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嵐女公子あらめこうしが影の中に沈むのと宗一郎たちの眼の前に数十、下手をすれば百近くいる“魔”が溢れかえるのは、同時だった。
だが、どれも『第一階位』。
イレーナの『影送り』に飲まれる前に急いで生み出したためだろう。
どれもこれも形すら満足に保てない有象無象である。
右腕だけ、どろりと腐った瞳だけ、あるいは7本の指が絡み合った小さな手だけが、山中に溢れかえった。
「……ッ!」
宗一郎が前に出るのと、イレーナとレンジが後ろに下がるのは同時。
前に飛び出した宗一郎は両腕を強化した単純な『身体強化』で単身、“魔”の群れに突撃。
レンジが広範囲魔法を使う時間を稼ぐ。
イレーナは宗一郎の補助。補助とはいえ後ろに引いたのは宗一郎ほど、近接戦闘が得意ではないからだ。宗一郎が斬り込み、取り逃した“魔”をイレーナが呼び出した『ピクシー』たちが祓う。
そうして生み出した十数秒の間に、レンジは準備を終えている。
「下がれ、宗一郎ッ!」
その合図と共に、宗一郎が後ろに飛ぶ。
一拍の時間を置いて、レンジが生み出した『風』と『火』の『複合属性変化:爆』が弾けた。爆風が“魔”の身体を粉々に砕き、焼き払う。
腹の底まで響く爆発音を聞きながら、宗一郎は爆発で死にきらなかった“魔”を数匹斬った。
黒い霧が一瞬で溢れかえると宗一郎たちの視界を埋め尽くす。
「イレーナ、あとどれだけ保もつ?」
「あと数十秒……でしょう。1分は保ちません」
「……分かった」
『影送り』は力量差のある敵であれば送・る・だけで祓うことができるが、力量差のある相手では時間稼ぎにしかならない。
だが、出てくるまでの時間で出来ることもある。
「二人とも、聞け。敵は『第六階位名前持ち』。右手で水を溜・め・て・放ってくる魔法を使う。音速を超えるぞ」
「……なんで名前持ちがここに?」
「話すと長くなるが、鍛冶師を狙っている」
レンジの最もな問いかけに、宗一郎は短く返す。
今は仙境や閂カンヌキの説明をしている時間がないのだ。
宗一郎は喋っている間にも足を止めることなく移動を続ける。
『影送り』は飲み込まれた場所から吐き出される。
場所が分かっているのならば、先手を取ることが出来るのだ。
『重い雨』によってぐずぐずになった木の幹を踏みしめて、宗一郎が裏手を取ろうとした瞬間――黒い影が、溢れかえった。当然、そこから出てくるのは嵐女公子あらめこうし。彼女は影をしたたらせながら、きょとんと首を傾げた。
『時間稼ぎにしてはもっと良い方法があったんじゃないの?』
傾けながら周囲を確認。
『祓魔師がいくら増えても私わたくしの敵じゃないのだけれど……』
嵐女公子あらめこうしは声もなく飛び込んだ宗一郎、その抜刀を2回後ろに跳んでから回避。
『その刀、ただただ面倒だわ』
そう言いながら、嵐女公子あらめこうしは自らの頬に手をあてた。
そこには未だに黒い霧を生み出し、魔力を奪い続ける傷がある。
しかし、嵐女公子あらめこうしは紡いだ言葉に対してそこまで焦っているようには見えない。
当たり前だ。魔力を奪い続けるとはいえ、嵐女公子あらめこうしは『第六階位』。
宗一郎の30倍の魔力を有している。『第四階位』のイレーナと比較して900倍。
つくづく、と宗一郎は思う。
……つくづく不公平な世界だと。
とはいえ、いまさら生まれ持ったもの魔力量に文句を言ってもはじまらない。
少しでもその莫大な魔力差を埋めるために、次の傷をつけるだけだ。
「面倒なら、もう一度斬られてみるか? 祓われれば、もはや面倒に苦しむこともないだろう」
『馬鹿? あなたが死ねば、全て解決じゃない』
そうして今一度相対した瞬間、宗一郎と嵐女公子あらめこうしの吐息が真・っ・白・に・染・ま・っ・た・。
『死なせんよ』
足が震えてしまうほどの冷気が、ぞっと山下から伝わってくる。
濡れた地面が急速に凍りつき、パキ、という音を立てる。嵐女公子あらめこうしの魔法からなんとか逃れた木々が冷気には耐えきれず、急速に凍りつき、幹が割れた。
