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「あそこ、一般駐車場って書いてあります!」
助手席に座る新谷が身を乗り出して看板を指さす。
「おい、お前あんまり前のめりになるな。左側が見えない」
言うと、
「すみません」
彼は慌ててシートに身を沈めた。
駐車場に車を滑り込ませながら、先ほどの電話を反芻する。
◇◇◇◇◇
『実は土地の手続き、来月にしてもらえないかと思いまして』
電話をかけてきた母親の声は沈んでいた。
土地の契約を先延ばしにすることは、一般的にはあまりよろしくない。
なぜなら土地を売る気でいる持ち主の気が変わったり、親戚が介入して話がややこしくなったり、すんでのところで、違う不動産屋がかっさらったりするためだ。
「できれば、予定通り契約だけでも先に済ませていただいた方がいいのですが。打ち合わせはいくらでもタイミングを合わせられますので」
言うと、彼女は言いにくそうに口を開いた。
『実は母の具合があまりよくなく、先ほど入院したんですけど……』
そこで言葉が詰まる。
『……あと、二、三日だろうって……』
◇◇◇◇◇
車を降りると、新谷は走り出した。
「あ、おい。待てって!」
慌てて追いかける。
(あいつ、あんなに足早かったか?)
やっとのことで距離を縮めながらその背中を追いかける。
(俺たちが駆けつけてもしょうがないのに)
そうだ。自分たちは親戚でもなければ、友人でもない。
たった一度、展示場で、客と営業として会ったことがあるだけなのだ。
それなのに、なんで、こいつは……そして自分は、走っている?
(……何してんだ、俺は!)
二人は総合病院へと入っていった。
6階のボタンを押すと、新谷はエレベーター内に書かれた『緩和ケア病棟』の文字を指でなぞった。
「緩和ケアってなんですかね」
篠崎は不安そうに見上げてくる新谷に、言葉を選ぼうか一旦躊躇したが、
(ここで下手にオブラードに包んでも仕方ねぇな)
と思い直し、はっきりと告げた。
「重篤な患者から痛みや苦痛を取って、なるべく安らかに逝かせてやる病棟だろ」
「………!」
心なしか新谷の大きな目が潤む。
彼は「そうですか」と呟くと、6階に上がるまで、エレベーターのドアを睨むように見つめていた。
ホールにつくと、母娘が並んで座っていた。
「こんなところまで来ていただいてすみません」
二人が立ち上がってお辞儀をする。
奥には同居の長男夫婦と思われる初老の男女が訝し気に頭を下げた。
(そりゃ、そういう顔するわな……)
その表情に納得しながら隣を見下ろすと、新谷には目に入らないのか、母娘にまっすぐ寄っていった。
「お祖母さんは?!」
「病室に……」
言いながら娘が泣きはらした目で指さすと、新谷は軽く会釈をして病室に入っていった。
(おいおいおいおい)
何と言って引き止めればいいかわからないまま病室に入ると、病人特有の温かく湿った匂いが漂っていた。
「お祖母さん……」
言いながらベッドに新谷が駆け寄る。
仕方なく後に続き、横たわる老婆を見下ろした。
顔は浮腫み、つい2週間前に会った時には見られなかった黄疸が出ている。
(肝臓か……)
思いながら新谷を見ると、彼は、躊躇せずに老婆の手を握った。
「……あんたは」
老婆の小さい目が細く開く。
「ああ。あの建築屋さんかぁ」
言いながら浮腫んだ顔に埋もれたその目から涙が垂れる。
「お婆さん」
新谷は握る手に力をこめる。
「……家は建ったかい?」
老婆が瞑りそうになる目を一生懸命開けて新谷を見る。
「素敵な家を、建ててくれたかい?」
認知症のせいか、それとも病気で意識が蒙昧としているのか、老婆はどうやら本気で新谷に尋ねているようだった。
「それは……」
新谷の顔が曇る。
唇がぎゅっと閉じられる。
なんと返答するべきか迷っているのだろう。
「セゾンさん……」
後ろから娘が小さく囁く。
「“建った”って言ってあげてください。安心するから」
母親が目に涙を溜めて言う。
新谷は老婆から目を離さないままに頷くと、持ってきた封筒から、紙を取り出した。
「建ちましたよ。ほら……!!」
言いながら広げて見せる。
それはどうやら、先程、小松が作成した、外観のCG画像だった。
「お祖母さんのおかげで、こんなに素敵な家が、建ちましたよ…!」
新谷の声が掠れる。
老婆はむくんだ瞼を精一杯開けてそれを見つめた。
視線が、新谷が開いた紙の上を走る。
その瞳に涙が溜まっていく。
「こんなに、素敵な豪邸が、建ったの?」
「そうです……!!そうですよ!」
新谷の瞳も潤んでいく。
(嘘も方便、か)
篠崎は、自分も鼻の奥に痛みを覚えながら新谷を見た。
(小松さんお遊びのおかげだな……)
小さく息を吐きながら、新谷が傍らに置いた封筒とそこから覗く紙を見る。
「……!」
そこにはオプションを盛り込んだお遊びのCG画像があった。
(じゃあ……)
新谷が持っている紙を見ると、そこにはオプションを追加指定ないレンガ造りの普通の外観が印刷されていた。