???「志摩さん!これ、志摩さんの好きなお酒!今から一緒に飲みましょう!」
とあるアパートの屋上で、志摩は見知らぬ男にそう誘われた。男は白いスウェットにグレーのパンツ。足元は裸足だった。夜だったため、男の顔はよく見えなかった。何故自分の名前を知っているのか、ここはどこなのか、何故好きな酒を知っているのか、そもそもこいつは誰なのか。疑問は山ほどあった。
???「ほら志摩さん、ここ座ってください!」
そんな志摩の気持ちなど知らずに、男は椅子を並べ始める。普段なら知らない人間と酒を飲むなんてことは絶対にしないが、今はなぜか、流れに身をまかせて椅子に腰を下ろしてしまった。それが嬉しかったのか、男は上機嫌で酒を注ぎ始めた。ウイスキーの匂いが鼻の奥をツンと刺激する。それではっとした。突然志摩を謎の焦燥感と恐怖がつつみ込む。この男は危険だ、とにかくこの場から逃げなければ。志摩はそう思った。だがその前に、どうしても気になる事があった。
お前は誰だ。
???「…」
男の動きがピタッと止まる。まずいことを聞いてしまったのだろうか。男はゆっくりと立ち上がり、そのまま柵の方へと近づいて行った。柵に手をつくと、男は志摩の方に振り返る。
???「やっぱり、志摩さんは俺の事なんてどうでもいいんですね。」
すると突然、男が手をついていた柵がふっと消えた。バランスを崩した男は、こちらに手を伸ばしたまま、暗闇へと落ちていった。
どさっ
志摩「…ッ!!」
伊吹「うぉっ?!」
飛び起きた志摩に驚き、ベットの縁に座っていた伊吹がこちらを見た。しばらく見つめ合った後、突然猛烈な頭痛が志摩を襲った。思わず頭を抱えて顔を埋める。色々な事が起こりすぎてよく分からないが、とりあえず1つ
志摩「なんで俺は伊吹の部屋に居るんだ…?」
とにかく今はそれだけが気になっていた。伊吹の部屋に入った経緯を順になぞろうとしても、全く思い出せない。立ち上がった伊吹は、コップに水を汲みながら話し始めた。
伊吹「なんでって、昨日は志摩ちゃんが急にたこ焼き食べたいって言い出して、だったら俺ん家にたこ焼き器あるよーって言ったら流れで陣馬さんと九ちゃんも呼ぶことになって、皆で仲良くたこ焼きパーティーしたんじゃん。はいお水」
志摩「男一人暮らしでたこ焼き器持ってるお前って何だよ…」
伊吹「急にたこ焼き食べたいって言い出す志摩ちゃんも志摩ちゃんじゃね?」
テーブルに散乱するビール缶から察するに、昨日はそのたこ焼きパーティーで飲みすぎた可能性が高い。伊吹から水を受け取り、一気に飲み干した。目は覚めたが、まだ記憶がぼんやりとしている。まさかこんな簡単に酔いつぶれるとは、自分では思いもしなかった。まだ相棒の家だから良かったものの…。
志摩「…ん?」
伊吹「どうしたの?」
眠気が覚めてふと思い出した。この間のメロンパン号での出来事を…。
志摩「伊吹…俺が寝てる間に、俺に何かしたか?」
伊吹「んふふ…」
不敵な笑みに嫌な予感がした。いや嫌な予感しかしない。伊吹は俺にそういう気があるんだ。酔いつぶれて抵抗出来ない俺は格好の獲物。酔っていた時の記憶は無いが、もしかしたら自分からも何かした可能性だってある。膨らむ考えは全て最悪なものばかりだった。頼む、せめて一線は超えないでいてくれ…。そんな志摩の考えとは裏腹に、伊吹は柔らかい表情で答えた。
伊吹「なーんにもしてないよ。そりゃ酔っ払ってる志摩はめちゃくちゃ可愛かったけどさ〜。どうせイチャイチャ出来るなら酔ってない時がいいし。陣馬さんと九ちゃんもいたし?」
伊吹「あと志摩、めっちゃうなされてたから。弱ってる所に漬け込むみたいで嫌だったんだよ。」
志摩の予想とは真逆の返答で、安心こそすれ驚いた。伊吹の事だから、キスくらいはかましたんじゃないかと思っていたが。むしろ残念そうというか、寂しそうにこちらを見つめる。
伊吹「志摩ちゃんさ〜、香坂ちゃんの夢見てたでしょ。」
志摩「香坂の夢…」
その瞬間、夢で会った男の姿を思い出した。白いスウェット、グレーのパンツ、片手にはウイスキー。志摩はようやく、その男が香坂だった事に気がついた。そして、ふと夢で香坂に言われた言葉を思い出して、少し悔しくなった。彼を忘れていた訳では無いが、夢の中の自分がそれに気が付けなかった事実が胸を締め付けた。