真っ白い霜が降り注ぐ中、白銀の少女が姿を見せる。
アヤの顔と、身体。しかし、全く違う存在感と異質な魔力を纏った様子で。
『ソイツが死ぬと、イツキが悲しむのだ』
その冷気は素早く嵐女公子あらめこうしの両足を絡め取ると、凍りつかせる。
突如としてやってきた氷雪公女に面食らった宗一郎だったが、すぐさま嵐女公子あらめこうしに向かって飛び込んだ。もはや逃げ切れるはずもなく、一撃。斜めに振り下ろした斬撃が、嵐女公子あらめこうしの胴に傷を残す。
『……っ!』
嵐女公子あらめこうしの顔に、驚きと痛みに耐える表情が浮かぶ。
宗一郎がそのまま返す刃で嵐女公子あらめこうしの命を取ろうとした瞬間、嵐女公子あらめこうしが大きく息を吸い込んだ。
『――離れなさいッ!!!』
ごう、と風が吹き荒れた。
声そのものが暴風となって、眼の前にいた宗一郎を吹き飛ばす。
飛んだ宗一郎の身体をイレーナの妖精が受け止め、呼び出した『セイレーン』が歌いだす。流れるような治癒魔法。妖精の歌声によって、宗一郎の傷が治り始める。
その間にレンジは嵐女公子あらめこうしが宗一郎に追撃しないよう魔法の射撃。
そこまでをわずか数秒で行う連携に、嵐女公子あらめこうしは舌打ちをすると自らの足を斬・り・落・と・し・て・飛び上がった。
断ち切れた足が黒い霧になって消えていくと同時に、ミチミチと音を立てて修復されていく。
風を纏い、空中に浮かび、レンジの魔法を強固にまとった風の鎧で防ぎながら、嵐女公子あらめこうしは真後ろに来たもう1人の『第六階位』に向き直った。
『あなた、私わたくしの仲間でしょう……名前は?』
突然の問いかけに、氷雪公女はリンとした態度で向き合った。
『氷雪公女という』
『そう、私わたくしは嵐女公子あらめこうし』
そう答えた嵐女公子あらめこうしの両足は完全に治癒しているが、宗一郎によって斬られた胴体の傷から黒い煙がこぼれつづける。
その傷をかばうように嵐女公子あらめこうしは手で傷口を抑えると、氷雪公女に尋ねた。
『どうして、人間の味方を?』
『“魔”が人を味方したらおかしいか?』
『いいえ? どうせ人間に恋したとかでしょう。珍しいけれど無いわけじゃないわ』
『こ……っ!? ち、違う!!』
ばん、と氷雪公女が地団駄を踏んだ瞬間、踏みしめた地面が真っ白に染まると無数の氷塊が突きでながら嵐女公子あらめこうしに迫る。
『雑な魔法ね』
取り乱した氷雪公女の魔法を嵐女公子あらめこうしは一瞥いちべつし、宙に跳んで避けた。
『そう思うか? めでたいな』
顔を赤くしたまま、氷雪公女がそう言うと嵐女公子あらめこうしの右脇腹が何かによってえぐられた。えぐられたのは、脇腹だけではない。残った腕が、治したばかりの足が、肩が、頬が、何かによってえぐられていく。
それに気がついた嵐女公子あらめこうしが眉をひそめた。
『……小賢しい真似もできるのね。あなた』
『あいにくと、私を“魔”にした祓魔師も性格が悪くてな』
そう言いながら、氷雪公女が口角を釣り上げる。
なんてことはない。彼女がやったことは、嵐女公子あらめこうしの纏う風の鎧に見えないほど小さく生み出した氷を混ぜ込んだだけだ。ただ、普通にやっては見抜かれる。だからこそ地面に氷塊を生み出し、そこに視線を誘導しただけ。
嵐女公子あらめこうしは、自らの周囲に高速で渦巻く風を呼び出すことでレンジの遠距離魔法に対抗していた。そこに鋭く尖らせた氷を混ぜ込ませれば、嵐女公子あらめこうしは彼女自身の魔法によって削られていく。
それを見抜いたからこそ、氷雪公女は微笑んだ。
『鎧を解けば楽になれるぞ?』
『……見え透いた、挑発ね』
いま、嵐女公子あらめこうしに風の鎧は解けない。
解いてしまえばレンジとイレーナの魔法によって蜂の巣にされる。
『それとも、こうした方が分かりやすかったか?』
そう言って氷雪公女が微笑むと同時に、ふっ、と日が陰った。
