艶やかに滴る雨水を窓越しに眺め、透き通った白のカーテン越しに自分の顔を見つめた。
『なんて醜い顔…』
肌は気味が悪いほどに青白く髪は真っ白な雪のよう。瞳は三白眼に近くどこまでも黒い。オマケにこのギザギザの歯が私の醜さを象徴としている。
私はこの森を統べる魔女。…と言っても、よく童話に描かれるような毒林檎を食べさせる魔女ではない。ただ数千年という昔からこの森で魔法を使って暮らしてきただけ。人になど関心すらなかった。
だが、人々は私を憎み、忌み嫌い、挙句の果てには殺しにさえ来る。魔女が悪者だと一体、どこの誰が決めつけたのだろう。私はこれっぽっちも悪いことなどした覚えがないのに。
(雨がやまぬ…今日の散歩は無理そうじゃの)
そう思った時だった。家のすぐ前に小さな人影があった。
『なんじゃ…?』
よく目を凝らして見ると、家の前の湖を一人ぽつんと見つめる子供だった。子供は雨にびしょ濡れになりながら石のように固まって湖を見つめている。
私は急いで家を飛び出し、勢いよく扉を開く。
『お主、そこで何をしておる!!そこにいてはさぞ寒かろう…!』
そう言うと子供は私の方を振り向き、光を失った水色の眼で私と目を合わせた。
血色のいい肌、濡れても尚輝く紺の髪。人の子か…なんて美しいのだろう。じっと見つめるその子供から私は目を離せなくなっていた。
それと同時に私のことを見るその視線が自分の醜さを嘲笑っているかのように感じパッと顔を覆い隠した。
『な、中に入るなら入れ!!人の子とは言えど魔女と同じ飯くらい食えるじゃろう!!』
私は中腰になり顔を覆い隠したまま子供の手を引っ張り家の中へと招いた。子供の手は冷たく、まるで死んでいるようだった。
バクバクバクバク、と下品ながらも子供らしく飯に食いつく様子を頬杖をついて真正面からじっと見つめていた。
時折こちらをチラリと見て様子を伺う。やはり私のこの姿を怖く思っているのだろうか。
『お主…名前は?』
目は合わせず横の方を見ながら慎重に尋ねる。コップ一杯の水を飲み干してこちらを見つめ子供はようやく口を開いた。
『…ない』
『ない、、、変な名じゃな』
『違う、名前はない』
むっと口を膨らませ怒る姿が妙に愛らしく、ぷっと吹き出してしまった。余計に膨らみ、私も慌てて我に返る。
『すまんすまん。そうか、名がないのはさぞかし生活しづらいものじゃろう。』
『別に。』
根に持っているのかぷいっとそっぽを向いて皿を差し出し『おかわり』と言わんばかりに押し出してくる。
『おぉ、はいはいおかわりじゃな。』
『…』
必要以上に話したくないのかそれとも根に持つタイプの人の子なのか。どちらにせよ人里では『ガキ』と呼ばれるタイプの人種だ。
『そうじゃな、名前がないのなら私がつけてやろう。帰るところもその様子だとないようじゃし。』
『…』
図星のようだ。気まずそうにコップに顔を隠してしまった。
『そうじゃなぁ…』
『変なのにするなよ』
と、こちらをぎっと睨みつける。名付けなど生まれて初めてだがそこまでセンスは悪くない方だとは…思う。
『…お、思いついたぞ。先程湖を眺めていたじゃろう?湖はlakeじゃから、レイはどうじゃ?』
『…』
『何も言わんっちゅーことは決まりでいいんじゃな。』
またもだんまりだがこれでいいということだろう。私はまたもや綺麗になった皿に飯を盛り付け子供の気の済むがままに飯を食わせた。
風呂に入ると驚くほどに綺麗な子供に生まれ変わっていた。それと同時にもうひとつ驚くべきことが判明。
『お主…女じゃったんじゃな…』
『だから何。』
しばらく面倒を見ることになるだろう。私はレイとこの状況を楽しむことにした。
あれからレイはすくすく成長し、私も手に負えないほどのおてんば娘となった。
『母様見てーっ!!蛇の生け捕り!!』
『なっ…!!の、野に返しておやり!!』
昔の面影など微塵もなく、あれほど目つきの悪かった子供は一体どこに消えてしまったのだろうか。
『母様、今日は御本を読んで!!』
『母様、母様!!』
母親の辛さが身に染みてわかる。もう年だというのに毎日毎日走ってばかりの日々。
『レイは元気じゃのう…母さんはもう疲れてしまった。』
『ダメよ母様、母様と私はこれからもずーっと一緒なんだから。ついてきてよね!』
…ずーっと一緒。子供が軽く発したその言葉が、私にはとても重く深い言葉に聞こえた。
人間の寿命は80が平均だが、魔女は何千年と長生きをする。自分の歳も忘れてしまうくらいに。せいぜいこの子と生きられる時間は私の人生のほんの一瞬しかないのだ。
『…あぁ、そうじゃな。』
