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やっと読めました📕 まだま操作が難しいけど🤨 江夏さん、頑張って
「あっ、改めましてっ…」
100m向こうのもう一つの展示場、一星工務店から冷たく追い返され、ダッシュで往復して戻ってきた由樹は、ポーチで出迎えた先ほどの男の前に立つと、両膝に手をついてぜえはあと息をついた。
「新谷、由樹と申しますッ。きょっうから、セゾンエスペースに入社、しま、したっ。よろしくお願いしま、すっ」
弾む息の間に何とか言葉を突っ込むと、由樹は一度上体を起こしてから、90度に折れ曲がった。
「うん、間違ってる」
先ほどの男が由樹を冷たく見下ろしながら言う。
「え?」
「お前が配属になったのは、この時庭展示場じゃなくて、天賀谷(あまがや)展示場だから」
「あ、え、うそ?」
確かに新入社員用の案内状には、時庭展示場と書いてあった気がしたのだが…。
呆然と立ち尽くす。
(俺、やらかした?)
「大丈夫。間違ったのはおそらくお前じゃない」
男は胸ポケットからスマートフォンを取り出した。
「あ、もしもし時庭の篠崎です。お疲れ様です」
(この人、篠崎って言うんだ。ぽいな。聡明そうで色気のある名前…)
そんなことを考えている場合ではないのに、由樹は口を開けながら男を見上げた。
背が高いだけではなく、手足が長い。
細いだけではなく、胸板が厚い。
まるでユニシロのマネキンのように、スタイルが良い男。
(や…ばい。涎が……)
「新入社員、間違ってこちらに来てますよ。……ええ。……あ、はい。間違いないです。そんな感じの名前です」
(そんな感じの名前って…)
いささかショックを受けながら事の成り行きを見つめる。
「はい。じゃあ、俺が天賀谷まで送っていきますか?」
やはり自分がここに来たのは間違いだったらしい。
(でもどうせなら、“篠崎さん”と働いてみたかったな)
上がり框からこちらを見下ろしながら通話を続ける、その鋭い目つきにゾクッと身体が反応する。
(いやいやいやいや!!やっぱり一緒じゃなくて良かった!ラッキーだ。うん!)
ブンブンと一人頭を振っている由樹を呆れたように見下ろしながら篠崎がスマホを左耳に持ち変える。
「それは困りますよ。だってこっちは客の数だって少ないし」
右手でまるでグランドピアノの表面のように輝いているシューズボックスを開ける。
そこからスリッパを一足取り出すと、軽く顎でしゃくった。
「上がれ」ということらしい。
由樹は慌てて慣れない革靴を脱ぐと、展示場に一歩を踏み出した。
「……それなら相応の何かあるんでしょうね。客を回してもらえるとか、天賀谷のバッター順に俺たちも入れてもらうとか、そういうことがなければ、嫌です」
(社会人でも『嫌です』なんて言葉使うんだな)
篠崎は手で合図し、奥へと進んでいく。
(………わあ)
玄関ポーチには、吹き抜けの天井から豪華なシャンデリアがぶら下がっていた。
向かって左側に続きの和室。豪華な床の間には、鷹の剥製が飾ってある。
い草の良い匂いがする。
正面にはアイアン調の手すりがついた螺旋階段。
右側にはリビングダイニングキッチンと言うのだろうか。1フロアで繋がった大空間が広がっている。
(さすがモデルハウス。ものすごい豪邸…)
思わず見惚れていると、先に進んでいた篠崎が舌打ちをしながら戻ってきた。いつの間にか電話は終わったらしい。
「ついてこいって!とろいな。これだから平成生まれは!」
大きな手で手首を掴まれ、奥へ奥へと引きずられていく。
洗面所、トイレ、バスルームを通り過ぎると、暗い奥に進んでいく。
すると広かった廊下幅が一気に狭くなる。
これでもかと展示場を照らしていたダウンライトがなくなり、暗闇に包まれる。
(み、見えない!)
そのとき、ドンと強く何かにぶつかった。
「何してる」
すぐ上から低い声が聞こえる。
上品なコロンの香りがする。
(わ。やば…い…。いろんな意味で…)
慌てて離れる。
「すみません、鳥目で」
「……これだから平成生まれは」
20秒前と同じセリフを呟くと、正面のドアが開いた。
漏れた蛍光灯の明かりに篠崎の端正な顔が浮かび上がる。
さっぱり歓迎していない表情で篠崎が言うと、その奥には、展示場内にあるとは思えないオフィス空間が広がっていた。