志摩「…なんで香坂の夢を見てるって分かったんだ?」
気を紛らわすために伊吹に聞いた。うーんと頭を掻きながら伊吹は答える。
伊吹「ごめん〜とか、そっちに行くな〜とか、志摩がそんな事言う相手なんて、香坂ちゃんぐらいでしょ。」
夢の中ではろくに会話もしていなかったが、リアルの自分は声をかけていたことに少しホッとした。安堵を気取られぬように、そうか。と一言放った。すると、伊吹がおもむろに口を開く。
伊吹「夢の中でも思ってて貰えるなんて、羨ましいな。」
志摩「いや、夢の内容はそんないいもんじゃ…」
言いかけて止まった。多分、伊吹の言っている言葉の意味はそういう事じゃない。夢ではおろか、生きていても会えず、完全に関係を遮断されている人。きっと伊吹の頭にも、その人の顔が浮かんでいるのだろう。夢の話をし始めた時、伊吹が寂しそうにしていたのは恐らくこの事だ。
あの人は元気だろうか…
伊吹「うぃーっし!このぐっちゃぐちゃのテーブル片しますか〜!九ちゃんって几帳面そうだけど、酒はいると所々雑になんだよね〜…」
こういう時、伊吹は本心を隠すのが上手い。多分本人もそう思っている。でも、相棒の前でも空元気にされるのは何となく癪だ。
志摩「伊吹。」
伊吹「えっ?」
志摩は伊吹の方を向いてベッドに座り直した。少し真剣な雰囲気につられたのか、伊吹は片付けていた手を止めて向き合うように正座した。1呼吸おいて、志摩は伊吹の方へ両手を広げて言った。
志摩「見た夢は…少し怖かった。だから、慰めてくれ。…得意だろ。」
伊吹「志摩ちゃん…」
自分で言ってだんだん恥ずかしくなってきた。耳の先までじりじりと熱くなってくる。やっぱり無かった事にしようかと手を下ろそうとした瞬間、伊吹が志摩の腰に手をまわしそのまま飛び込んできた。上手くバランスがとれず、2人は志摩に伊吹が重なる形でベッドに沈んでいった。
伊吹「あーもー!やっぱ志摩大好き…、今俺の心臓最高にきゅるきゅるだわ〜。きゅるきゅるしましま〜♡」
志摩「意味がわからん」
しばらくそのままの体制で、ゆっくり呼吸をした。肺が膨らむ度に、伊吹の心音が身体に響いてくる。伊吹が生きてそばに居ると、危なかっしいけど安心する。2人ならなんだって出来そうだ。そんな気持ちになる。ふと、伊吹が顔をあげてこちらを見る。
伊吹「ありがとう志摩。俺、志摩のことぜっっっっったい離さないから、志摩も俺の事離すなよ」
志摩「…当たり前だ」
伊吹「んふふ〜♡ …チュッ、」
志摩「…っん」
ナチュラルにキスしやがって。
まぁでも、今はいいかな。そう思った。
???「俺の部屋の屋上、自分で言うのもなんですけど結構いい眺めなんですよ。今の時間なんて、夕焼けが綺麗に見えるんです。」
あぁ、またここか。
気がつけばまたあの屋上に来ていた。男は今度はスーツを着ていた。靴もしっかりと履いて、屋上からの眺めに思いを馳せていた。建物の窓が夕日を反射して、街全体が黄金に輝いてみえる。確かに凄く綺麗だ。眩しい夕日がゆっくりと沈んでいく。建物は光を遮って、今まで逆光でぼやけていた男の輪郭をはっきりとさせていく。久しぶりに見る真っ直ぐな背中は昔と変わらず、思わず目頭が熱くなる。沢山言いたい事があった。死ぬほど後悔したこと、今でも自分を許せないこと、新しい相棒のこと。もうとっくに手遅れだけど
次は、真正面からお前と向き合えるよ。
「忘れないよ、香坂。」
振り返った香坂は、力強く、でも優しく、志摩を見て笑った。
気づくとそこに香坂の姿は無く、夕日も沈みきっていた。まだほんのりとオレンジを残した空を見上げて、ふと伊吹の事を思い出した。伊吹には悪いことをした。無理に笑って欲しくなかったのは本心だが、弱っている所に漬け込んでるのはどっちだって話だ。そしてそう思うのは、伊吹への気持ちを自覚してきているって事だ。もう誤魔化せないくらい、俺も伊吹の事が好きだ。また後悔する前に、伊吹にも伝えたいな。
「いつ伝えようかな〜…」
ため息混じりの独り言は、ゆっくりと夕闇へ溶けて行った。
コメント
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ストーリがうますぎてやばい😇続きみたいです!