この娘のためになると思って、そうやってきました。……分かっています。自分でもこれが言い訳だってことくらい。それでも、そうすることがこの娘のためになると、思ったんです」
イレーナさんは淡々と言葉を紡いだ。
けれど、そこには熱があった。静かな静かな熱い熱。
それはまるで、燻くすぶっている炭のような。
「1年前。この娘の父親が、モンスターに殺されました。目の前で父親が殺されて、その血を全身に浴びて、心を壊してしまったニーナを抱きしめた時に私は何があってもこの娘を守ると決めたんです。そのためには母親である資格を失っても良いと……そう思いました」
「…………」
「記憶を封印して、魔法を教えるのをやめました。そして、祓魔師の世界に足を踏み入れないように、この世界に触れないように情報を閉じました。その考えは……間違っていたのでしょうか」
「…………そんなの」
分からない。
そんなことを言われたって、俺に分かるはずがない。
俺は未だに分からないことだらけなんだ。
前世で歳ばかりを重ねて、名ばかりの大人になって、代わり映えのない人生を送って死んだ俺に……人の何が分かるというのか。判断できるというのか。そんなもの、できるはずがないじゃないか。
「ニーナを守るためなら、恨まれても良いんです。この娘にどれだけ恨まれても、この娘が死なずに大人になることが出来るのだったら、私は喜んで嫌われましょう。イツキさん。私は……それでも私はこの娘と、向き合っていないでしょうか」
全てを吐き出したような顔をしたイレーナさんに、俺は頷うなずいた。
頷いて、続けた。
「向・き・合・っ・て・な・い・よ・」
前世でも、現世でも子供ができたことがない。
人の家族に口を出せるほど偉い人生を送ってきたつもりもない。
でも……と、思う。
それでも、そんな俺にも分かることくらいはある。
「ニーナちゃんは……イレーナさんを嫌いになりたくないんだよ」
「……それは」
イレーナさんは、きっと必死に考えたんだ。
どうしたらニーナちゃんを守れるか。
どうやったらニーナちゃんが死なずにすむのかを。
それで、思いついたのがニーナちゃんに嫌われることなんて……あまりに、不器用すぎる。そんなところまでニーナちゃんにそっくりだ。
「だから、ニーナちゃんとイレーナさんはちゃんと話すべきなんだ。なんでイレーナさんがニーナちゃんに祓魔師になって欲しくないのか。どうして、ニーナちゃんは祓魔師になりたいのか。二人ともそれを知らないのに……向き合ってるなんて、言えないよ」
それは、俺の本音だった。
せっかく互いを思う気持ちがあるのに、それを無駄にするんだ。
どうしてそれを、不意にしようとするんだ。
そんなのあまりに勿体もったいないじゃないか。
俺の言葉が伝わったのかどうかは分からない。
けれどイレーナさんは、ふっと表情を緩めた。
「6歳の子にそんなことを言われるなんて、やっぱり私は母親失格ですね」
「…………」
「イツキさんの言う通りなのかも知れません。私は……もっと、ニーナの話を聞くべきだったのかも、知れません」
イレーナさんはそう言うと、ふっと踵きびすを返した。
そこまで言ったのに、ニーナちゃんを連れて帰らないつもりかと思って俺は思わず呼び止めた。
「イレーナさん!」
「大丈夫です。ちゃんとニーナとは話し合います。でも、イツキさん。あなたじゃこの人は連れて帰れないでしょう」
そう言われてしまい、俺は閉口。
……まぁ、たしかに先生は大人だからニーナちゃんと違って担ぐのは難しいかもしれない。
「救急車を呼びます。ニーナも、私が連れて帰ります。……ですから、ここで待っていて欲しいんです」
「……うん。分かった。待ってるよ、イレーナさん」
ほっと俺は息を吐き出す。
そういって先生を担いで俺に背を向けたイレーナさんに、俺は言葉を投げた。
「そういえば、どうして僕とニーナちゃんを結婚させようと思ったの? 祓魔師の世界に足を踏み入れさせたくないなら、僕と結婚させちゃダメじゃないの?」
俺がそういうと、イレーナさんは立ち止まって振り返った。
「イツキさんなら、結婚相手を守ってくれると思ったからですよ。家族を守るためにわずか5歳で『第六階位』に立ち向かい、そして祓ってしまうほどの勇気のある子がニーナと結婚すれば、どんなことがあってもニーナを守ってくれると……そう思ったんです」
「僕をイギリスに誘ったのは?」
「ニーナも生まれ育った国の方が過ごしやすいと思ったからです」
イレーナさんの言葉に、俺は思わず笑ってしまった。
いつか、ニーナちゃんの言ってたことを思い出したからだ。
『ママはイツキのことしか見てない』なんて言葉を。
だが、現実はその逆だった。
イレーナさんは、ニーナちゃんのことしか見てなかった。
「その話、ニーナちゃんにした?」
「してませんよ。するわけないでしょう」
「僕にしてよかったの?」
「だってイツキさんは、私の浅ましい考えが無くても……ニーナを守ってくれましたから」
「ニーナちゃんは、友達だもん」
「……えぇ。知ってますよ」
そういってイレーナさんは先生を連れて去っていく。
俺は現世に来て、家族から抱えきれない愛を貰ったと思っていた。
だが、それはきっとニーナちゃんも同じだったんじゃないのか。
そんなことを思った俺は戻ってくるイレーナさんを待った。
待ちながらこの2人が仲良くなれると良いな、なんてことを心の底からそう思った。
――第2章 『海外からの刺客』終わり――
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