嵐女公子あらめこうしが頭上を見上げれば、そこには雲を突き破って降ってくる彗星のような氷塊があり、
『……ッ!』
『小賢しさが嫌いなら真正面からの勝負と行こうか。嵐女公子あらめこうし』
空を裂いて落下する飛翔物に、嵐女公子あらめこうしは目に見えて怯んだ。
彼女は肉が削られていくのも気にせず、大きく後ろに跳ぶ。
巨大な質量が落ちてくるのなら、落下地点から離れれば良い。至極、当然の思考。
だが、その道理が通らないのは……落ちる星が、魔法で生みだされているから。
降る氷は――がくん、と挙動を変えて嵐女公子あらめこうしを追尾。どれだけ離れても彼女を追いかける。もし、嵐女公子あらめこうしが真眼を持っていたら気がついただろう。落ちる凍星いてぼしの先から『導糸シルベイト』が伸びていることに。
『……そう。逃がしてくれないわけね』
一人、そう呟いた嵐女公子あらめこうしは、右・手・を・握・り・し・め・た・。
『なら、壊せば良いのだわ』
そして、天に向かって手を掲げた。
ぱっ、と嵐女公子あらめこうしの手元から音を超える速さで水の弾丸が放たれた。
バッッッツツツ!!!
生まれた衝撃波が空駆ける氷塊に激突――そして、両者がともに弾けた。
降る彗星は、一瞬にして木端微塵に砕け散るとバラバラになって氷の雨を降らせる。
遅れて、雷のような衝撃音があたりに轟いた。
その音に乗じるように、嵐女公子あらめこうしが両手を掲げる。
掲げた瞬間、曇天が空を覆うと雨が降り始めた。
それと共に立ちこめてくるのが霧だ。
もうもうと白い霧が足元から忍び寄り、視界を奪っていく。
そんな中にありながら、嵐女公子あらめこうしは静かに黒い傘を折りたたんだ。折りたたんだ傘を左手に持ちながら、彼女は周囲を見渡した。
『せっかく閂カンヌキを捕まえられると思ったのだけれど……もう良いわ』
嵐女公子あらめこうしはそういうと、ほう、とため息をつく。
『祓魔師が3人に、私と同格が1人。そんな状況で閂カンヌキに仙境への道を開けさせるなんて……面倒よ』
その吐いた息が真っ白に染まる。
気がつけば、降りしきる雨が雪になっていく。
『だからね、こうするの』
嵐女公子あらめこうしが握・っ・て・い・た・右・手・を再び開く。
その瞬間、レンジとイレーナが防護魔法を発動。
不可視の壁が生みだされると同時に、氷雪公女の一番近くにいた宗一郎が彼女の身体を引き寄せた。
『――なんてね』
しかし、何も起きない。
ただ開かれた嵐女公子あらめこうしの手のひらだけが、そこに残る。
――魔法の偽装ブラフ。
それを理解するために、彼らの間に一瞬の停滞が生まれた。
『あはは! また遊びましょう!』
その停滞を使って嵐女公子あらめこうしは凄まじい勢いで空へと飛び上がった。
『――この傷の恨み、忘れないわよ』
哄笑する嵐女公子あらめこうしの姿がどんどん小さくなる。
「レンジ!」
「分かってるッ!」
遠距離の魔法を撃つも、すでに嵐女公子あらめこうしに届くことなく落下していく。距離が足りないのだ。
それを踏まえてレンジが追撃の魔法を放とうとした瞬間、空を一筋の光線が駆け抜けた。
「……なんだ?」
見覚えのない魔法。それを不思議に思って宗一郎が呟く。
その光線は逃げていた嵐女公子あらめこうしの身体を貫いて、燃え上がった。
空を駆け、逃げようとした鬼の身体が地面に落ちていく。
逃げるために使っている風を炎が覆い、方向感覚を失っているのだ。
「レンジ、飛ぶぞッ!」
「分かった。合わせる」
誰が魔法を使ったのか。
それを考えるよりも先に、宗一郎たちの身体が動いた。眼の前の木々に『導糸シルベイト』を巻きつけると、そのまま『身体強化』した腕によって引いた。
ぐん、と宗一郎の身体が加速。
まるで砲弾のように宙に飛び上がる。
そして一気に景色を見下ろした瞬間に、嵐女公子あらめこうしに向かってもう一本の熱線が飛んだ。しかし、その熱線は鬼女の手前5mほどのところで、がくん、と屈折。大きく逸れると谷間を流れている川に触れて、沸騰した水と土砂が間欠泉のように吹き荒れた。
ドウッ!!!!
