高原は焦れた目をして、けれど恐る恐るといった風に私に口づける。そっと顔を離して、私の両目を覗き込んだ。
「どうして拒否しないんだ。答えを期待してしまうじゃないか」
「こんなことになるなんて本当に悔しいんだけど……」
私は高原の目を見返し、吐息まじりの小声で言った。
「私、高原さんを好きになってしまいました」
次の瞬間、これ以上はないというくらい嬉しそうな笑みが、高原の顔いっぱいに広がった。
こんな顔を見たのは初めて……。
そう思ったと同時だった。再び彼の顔が近づいてきた。
私は目を閉じて、彼の唇を受け止めた。
しかし彼はすぐに唇を離すと、真剣な目をして私に訊ねた。
「噓じゃ、ないんだよな」
急に恥ずかしくなって、私は目線を外しながら頷いた。
「本当です。自分でも驚いているけれど」
「佳奈、って呼びたい。俺のことも下の名前で呼んでほしい」
私の頬に触れながらそう言う高原――宗輔に、私は頷いた。
「はい。宗輔、さん……」
彼の名前を口にした途端、嬉しくてむず痒いような気持ちになった。
「やっと捕まえた」
宗輔は再び私に口づけた。初めは探るようだったキスは、次第に気持ちの昂りを感じるような強さと熱を伴い始めた。
宗輔の舌が私の唇を割るようにして入ってくる。彼はそのまま私の舌を絡め取ると、これまでの想いをすべてぶつけるかのような、優しいくせに激しいキスを続けた。
私は彼の熱に翻弄されながらも、彼の口づけを受け入れていた。彼の昂ぶりが伝染したのか、彼のキスに促されてしまったのか、私の体の内にももどかしさが生まれた。高まる気持ちのままに彼の首に腕を回そうとしたが、すぐさまはっとする。
宗輔のキスはエスカレートする一方だったが、私はそれに必死に抗った。
「ん……んんっ!」
宗輔を押し戻そうとする私の手に、彼は我に返った様子でようやく体を離した。見ればばつが悪そうな顔をしている。
「すまない。あんまり嬉しくてつい暴走してしまった……」
その表情に、言い方に、胸がキュッと鳴った。愛しい気持ちがさらに大きくなる。私は微笑みながら首を振った。
「違うんです。嫌だったんじゃなくて、シートベルトをしたままだったから苦しくて……」
「っ……気づかなくて悪かった!痛かっただろ?ごめんな」
宗輔は慌てて私の分のシートベルトを外した。
「大丈夫です。……あの、念のため、確認なんだけど」
「確認?」
私はひと呼吸ほど置いて、改めて訊ねた。
「本当に、私を好き、なの?」
私の問いに宗輔は絶句し、続いて苦笑した。
「信じられない?」
「だって、こんなドラマみたいな展開、まさか自分に……。夢なんじゃないかって……」
「ドラマでも夢でもない。現実だ」
そう言うと、宗輔は再び私に深く口づけた。
激しく絡んでくるような彼のキスに応えているうちに、それだけで私の全身は快感に蕩けそうになる。その気持ちを抑えきれずに、私は今度こそ彼にしがみつくように腕をからめた。
しかし、宗輔は切なげな目をしながら、私から体を離した。
「……もう、帰ろう」
何か引かれるようなことでもしてしまっただろうかと、私はおろおろした。
「あの、ごめんなさい。私、何かまずいことでも……」
「違うんだ。まずいのは俺の方。この辺でやめないと、引き返せなくなるから。車の中でなんて、嫌だろ。そういう日をちゃんと作るから、それまで待って」
私は思わず吹き出し、丁寧語を忘れた。
「何よ、それ。そんなこと言われたら、そういう日を意識してしまうじゃない」
「それくらい、君を大切にしたいってことだよ。油断したら、俺はそれくらい佳奈に溺れる自信があるんだ。そうならないように、これでも一応自制してるんだからな」
「……ふ、ふふっ」
その言い回しに、私は笑い声をこぼした。
「自信とか自制って……何それ」
「そのうち、そんな風に笑っていられなくなるくらい、すべて愛してやる。今から覚悟しとけよ」
宗輔の口から出た甘い言葉に、私は息を呑んだ。顔が熱を持つ。
宗輔はくすりと笑うと、私の手を取った。
「佳奈、改めて言わせてくれ。……君が好きだ。俺と付き合ってください」
その言葉を聞いた私は、束の間感慨に耽りそうになった。
あんなに大嫌いと思っていた人と、まさかこんな関係になるなんて――。
だから一瞬、返事が遅れてしまった。
「……よろしく、お願いします」
