2学期が始まった。
朝早くに集合した生徒会のメンバーは校門の前に整列した。
「よし。新学期だ!」
右京は『挨拶運動』と書いてある襷をかけながら言った。
「元気よく行こう!」
「―――ですね」
清野が眼鏡をずり上げた。
「明るく~爽やかに~」
結城が頷き、
「暑さに負けずにね!」
加恵も微笑む。
今週末に控えた生徒総会が終わり、手首の手術が無事に済んだら、この学園を去り山形に帰ると、生徒会メンバーには右京が自分で告げた。
皆は驚いたが、右京が自分の病気のことや、もともとサッカーの大会が終わったら山形に帰るという約束で転校してきたことを話すと、納得するしかなかった。
口に出すものはいない。
これが右京が指揮する最後の挨拶運動だなんて――。
「ぶっ倒れない程度にな!」
右京は白い歯を見せて笑った。
ザッザッザッ……
足音に振り返ると、1年生だろうか。やけに身体が小さい男子生徒が、蜃気楼が浮かぶ坂道を重そうな鞄を背負いながら上がってくるのが見えた。
「おはようございます!!」
全員が声を張り上げたせいで、男子生徒の驚いた顔を見て、皆は顔を見合わせて笑った。
◆◆◆◆◆
「だからさー、ご褒美的なものはないのー?」
右京の首には、この暑いのに永月の腕が巻き付いていた。
「……なんだよ、ご褒美的なものって」
挨拶の合間に呆れながら振り返る。
「えー、だって優勝したじゃん?あれ、全部、右京のためなんだよ!?」
「お前さ、1回、サッカー部にボコられて来いよ」
右京が呆れてため息をつく。
「せめてチューくらいしてくれてもいいんじゃないのー?」
「おいー」
隣で黙って聞いていた諏訪が永月の襟を引っ張り上げる。
「挨拶運動の邪魔をしてくれるなよ…?」
「なんだよ。全国大会優勝のエースにきやすく触んな。万年球拾いが!」
「――てめえ……」
舌を出した永月に諏訪が顔を引きつらせる。
ただでさえ暑いのに、後頭部あたりでメラメラ燃え始める炎に右京がうんざりしていると、坂道の向こうから真夏の太陽に反射する金色の髪の毛が見えてきた。
「…………」
隣には、まだ見慣れないダークブラウンの髪の毛を、だるそうに掻きながら歩く蜂谷の姿があった。
諏訪がそのことに気づき、まだ右京にまとわりついている永月を力づくで剥がす。
「ほら、教室に行けよ!お前、どうせクラスも右京と一緒だろ!」
言うと永月はフンと鼻を鳴らしながら、やっと昇降口の方へ消えていった。
「……あいつには言わねぇの?山形に帰ること」
諏訪は右京に耳打ちした。
「永月?言ったら面倒くさそうだもん。直前まで言わねぇ」
答える右京に、
「そっちじゃなくて、あっち」
諏訪は尾沢と連れだって歩いてくる蜂谷を顎でしゃくった。
「…………」
右京は目の前の生徒たちに挨拶をしながら、横目で蜂谷を見た。
「………言う必要、ねーんじゃね?」
「――――」
「おはようございます!」
右京は道行く生徒たちから目を離さず、挨拶を繰り返した。
◆◆◆◆◆
蜂谷は眩しすぎる朝陽を浴びながら大きな欠伸をした。
模試バトルが終わってからの十日間で、どうやら宮丘のサッカー部は、全国大会で優勝したらしい。
だからと言って電話やメールでそのことを報告してくる友人がいるわけもなく、試合をテレビで見ていた隆之介が興奮しながら部屋に飛び込んできたからわかっただけで、興味など微塵もなかった。
ただ―――。
ただ、その勝利であいつが……。
右京が喜んだなら、良かったなとは思うけど。
蜂谷は視線を上げた。
この暑いのに、生徒会のメンバーは朝陽を浴びながら、登校してきた生徒たちに挨拶をしている。
中心で手を前に組み、生徒会のメンバーと共に唱和を繰り返している右京を見る。
その後ろから永月が、右京に抱き着くようにまとわりついている。
「―――チッ」
思わずしてしまった舌打ちに、尾沢が振り返る。
「かったりいな……」
誤魔化すように言うと、尾沢は疑いもせず「な」と答えた。
「そういえばさ。休み中、俺、多川さんのとこに入り浸ってたんだけど」
その言葉に蜂谷は軽く尾沢を睨んだ。
父親の勇人に従う気はないが、このままあの連中と付き合い続けるなら、尾沢とはそろそろ距離を置かなければいけない。