遅れて両耳に爆発音が響くと、宗一郎の身体は勢いそのままに舞い上がった水しぶきの中に飛び込む。
「……ッ!」
片手で土砂が目に入らないように庇いながら水しぶきの中を突き抜けると、宗一郎の足元をレンジの砲弾が走り抜けた。彼はそれに『導糸シルベイト』を巻き付けて、空中でさらに加速。
一気に身体を持ち上げると宗一郎の視界に、少女の姿が飛び込んできた。
「あれは……ニーナか?」
金の髪に、青い瞳。これまでの怯えた瞳ではなく、祓魔師としての覚悟を抱えた少女が1・人・の・女・性・に・抱・え・ら・れ・て・空を飛んでいる。
その女性も、異質だ。
まるで竜を思わせるような2本の大角を頭に生やし、背中には小さな翼が生えている。
身長は2m近くあり、宗一郎よりも長身。そして、何よりも彼女の姿はまるで炎のように揺らめいている。
おそらくは、何らかの妖精だろう。
だが、見たことがない妖精の姿に宗一郎が頭の中で記憶を探っていると、ニーナが口を開いた。
「イフリート。今のはもう使えないわ。あれじゃあ、モンスターを殺せない」
「……イフリート?」
思わず宗一郎が呟いた。彼の知っているイフリートは、竜そのものだ。
ニーナを抱きかかえているような人の姿をしている妖精ではない。
しかし、その疑問に応えるようにニーナが宗一郎の方を見ることなく呟いた。
「これも、イフリートよ」
その言葉とともに竜の妖精イフリートが手を開いた。
「私・だ・け・の・イ・フ・リ・ー・ト・な・の・」
ニーナの言葉に応えるように、イフリートが頷くと彼女の真後ろに生まれた5つの火球がぎゅるりと回転すると、5つの槍になる。
遠くからみれば、それはまるで大きな竜爪のように見えるだろう。
「ええ、イツキならそうするわ。――『焔蜂Fire』」
その瞬間、放たれた5つの炎槍は3本が屈折したが、2本が落下する嵐女公子あらめこうしの身体を捉える。大きな穴を空けると同時に、爆発。彼女は落ちながら振り返ると、苦々しい顔を浮かべながら握りしめていた右手をニーナに向けた。
ブラフではない、本当の一撃。
しかし、すでにそこは宗一郎の『導糸シルベイト』の射程に入っている。
「悪いな」
嵐女公子あらめこうしの身体に『導糸シルベイト』が巻き付く。
ぐん、と宗一郎の身体が鬼に向かって落ちていく。
嵐女公子あらめこうしが手を開く。
ブラフではなく今度こそ音を超える速さで水の砲弾が放たれた。
「それは、すでに見・切・っ・た・」
『……ッ!』
しかし、その言葉の通り宗一郎は砲撃を断つと――嵐女公子あらめこうしの胸に、刀を深々と突き刺した。
『馬鹿、ね。私わたくしがこの程度で死ぬわけが……!』
「いいや、終わりだ」
『ふざ、け……』
だが、嵐女公子あらめこうしが言い切るよりも先に宗一郎がその身体を縦に切り裂く。
ひゅば、と音を立てて裂けた鬼の身体。彼はそのまま身体を捻ると、鬼の首を跳ねた。
十字に斬られた鬼の身体が四散する。
だが、黒い霧にならない。
『第六階位モンスター』はこの程度では死にきらない。
『この程度で私わたくしが死ぬとでも……!?』
「良いところをは若人わこうどに譲るのが先人の努めだ」
『なに、ふざけたことを……!』
言っているの、と続けたかった嵐女公子あらめこうしの言葉はもはや言葉にならなかった。
降り掛かった滴したたる炎が彼女の身体を燃やしたのだ。
イフリートが空から降らせた炎の雨。それがアスファルトを熔とかし、ガードレールを蕩とろけさせ、炎の雨が嵐女公子あらめこうしの身体に穴を空けていく。
「子育てに大事なことは『自信をつけさせる』ことだと」
遂に、宗一郎が着地する。
ドンッ! と、嵐女公子あらめこうしの肉体が地面に叩きつけられる。
その全てが燃え上がっている。
「本に書いてあったのでな」
そして、その炎が消えぬうちに黒い霧となって――消えていった。