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「あれ、瑞野君、もう体調大丈夫なの?」
パートリーダーの杉本が目を見開いた。
「うん。大丈夫。お騒がせしました!」
ちゃらけて敬礼する瑞野に、これまた杉本が目を丸くしている。
その会話にこっそり笑いながら、久次は皆に飲ませる清涼飲料水を紙コップに注いだ。
「……手伝います」
中嶋が積み重なっていたコップを一つ一つ並べてくれる。
「ありがとう」
言うと目を合わせないまま彼は微笑んだ。
(……すごいな。高校生って言うのは)
その横顔を見ながら久次は頷いた。
瑞野も、中嶋も、自分が何をしたわけでもないのに、ちゃんと自分たちの中で何かを消化し、何かを乗り越えた。
(負けていられないな……)
「……よし!」
久次は立ち上がると、鞄から楽譜ファイルを取り出した。
「飲んだら、今日の発声練習は曲でやろう!」
言うと、たちまち生徒たちからブーイングが入る。
「“あくびの歌”はかんべんしてくださいよー」
誰かが叫ぶ。
「“やまびこさん”も嫌ですー」
誰かも便乗する。
「そうじゃなくて」
久次は一つの楽譜を取り出すと、譜面台の上に置いた。
「“気球にのってどこまでも”」
途端に生徒たちが驚いた顔になり、ブーイングは歓声に変わる。
「……?」
当然知らない瑞野は周りの反応を驚きながら見ている。
「瑞野、おいで」
手招きすると、彼は素直に久次の脇に来た。
「見てて」
「見てて?聴いててじゃなくて?」
そのキョトンとした顔に微笑むと、久次は指揮棒を取り出した。
軽やかな前奏に合わせて、皆がステップを踏み始める。
「……ダンス部だっけ?ここ」
瑞野が笑う。
「するどいな。歌って言うのは実は踊らないダンスなんだ」
同じくステップを踏みながら、久次は笑った。
♪♪♪
Aメロでは軽い左右へのステップ。
♪♪♪
Bメロでは膝の軽い屈伸。
♪♪♪
Cメロでは手を上下させ、
♪♪♪
サビでは、左右に弾みながら手拍子。
ピタリと合ったフレーズと、弾む音律が聞いていて心地よい。
リズムカルな曲では有効な練習方法で、実際に動かすことによって、身体にリズムをしみこませる。
さらに、人体というのは不思議なもので、静止していては出ない高音や声量も、筋肉をほぐしながら歌うと出たりもする。
そうやって息継ぎの仕方や、音の跳ね方を身体ごと学ぶ。
この曲は身体に音楽と歌を教え込むのにすごく有効な曲だ。
「簡単な曲だから、すぐ覚えられるだろ?」
「……自分と同じ感覚でものを言わないでくれる?」
瑞野が軽く睨む。
「身体と喉が解れるまでとことん繰り返すから、3回目くらいから混ざれよ」
「はは。明日筋肉痛になるかも」
瑞野は笑いながら、踊っている生徒たちに目を戻した。
『俺を抱いて。先生』
その声が突如思い出された。
今や会話をしながらでも無意識にできる指揮が乱れ、ハーモニーが僅かに乱れる。
昨日のあれは何だったのだろう。
“暇つぶし”をやめて、人肌恋しくでもなったのだろうか。
下世話な詮索はしたくない。
悪ぶって見えるが、彼もまだ子供なのだ。
(まあ、ハグくらいなら。女子でもあるまいし)
久次は自分に言い聞かせるように頷くと、指揮棒を握り直した。