8.人生の落とし穴
「109号室の凪誠士郎の関係者です…目覚めたと聞いて。面会をお願いしたいんですッ、」
病院の入り口に朝早くに駆け込んだ。
待合席には潔と凛のみ。
受付の看護師は「ご確認しますね」と奥に行って電話をし始める。
汗で滑る手をなんども閉じたら開いたりする。
後ろで父が肩に手を置いてきた。
「玲王、胸を張って行け。もう間違えるなよ。これは期待じゃない、応援だ。」
「…分かってる。けどやっと会えるんだ。こんな奇跡二度と起きねぇよ…ッ」
看護師は笑顔のまま戻ってくると話し始めた。
「109号室の凪誠士郎さんですが明日緊急手術が予定されております。凪様本人の希望により面会は基本設定できません。申し訳ないごばいません。」
(凪が面会を拒否している?)
「玲王、また明後日来よう。凪くんのご両親にも挨拶が遅れている。今日は凪君も家族との時間を与えるべきだ。」
「分かった…」
看護師に頭を下げて背中を向けると慌てて声をかけられた。
「凪様ですがご家族の方とも面会は応じていません。現在担当医と手術内容を再確認している段階です。」
「は…?」
「玲王、…さっき凪のお母さんとすれ違って話したんだ。」
「…あッ。誠士郎くんのお母様ですよね!」
「誠士郎のお友達かしら?わざわざ来てくれたのね。ありがとう…。」
凪のお母さんは優しそうな人だった。
年齢は分からないけど俺のお母さんと同じくらいに見える。
凪とは似てない話し方や礼儀、姿勢。
ゆういつ似ているのは体型だろうか。
すらっとしており、凛と並ぶと小さく見えるが身長は俺とほぼ変わらないくらい。
てか一緒。
「今ね、夫とお医者さんの話を聞いてきたの。凪が目覚めて明日緊急で手術を行うそうなの。手術前はストレスが溜まりやすいから面会はできないって。本人も面会を希望してないそうなのよ。」
「そうなんですか…手術…。」
分かってはいたものの目覚めた凪が急に手術をするなんて言われて素直に受け入れられるはずもない。
肺に傷が入っていたんだ。
今すぐにでもしないといけない。
分かってはいた。でもやっぱり俺自身も怖かった。
目が覚めたことがゴールじゃない。
奇跡が二度も続かないとしたら?
そんなことを考えていると凪の母親は心配そうに、そして申し訳なさそうに機嫌を伺う。
「…わざわざ来てもらったのにごめんね。また会いに来てくれるかしら?きっとあの子も喜ぶわ。」
返事ができなかった俺に代わって後ろにいた凛が前に出てきた。
「ブルーロックで誠士郎さんと仲良くさせて頂いてました。糸師です。意識が戻っただけで僕達は嬉しいので。また会いに来ますとお伝え下さい。」
普段は絶対に見せないような真剣な顔つきで凪の母親と話す凛。
凛の左手は俺の右手を握っている。
我に返って自分も凪の母親に頭を下げる。
手に抱えていた花束を凛は渡すと小さく微笑んで会釈をし、その場を離れた。
「…そっか。そりゃ怖いよな。俺なんかよりもよっぽど不安だよな…。」
「後、凪のお母さんから伝言だ。お前が失踪してた間に一度だけ凪の口が動いたらしい。声にならないけど確かに”れお”って。」
俺の話に玲王は顔を上げた。
そして大きな目を見開くとすぐに戻す。
「なんでお前が知らねえんだよ。」
「えッ…その色々あって隣町の黒名の家に泊まってて…へへッ…笑」
「…距離近い。手離せ、御影。」
「もう叩かねえよッ!てか悪かった!!怪我ないか潔!?」
後ろで玲王の父親と目が合った。
凛と玲王が取っ組み合いをしているところを微笑ましそうに眺めていたんだ。
俺と目が合うと軽く会釈をしてまた微笑む。
そして足音を立てずに静かに背中を向けて病院を出て行ってしまった。
「凛、帰ろっか。また明後日会いに…」
「……。」
玲王が担当医と凪の両親と真剣に話をしている時、邪魔をしてはならないと思って凛の腕を引っ張った。
でも凛は冷静な声ではっきりと言った。
「大事な話がある。もう手放さない為に、俺がすべきことの話が。」
凛の表情が変わることも次の言葉を吐き出すこともなかった。
その場の俺たちを取り巻く空気はこの言葉が冗談なんかではないと教えてくる。
やっと落ち着けたと思って安心していた時、玲王は俺たちの考えに上手くハマり、無事保護された。
凪は意識が戻って明日に手術をする。
まだ断言はできないけどひとまず及第点だ。
そんな全てが上手く行っている中、人生には落とし穴があることを悟った。
凛のしようとしている話は分からない。
でもまた逃げてしまいそうになった。
凛。もうどこにも行くなよ。
コメント
2件
めちゃめちゃ好きです!切ないし、深いし、もうすごい好きです!(?