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部屋に入ると、新谷は紫雨にリビングのソファを促し、奥の寝室へと消えていった。
どうやら部屋着に着替えているらしい。
覗いてやろうかとも思ったけど、止めて大人しくソファに座り部屋を見渡した。
オープンキッチンに広いダイニング。
リビングは20畳ほどあるかもしれない。
壁一面のラックには、テレビの他、DVDや書籍、その他、高そうなウイスキーや日本酒も並んでいる。
反対側の南側の窓には、生活感のない大きなバルコニーに、ラタン調のテーブルと椅子が置いてあるのが見える。
「何だ、ここ」
思わず鼻で笑ってしまう。
ダイニングで朝食を食べる様が、
バルコニーで酒を飲む様が、
キッチンでふざけ合う様が、
目に浮かぶ。
「きもっ」
呟いたところで、部屋着に着替えた新谷が現れた。
「お待たせしました」
「なあ。お前、あんまり笑かすなよ……」
「えっ」
紫雨はその姿を見て、ケラケラと笑いだした。
半袖のベージュのパーカーの下は、黒のイージーパンツ。それらはいいのだが、その上にチェック柄が施された水色のエプロンをかけているのだ。
さらに真ん中には、白いワッペンが張られ、「新谷」と書いてある。
「あ、このエプロン、この間、ハウジングプラザのイベントで、IHクッキング体験会をしたもんで」
新谷は自分を見下ろして笑った。
「持ってきていただいたワインは赤ですか?」
「そう」
「了解です。待っててくださいね」
言いながら新谷は、ワイングラスを2つテーブルの上に並べると、冷蔵庫を開けた。
「え、なに。つまみとか作ってくれんの?」
「いや、作るってわけじゃないんですけど」
言いながらまな板と包丁で何やら準備をしている。
「“新谷”じゃなくて“新妻”だな」
紫雨は呟くと、ソファの背もたれに腕を回し笑った。
「そうやって篠崎さんのご飯も甲斐甲斐しく作ってあげてるんだ?」
「―――あ、いえ」
新谷は苦笑いをしながら言った。
「一度作ったことはあるんですけど、絶望的にまずかったらしくて」
その時のことを思い出したのか、新谷がクククと笑う。
「今は、朝ごはんはパンだし、夕ご飯はほぼ外食ですかねー」
(だから生活臭がしないのか)
紫雨はまるでモデルルームのような部屋をもう一度見回した。
それでも、ここで篠崎と新谷が、二人の時間を慈しんでいるのはわかる。
「お待たせしましたー」
新谷が平皿に並べたチーズの盛り合わせをテーブルに置く。
「おお」
思わず呟く。
ヴィランセ、カマンベール、モンドール、ゴーダ、ゴルゴンゾーラ。
赤ワインに会うチーズばかりだ。
「ちょっと、なにこれ!篠崎さんの趣味?」
言うと新谷はエプロンをたたんで紫雨の隣に座りながら笑った。
「いつもこんなにいっぱいあるわけじゃないんですけど、先週、篠崎さん、誕生日だったので」
誕生日。
そうか。5月末が誕生日だった。
「ーーーー」
「紫雨さん?」
覗き込んできた新谷の額にデコピンをする。
「生意気、お前」
「ええ?」
新谷は困ったように微笑んだ。
「それじゃあ、開けるか」
「はいっ!」
紫雨は袋と箱を開け、それをドンとテーブルに置いた。
「てか、新谷ってワイン飲めるの?」
「それが、あんまり……」
新谷は早速頬を赤く染めながら笑った。
「ていうか、酒自体があまり強くなくて……」
「あー、そうだったな」
天賀谷展示場の飲み会でもいち早く潰れていた彼を思い出した。
「でも酔っ払うと、お前ってかわいいよな」
「え!」
ピクンと新谷の背筋が伸びる。
「紫雨さんからそんな言葉が出るなんて!どうしたんですか?昨日からおかしいですよ」
(……おかしい。おかしいか?)