「佳奈?」
その間を、私が迷っているからだと捉えてしまったのか、宗輔の声に不安が混じった。
「ごめんなさい。今、ものすごく感じが悪かった時のあなたを思い出してしまって」
そう言う私に、宗輔は苦笑を浮かべた。
「あれは本当の俺じゃなかったから」
「えぇ、もう知ってます。……大好きよ」
私はそう言って宗輔の体に腕を回した。
彼は私の言葉をかみしめるように微笑むと、優しいキスを落とした。それから名残惜しそうに唇を離すと、口調を改めて言った。
「あのさ、聞きたいことがあるんだけど」
「何?」
「ここ最近の佳奈は、俺のことを避けていただろう?会社を訪ねれば、必ずと言っていいほど他の二人が先回りして俺の対応に出てきてさ。その隙にいつも君は席を立ったり、どこかに電話し始めたり……。あれは、どうして?」
本当のことを言うのがためらわれて、私はうつむいた。
「あれは……」
宗輔は、言い淀んでいる私の両頬を手で優しく包み込んだ。
「言って。言わないと……」
宗輔は私の唇をぐいっと塞いだ。舌を絡めとるキスに負けて、ぐったりしてしまった私の頭を引き寄せながら、彼は耳元に囁く。
「言う気になった?」
「わ、分かりましたから……。もう、なんなのかしら」
宗輔の甘い脅しに、体が火照りかけそうになる。私はそれをごまかすように、ぶつぶつ言いながら彼から離れて、シートに背を預けてため息をついた。
「本当はこんな話、聞かせたくなかったんですけど……」
大木から嫌がらせのような態度を取られていること、宗輔の対応に出た日はそれがさらにひどくなること、そして恐らくその「きっかけ」は私が大木の告白を拒否したこと――それらを私はぽつぽつと話した。
聞き終えた宗輔は唸った。
「俺の対応に出た日には、それが特にひどくなるって?なんだよ、それ」
「たぶん、ですし、同僚の勝手な想像だけど……どうも課長は、あなたに対して嫉妬していたんじゃないか、と。あなたとのことで、嫌なことも言われたし」
「嫌なこと?」
私は目を伏せた。
「遠回しだったけど、侮辱するようなことを言われて……。それ以上は聞かないでください」
あの時の気持ちがよみがえりそうになって、私は唇を噛んだ。
「思い出したくないことなら、聞かないよ」
宗輔は穏やかな声で言いながら、私の手をきゅっと握りしめた。
その手を握り返しながら、私は続けた。
「だから同僚たちに頼んだの。私があなたの対応をしなくなれば、少しはそういうことが減るかなと思ったから。……本当にごめんなさい。だけど課長が異動するまでは、このままの形を取りたいの」
「そうだったのか。理解したよ。だけど、もしもその想像通りだとしたら、あの人は今も佳奈を好きってことなのか。同僚の子たちが協力してくれるとはいえ、大丈夫なのか?なんというか……嫌がらせはもちろんだけど、それがおかしな方向に転がらないか心配だよ。そのことを相談できる人は?確か、支店長がいるよな」
「いるにはいるけど、支店長は別支店も兼務していて、なかなか……」
宗輔は眉間にぐっとしわを寄せた。
「あの人が、佳奈の店の実質トップみたいなものなのか?」
「そうなりますね。実は支店長代理っていう肩書もあるし」
「もっと上の、例えば本社の人事とかは?だいたいそれって、パワハラだろ」
「そうなんだろうけど、それくらいで上が動くかどうか……。次の異動ではいなくなる人だし、異動先で私にしたのと同じようなことをするとも限らないし……。今回は私との間にちょっとあったから、こういうことになったんだと思うので」
「外部の人間の俺が、口出しできないのが歯がゆすぎるよ。とにかく。いつまでも我慢していないで、できるだけ早いうちに必ず誰か、上の方の人に相談するんだぞ。絶対に一人で抱え込まないで」
私は宗輔を安心させるように、こくんと頷いた。
「えぇ、分かってます」
「辛いなって思う時でも、そうでない時でも、いつでも俺に甘えてくれていいから。それでなくても、甘やかすつもりでいるけど」
「……ありがとう。そう言ってくれる人ができて嬉しい」
私は宗輔の頬にキスをした。
彼はそれに応えるように私を抱き締めて、今夜何度目かの熱いキスで私の頭の芯を痺れさせた。
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