オフィスルームは二十畳ほどの空間に、デスクが向かい合わせで六つ並んでおり、それにオフィスにしては立派なキッチン、冷蔵庫、それぞれのデスクに乗っているパソコンとは別に大きなディスプレイのパソコンが壁際に3台並んでいて、その横にこれまた立派なコピー機が設置されていた。
天井から延びるコンセントの束をただ見上げていると、大きな男がこちらに向けて歩いてきた。
「あー、やっぱり新人くんは、時庭展示場配属なんですか?」
(お、大きい…)
由樹はその男を見上げた。
すらりと背が高い篠崎よりももっと大きい。180cmは優にありそうだ。それに……。
「おい、正面に立つな。暑いよ。ナベの巨体は」
横にも大きい。これもゆうに100キロは超えていそうだ。
「ひどいなあ」
言いながら男は人の良さそうな垂れ目をさらに垂らして笑った。
「俺、営業の渡辺です。渡辺俊之(わたなべ としゆき)27歳。一応主任です。よろしくね」
丸こい手を出される。由樹は慌てて手を出した。
「新谷由樹です。24歳、です。よろしくお願いします」
「あれ、24なんだ?」
渡辺が少しだけ驚いた顔をする。
「新卒じゃないの?」
「あ、はい。実は………」
(……そうだよな。そこ突っ込まれるよな)
きっとこの後、必ず詮索される。
『どこかの会社を辞めてきたの?』
『どこの会社?』
『そんなすごい会社、たった1年でなんで辞めたの?』
(答えるの……嫌だなあ)
少しだけ俯いていると、
「ナベ、30秒以上、俺の前に立たないでくれる?威圧感がむかつくから」
何か聞こうとした渡辺を、篠崎が軽く押した。
「ほら、席につけ。他の奴らも紹介すんだから」
言われた渡辺はあしらわれるのは慣れっこらしく、
「よろしくね」と笑顔で席に戻っていった。
(自意識過剰かもしれないけど…)
由樹は篠崎を見上げた。
(庇ってくれた、のかな?)
もしかしてさっきの電話で、自分の面接をしてくれた“支部長”から、事情を聴いたのだろうか。
「俺、10時から打ち合わせだから。時間ねえからサクサク行くぞ」
(考えすぎか。………て……、えっ?!)
軽く腰に手を添えられる。
(手が……!大きい!!)
今まで何十人と自分の腰を抱いた手を思い出す。
(や、ば、い……!!)
しかし篠崎は面倒くさそうに息を吐くと、由樹の向いている方向を軽く変え、手を離してしまった。
「南側から順に、工事課、設計課、そして営業課だ」
窓際に座っていた、青年が立ちあがる。
年齢は、由樹とそう変わらないと思われる、若い男の子だ。
「おはようございます。猪の尾っぽと書いて猪尾(いのお)です。年は26で、新谷くんと一番近いと思います。よろしくお願いします」
爽やかな笑顔は、真っ赤に日焼けしていた。
「あ、よろしくお願いします」
慌てて頭を下げる。
(ん?この人だけデスクが離れているのはなんでだろう)
オフィスの中央にある6つのデスクとは別に、猪尾のデスクだけ、窓際にポツンと置かれている。
見比べていると、猪尾が微笑んだ。
「僕は『電話がうるさい』とマネージャーに窓際に追いやられました」
マネージャー?
(ああ。篠崎さんのことか。てか電話がうるさいってひどくないか…?)
見上げると、篠崎は猪尾を睨んでいる。
「事実だろうが」
「ひどいなぁ。オチゴトしてるんすよー、こう見えてー」
こちらも人懐こい顔で笑う。
彼とは仲良くなれる気がした。
由樹は嬉しくなってもう一度頭を下げた。
「続いて設計。小松さん、お願いします」
小松と呼ばれた男が立ち上がる。
顔の印象のほとんどを決めてしまうような、黒くて太い縁のメガネをかけている。
「一級建築士の小松です。年齢は42歳です。よろしくお願いします」
猪尾とは正反対で、こちらはにこりとも笑わない。
(篠崎さんとはまた違った意味で怖そうな人だ…)
由樹は「よろしくお願いします」と頭を下げた。
その横に座っていた、ショートカットの女性が立ち上がった。
すみれ色のブラウスに光沢のある黒いプリーツスカートがエレガントだ。
「インテリアアドバイザーの仲田です。照明やカーテン、絨毯なんかを担当しています。よろしくお願いします」
(なんだ、専門にそういうことを担当してくれる人がいるのか)
リュックの中に在る中のインテリアコーディネーターの参考書が途端に重く感じる。
「年齢は…特に言わなくてもいいですよね?マネージャー?」
言いながら事務所の空気を和ませる。
30代くらいだろうか。
大きな目に、厚すぎないアイメイク。
控えめだが艶やかなベージュのリップ。
男女ともに好感を与える上品でセンスのいいファッション。
(……アイツはきっと成長してもこうはなれないだろうな…)
初日ということで心配してくれているだろう彼女のことを思いだす。
胸の奥に温かいものが流れ込んでくる。
「おい」
微笑んだ由樹を篠崎が鋭い目で睨む。
「惚れるなよ。既婚者だからな」
「だ、大丈夫です」
(問題はどっちかというと、あなたの方なんだけど…)
苦笑いしながらさっと篠崎の手を見てしまう。
(結婚指輪は…して……ない!って何をチェックしてんだ、俺は!!)
「以上、時庭展示場、5名だ。早く顔と名前を憶えろよ」
「わかりました」
「席は俺の隣が空いてるからそこ座って、とりあえず」
「はい」
「アレー」
渡辺が椅子を軋ませながら笑う。
「マネージャーの自己紹介聞いてないなー」
「はあ?」
すでに自分の席に座りながら篠崎が睨む。
「したよな」
「いえ……」思わず首を振る。
篠崎はパソコンを立ち上げながら、立ち尽くしている由樹を見上げた。
「篠崎岬。31歳。この展示場のマネージャー兼、営業課長だ」
(岬さん…。なんてカッコいい響き……)
「よろしくお願いします!」
由樹は勢いよく頭を下げた。
(………ん?31歳?)
顔を上げた。
「……てことは、篠崎さんも“平成生まれ”ですよね…?」
言うと、篠崎は口の端を上げて笑った。
「何か問題あんのか?」
(……うん。よし決めた!明日からコンタクトつけてくんの、やめよう!!)
由樹は無駄な決意をしながら、その刺すような視線で、いい加減しんどくなった心臓を撫でた。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!