紫雨はやけに回るのが早いワインの風味を舌で味わいながら、久しぶりに見る新谷を見つめた。
背もたれに回していた腕で新谷の頭を撫でる。
身体の向きを変え、片足をソファの上に立てる。
「何言ってんの。俺は、ずっと、お前のこと、かわいいと思ってたよ」
同じゲイなら、落とせなかったことはない視線を、新谷に注いでみる。
目の下、ちょうど涙袋あたりに神経を集中させてほんの少しだけ目を細める。
この瞳の力で、大抵のゲイは股間を硬くする
「……ありがとうございます!」
新谷はその瞳に負けない目力でこちらを見つめた。
「本当に可愛がってもらったと思っています」
身体ごとこちらに向き直ると、ソファの上に正座した。
「………?」
「公私ともにお世話になりまして、ありがとうございました!」
「……公私ともに?」
紫雨が目を見開くと、新谷は大きく頷いて見せた。
「その、美智さんに会いに行くときとか。本当にすみませんでした」
「……ああ」
紫雨はどうやら自分の目技が通じなかった唯一のゲイである新谷から目を逸らし、足を下ろした。
「そんなの、俺は別に………」
「いえ、本当に、俺の人生、紫雨さんに変えてもらったんで」
「大げさだな」
言いながらグラスを持ち上げる。
「俺はただ、美智さんに合わせただけでしょ」
「違うんです」
新谷は紫雨を見つめた。
「多分、紫雨さんは覚えてないと思うんですけど、帰りの新幹線のトイレで、俺、実は手紙を読んだんです。全部」
「うん」
「それで、美智さんが何を言おうとしているのかもわかって。でもその時点では、俺、篠崎さんが俺に何らかの気持ちがあるって、自信が持てなくて、これからどうすればいいのかわからず、呆然としていたんですよ」
帰りの新幹線。
心ここにあらずだった新谷の顔を思い出す。
「でもそのとき、美智さんを“美人だった”とほめた俺に、紫雨さんが言ったんです。“俺はゲイだからわからない”って」
「………」
覚えてはいないが、新谷がここまで言い切るのだから、言ったのだろう。確かに女の容姿を誉めたりはしない。
しかもあの女なら、尚更だ。
「それで俺、何か、吹っ切れて」
「うん」
「俺はゲイなんだから。篠崎さんが好きなんだから。それならとことん追いかけてみようって!」
紫雨はアルコールのせいだけではなく頬を染めた新谷を見た。
「俺、あの日、紫雨さんと一緒にいなかったら、今、ここにいなかったと思います!!」
新谷が小さな手で、紫雨の手を握ってくる。
「………………」
絡んでくる熱く細い指を見つめる。
(じゃあ、俺があの日、お前についていかなかったら?もしそうなら、今ここにいないはずのお前は、どこにいたんだよ……)
手から視線を新谷の瞳に移す。
(……そのときは、まだ俺の隣にいたんじゃないのか?)
手がその頬を撫でる。
「新谷………」
「……?」
紫雨は、ワインで火照った自分の唇を新谷に寄せた。
◇◇◇◇◇
「違う!!」
篠崎は足を組んで座りながら、新人二人の問題用紙に赤色のペンで×を書き込んだ。
「軽量鉄骨は、セキヤマホームだろうが!モクトモ林業は木造軸組工法のパイオニアだって言ってんだろ?呼吸の家は無垢素材の家だって!!」
篠崎は次々に×を書き込んでいくと、それを二人に返しながら口から火を吐いた。
「お前ら、今すぐ周りのメーカーに頭下げて、展示場見せてもらってこい!!」
「—————」
二人は黙り込んで項垂れた。
「まあまあ、篠崎さん」
渡辺がヒートアップしてきた篠崎をなだめる。
「明日は暮らしの体験会で、彼らも勉強のために行くんだし、ここら辺にしときましょう。バスの中で居眠りさせるわけにもいきませんし」
救いの手に、二人がホッとして、顔を見合わせる。
「お前ら、バスで寝てみろよ。……殺すぞ」
二人が震えあがったところで、篠崎の携帯電話が震えた。
「……林?」
篠崎はおそらく初めて見る表示に首を傾げながら通話ボタンを押した。
「はい、篠崎」
『あ、お疲れ様です』
受話口からは、消え入りそうな声が聞こえてきた。
「おお。どうした」
『あの、変なこと聞きますけど…』
「ん?」
『紫雨マネージャー、そちらにお邪魔してませんよね?』
「紫雨?」
いないとわかりつつ事務所内を見回す。
「見てねぇけど?」
『ですよね。……わかりました』
「どうした。一緒に来たんじゃねえのか?」
『あ、いえ、なんか…ご親戚のところに行かれるというので、別で…。でも、今、ホテルにチェックインしたら、紫雨さんがまだだと言われたもので。俺より2時間ほど前に出たのに』
「2時間前……?」
壁の時計を見上げる。
今が20時5分。18時にこちらに来ていた―――?