彼の生き方を否定する気も、その世界から引き抜く気も、毛頭ない。
ただ、自分と同等か、もしかしたらそれ以上にかわいそうな弟が、せめて好きなように生きられる場所くらいは作ってやりたい。
その目的からすると、きな臭い連中とは早々に手を切るべきだ。
多川のように粘着性のやつは特に、だ。
肝心なところで足を引っ張られかねない。
「奈良崎さんって人、いるだろ?」
「―――ナラザキ?」
「多川さんの先輩の」
塵ほどにも興味がないため、記憶が探れない。
「ほら、赤い悪魔を探してるっていう、例の」
「―――ああ」
自分がとばっちりを受ける羽目になった元凶か。
「ムショから出てくるんだって。もうすぐ」
「へえ。それはそれは」
右京との距離が近づいてくる。
「俺も放免祝いに呼ばれてるんだけど、お前も行かない?」
「行くと思う?俺が」
「―――だよな」
「おはようございます!」
生徒会の声が聞こえてきた。
ちらりと視線を上げる。
いつの間にかまとわりついていた永月の姿は見えなくなっていた。
しかし代わりに諏訪が軽く屈んで右京に耳打ちしている。
それに右京がふっと笑いながら答える。
―――こいつは……。
こいつはきっと、先日発した言葉通り、すぐに自分を“忘れる”のだろう。
永月をあんなにあっさり忘れたように、自分のことなど忘れ、何かのきっかけで誰かを簡単に好きになり、屈託のない笑顔を向けるのだろう。
―――今度こそ。
男でも女でもいいから、今度こそ、まともな相手を―――。
「―――うぐッ」
突然、後ろからぐいと襟首を掴まれた。
驚いて振り返る。
……いつの間に……!
そこには、右京の小さい顔があった。
蜂谷の驚いた顔を見て、蜂谷より少し背の低い右京は笑った。
―――なんで笑えるんだ……?
この夏休み、ほとんど一緒にいた。
すぐ隣で勉強しながら互いにいろんな顔を見せ合い―――。
キスだって、
セックスだってした。
ダメだと思いながらも溢れる思いを止められなくて―――。
身体を重ねるたびにつき放すのが辛くなるのはわかっていたのに、
自分を見る右京の目が純粋であればあるほど、抑え込めなかった。
そして――――。
『話は分かった。この1ヶ月のことは忘れろよ』
そう言われたときは、想像よりも数百倍、胸を抉られるほど、辛かった。
二人で笑うことも、
くだらないことを話すことも、
目を合わせることさえ、
もう出来ないと思っていたのに―――。
「蜂谷」
右京はこちらを見つめ、ふっと息を吐きながら言った。
「おはよう!」
こいつは笑っている。
それは1ヶ月前と同じ笑顔で―――。
いや、違う。
『18代目生徒会長、右京賢吾だ』
あの日、
『俺は、お前たちを更生しに来た…!』
自分たちが出会ったときと、同じ笑顔で……。
―――こいつ。
こいつ本当に―――。
『―――俺は、忘れる』
宣言通りたった数日で、
俺のことを、
一緒に過ごした日々のことを、
―――きれいさっぱり、忘れやがった。
「挨拶運動だ。蜂谷、おはようは?」
右京が覗き込んでくる。
「……オハヨウ……ゴザイマス」
やっとのことで言うと、
「よし!」
屈託のない笑顔で言い、彼はまた生徒会の列に戻っていった。
隣の諏訪が視線だけで右京を見つめ、その後蜂谷を睨んだ。
「…………」
蜂谷も踵を返し、昇降口へ向かう。
足が勝手に動いている。
先ほどまで感じていたうだるような暑さは、悪寒のような冷たさに変わっていた。
――「はは。うぜ。あいつ、変わんねぇな」
尾沢の声が遠くで聞こえる。
――「そういえば多川さんが最近さ」
尾沢が発する言葉の意味が頭に入ってこない。
――「会長のこと、よく聞いてくるんだよな……」
ただ右京の顔が、頭から離れなくて―――
――「あいつって、ばあちゃんと二人暮らしなの?」
冷え切った身体の中で、
――「多川さんが言うにはさ……」
掴まれた襟首だけが―――
――「……なんか、心の病気らしいぜ?」
熱かった。
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