間もなく、若江の地に法螺貝の音が響き渡った。井伊掃部頭直孝率いる五千六百の部隊が馬蹄で地軸を轟かせながらやって来たのである。
彼らは主将以下全員が赤色の具足を纏っているため、「井伊の赤備え」と称され、徳川の武威の象徴と目されていた。
そもそも赤備えの勇名を天下に鳴り響かせたのは、武田信玄麾下の猛将、飯富虎昌《おぶとらまさ》である。
かつて、武田信玄に散々に苦しめられ、幾度も煮え湯を飲まされた徳川家康であったが、同時に信玄を深く尊敬し、その軍略、修養、治世を執念と呼べる姿勢で学び、吸収していた。
そして、武田家が滅亡した際、武田の遺臣を多く引き取った家康は、飯富を継いで赤備えを率いていた山県の旧臣を井伊直政につけた。
かつて徳川の最大の敵であった武田にあやかって、赤備えの部隊を編成することを命じたのである。
以後、井伊直政は徳川四天王の一角に数えられる程の武勲を積み重ねていき、ついには「井伊の赤鬼」と呼ばれ、恐れられるまでになった。
直政は十五年前の関ケ原で負った戦傷が元で既に没しているが、後を継いだ直孝は父の名を辱めぬ勇将であるという。
真紅の巨獣と形容すべき井伊の赤備えを前にしても、重成には恐怖の色は微塵も無い。その端正な顔貌には、免れぬ死を受け入れる悲壮な覚悟と、純粋に生涯最後の戦いを存分に楽しもうとする愉悦が混在しているようであった。
「かかれ!」
重成の号令の元、約四千の兵達は、人馬一体の奔流となって井伊の赤備えに突入した。
井伊の赤備えは全員騎兵のため鉄砲は所持せず、重成の部隊も先の藤堂軍との闘いで弾丸を撃ち尽くしていたため、戦いはまず矢戦から始まった。
双方から矢が光の滝となって落ち、たちまち幾人もの兵が射倒される。
第二射が放たれる前に、陣頭にあった重成は敵に到達し、馬上で槍を一閃させて一人目を突き落とした。
さらに二人目を突き落とし、三人目の胸板を右手の槍で貫くと、左手で脇差を抜き、喉を掻き切った。
若武者の驍勇に井伊の兵達は驚愕し、木村の兵達は士気を鼓舞された。
たちまち、血で血を洗う壮絶な修羅場がそこに出現した。
槍の穂先が銀色の蛇と化して敵兵の首をえぐり、太刀が閃いて武器を握ったままの腕が血の尾を引いて宙に飛ぶ。
互いにもつれ合って落馬し組討ちの末、相手の首を掻きとる。
首を失った死体は馬蹄に踏みにじられ、原型をとどめぬ肉塊となった。
時を追うごとに戦いは苛烈さを増し、おびただしい血が若江の地をおおう朝霧を紅に染め上げていくようであった。
当初は互角と思われた戦いであったが、次第に両軍の疲労の差が明らかになりつつあった。
先の藤堂軍との戦いで負った傷と疲労が癒えていない木村軍の動きが目立って鈍り、多くの者が討ち取られ、ついに崩れ始めたのである。
重成はそのような配下の姿は目に入らないかのようにただひたすら槍を振るい続けた。
槍の穂先が死の流星となって井伊の武者達の間で乱舞し、彼らを屍に変えていく。
元は鮮やかな青色であった重成の陣羽織が返り血を浴びてみるみる赤黒く変色していった。
その槍術、馬術の妙はまさに絶世の域にあり、天下隋一の勇猛を誇る井伊の赤備えの精鋭達をも瞠目《どうもく》させずにはいられなかった。
「若造が!」
井伊の侍大将、山口伊豆守重信が怒号し、太刀をかざして重成に斬りかかったが、五合ももたずに顔面を槍で貫かれ、眼球をこぼしながら落馬した。
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