でもこの真実は、レイにはまだ伝える必要がない。いや。一生伝えなくていい。レイはレイのままでいて欲しい。
だから、私は嘘をついた。
『レイはここへ来る前、どこにいたのかわかるか?』
『ううん、わかんなーい。母様が私を拾ってくれたことはちゃんと覚えてる!』
この子はきっと、この森を下ったところにある小さな人里村から来たのだろう。こんな子供が歩いてここまで来れるのはそこくらいだ。
きっとレイの母親もこの子を探している。レイに記憶がなくても誰かの記憶の中にきっとレイはいるのだ。
いつか、ちゃんと返してあげないと。そう思う私を見つめてレイは心配そうな顔で見つめる。
『母様、どうしたの?』
『ん?あぁ…いや、なんでもないよ。』
どうしてだろう。この子を返したくないという気持ちがどうしても湧いてきてしまうのだ。どうしても。
『この子の母親を探しておる。』
人里など何百年ぶりだろう。もう知っている面子などひとつもなく若僧が溢れていた。
『あんた誰?』
一応魔女とバレぬよう人らしい格好をしているが案外バレぬものだと胸を撫で下ろす。
『隣村の者じゃ。この子をしばらく引き取っておったがこの村に母親はおらぬかと思い参ったのじゃが。』
ジロジロと私を見つめる若僧はやはり私の顔をじっと見つめている。これが醜さが故の義務だ。
『…悪いけど他あたってく…』
『…まさか、まさか嘘よ…!!』
袋いっぱいのリンゴを地面にぶちまけた女性はこちらへと一目散に走ってくる。
レイを抱きしめ、『会いたかった』と嘆いた。
『もう二度と見つからないと思っていた…!!森の魔女に食われてしまったのだと思い込んでいた…!!』
抱きしめられるレイはよく分からないと言った顔をしている。
『お主の母親のようじゃぞ。よかったな。』
ニッコリと笑って見せると、レイは首を振る。
『ううん、レイは母様の子だよ。』
その場が静まり女性は涙を流すのをやめ驚く。
『何を言っておるのじゃ、お主は…』
『森で私を助けてくれた時から、レイは母様の子だよ!!』
『…森?』
『森ですって?』
まずい。私は言い訳の言葉も見つからずえっと、と目を走らせる。村の民たちも続々と集まってきていた。
『お前まさか、森の魔女か?』
『ひいおじいちゃん達が恐れていたあの…』
『俺達を食いに来たんだ!!』
『ま、待て!!話を…』
村の民達は私を蹴飛ばしロープで縛り付け、私の話など聞く耳を持たなかった。レイは母親に連れていかれ、姿を見失った。
私が悪い。自分の欲のためにレイを手放さなかった私が全て悪いのだ。
蹴飛ばされる激痛と罵声の中、私はただ1人レイのことを想っていた。
私はどうやら、処刑されるらしい。1度も家に帰れぬままこの小さな村で人間に。
思えばつまらない人生だった。レイと出会うまでは何もすることがなくただ窓を見つめていただけの腐った魔女。醜い魔女。いつもあの窓から、誰かが来ないかと期待している自分がいた。
それを、人生の最期をレイという記憶で終われるなんてとても嬉しいことではないか。私はレイの母親に少しの間でもなれたことを誇りに思う。たとえそれが悪党のようなことだとしても。
十字架に縛り付けられ、私はもう時期火炙りにされる。この世界ともお別れだ。本当に意味の無い人生だった。…もし、最期に望むとすれば
もう一度レイに会いたい。
『母様!!』
母親にとめられながら私の元へと走ってくるレイの姿。レイは若僧達に止められながら私に何度も何度も訴える。
『母様、レイが今すぐ出してあげるからね!!待ってて、今度はレイが母様を助けるの!!』
『魔女め、洗脳までしていたとは。なんて奴だ!!』
必死になるレイを見て、私はニコリと微笑む。レイはその瞬間動きを止めた。
『もういいんじゃ。こんな醜い魔女はすぐこの世からおさらばするべき。お前ももう巣立ちすべきじゃよ。』
『醜くない!!母様は美しいよ!!』
『…!!美しい…?』
『初めて会った時から、その綺麗な髪も顔も全部大好きで…綺麗で…』
今まで自分の存在を醜いと決めつけ顔を隠す日々だった。醜い魔女と呼ばれることが私にとってどれほど辛かったか。それを今、レイが全て解き放ってくれた。
『…ありがとう、レイ。こんな私でも誰かに必要とされて嬉しかったよ。元気でな。』
火が回る。パチパチと音がなり始め足元が熱くなる。
『いやああああぁ!!母様あぁ…!!』
ぼろぼろと大粒の涙をこぼすレイをじっと見つめる。もう何があっても真っ直ぐ前を見つめる。自分の運命には抗わぬ。来世でもまた、レイに出会えますように。
『さようなら、レイ。』