『じゃあ俺、帰って勉強しますんで!!』
定時で事務所を飛び出していった新谷の後ろ姿を思い出す。
「……まさかな」
林との電話を切ってすぐ、新谷にかける。
トゥルルルルルルルル
トゥルルルルルルルル
『おかけになった電話をお呼びしましたが、お出になりません』
「ーーーーーー」
篠崎は鞄を持ち上げた。
篠崎は来客用駐車場に白のキャデラックが停めてあるのを横目で睨むと、エントランスに駆け込んだ。
エレベーターのボタンを押すが、20階に止まったままでなかなか降りてこない。
「———っ」
脇のドアを開けると、夜風が流れ込んできた。
「ちっ」
舌打ちをすると、篠崎はその非常用階段を2段飛ばしで上がっていった。
凭れかかるようにドアに身体を預けながら、ぐいとノブを押し込み開ける。
ポーチにMARINIの赤茶色の革靴が脱ぎ揃えてある。
篠崎は廊下の先を睨んだ。
「あ、それ……待ってください」
何かを期待している新谷の声が聞こえてくる。
「これ……欲しい?」
笑いを含んだ紫雨の声も聞こえる。
「あ、やっぱり、すごく、いい」
「でしょ?」
篠崎は静かに靴を脱いだ。
「……それ、俺にください」
「ほしいなら、あげてもいいけど?」
そろりそろりと廊下を歩く。
「でもあれじゃない?篠崎さんにバレたら、面倒じゃない?」
紫雨が笑っている。
「俺、怒られたくないんだけど」
すると新谷は―――。
「大丈夫です。今日、帰りが遅くなるって言ってたので」
リビングのドアノブに手をかける。
「……いいから全部、俺にください…!」
バンッ。
勢いよくドアを開ける。
「?」
着衣のまま、仲良くソファに座った二人はこちらを振り返った。
「篠崎さん!!」
「アレー。早かったすねー」
対照的な二人の反応に、篠崎は黙って回り込んだ。
よほど慌てたのか、新谷の手から携帯電話が滑り落ちる。
と、そこにはーーーー。
「なんだそれ……」
篠崎は呆れて目を細めた。
拾いながら新谷が上目遣いに篠崎を見る。
「………紫雨さんが、若い頃の篠崎さんの画像、見せてくれるって言ったので……」
「おい。今でも若いっつうの」
篠崎は腹の底からため息をついて、ニヤニヤしているもう一人を睨んだ。
「お前。来るなら来るって言えよ」
「サプライズも楽しいかなと思って」
愉快そうに笑っている。
「サプライズどころじゃないわ……」
「痛っ」
篠崎はネームホルダーを外すと紫雨に投げつけた。
「シャワー浴びてくる」
新谷に言いながらボタンを外し始める。
「えー、冷たいなあ。酒持ってきたんで、飲みましょうよ」
紫雨が篠崎の背中に向かって言う。
「何言ってんだ」
篠崎は呆れて振り返った。
「お前と久々に飲むためにシャワー浴びるんだろ。そっちこそまだ帰んなよ」
「ーーーーー」
返答がないので篠崎は同期のマネージャーを振り返った。
しかし彼は口元を抑えて俯いたまま、顔を赤く染めていた。
「ーーーー?」
よくわからなかったが、階段を駆け上ってきた手前、大量に汗をかいていた。
篠崎はリビングのドアを開けると、そのまま脱衣所へと入っていった。