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じわじわと暑さが増してきた11月の半ば、以前の騒動が落ち着き、あの時は大変だったねと笑いながら話せるようになったその日の夜、リアムは一人ある計画を実行に移すかどうかで悩んでいた。
それは、もうすぐ恋人の誕生日という付き合いだして初めて迎える一大イベントに、何かサプライズ的な事をしたいというものだった。
高校の悪友達の誕生日は他の三人が頭を突きつけて何をすれば驚くかに焦点を当てたものを仕掛けていた為、どちらかといえば生真面目なリアムには想像もつかないことを他の二人が次々に提案し、その中で最も驚くことを選択してきたのだが、今付き合っている恋人に対しては何をすれば驚くのか想像が全くつかなかった。
ただ驚かせるだけではなく、当然ながらその根底には喜んで欲しいとの気持ちがあり、そもそも何を欲しがっているのかも明確に教えられたこともなく、ソファでクッションを小脇に抱えてぼんやりテレビを見ながら己の恋人の趣味を思い出す。
隣の家で暮らしている杠慶一朗−長すぎるので最短に省略してケイと呼んでいる−の趣味は鉄道模型を自ら作ったジオラマの中を走らせる事と、英国でリアムが生まれる前から放送しているSFドラマのキャラクターグッズを集めることだった。
鉄道模型は世界中から色々なツテを使って限定ものなどを買い、手元に届いてはそれをどの環境で走らせるのが良いのかを吟味し、休日の全てを費やして作成したジオラマで走らせるのが楽しいと何度か子供のような顔で教えられたことがあったが、ドラマのキャラクターグッズは気がつけば一つまた一つと増えているような状況だった。
慶一朗のリビングのソファ横にある、そのドラマに出てくる有名な敵の巨大なぬいぐるみを初めて見た時にリアムが抱いたのは、何故腕にラバーカップらしきものが着いているんだと言う根本の疑問だったが、リビングのテレビを置いているボードにはぬいぐるみと同じ敵の色違いの小さなフィギュアがまるで軍隊か何かのように斜め45度に整列していた。
何が一体そんなに好きになったんだとそのドラマを一緒に見ている時に問いかけたリアムに返ってきたのは、ロングコートの似合う手当たり次第に人を口説く男前が出ていたからとの言葉で、その彼が出ている回を見せられ、確かにロングコートは似合っているが顎のうっすら入った割れ目に関してはセクシーとは思えないなぁという感想しか抱けなかった。
だが、そのドラマはリアムが見ていても面白いと感じるものだった為、放送がある時は二人揃ってテレビを見る事にしていた。
そんな恋人が好きなドラマのグッズはまだ他にもあり、精神的に不安定になったりすると必ずソファで抱え込んでしまう青い電話ボックス型のぬいぐるみもそうだった。
人の気持ちが弱くなったりする時、何かに縋りたい気持ちからクッションや枕や布団を抱きかかえる事はあるし、女性や子供ならばそれがぬいぐるみだったりするのだろうが、己よりも年上で仕事上では優秀な脳神経外科医である慶一朗は、そんな精神状態になった時には必ずその青い電話ボックス型のぬいぐるみを抱きしめていた。
その電話ボックスも前述のドラマに出てくる−どころかドラマを象徴するもので、ドラマを見た時に思わずぬいぐるみと見比べたが、それを抱きしめている時の横顔はリアムの胸を鷲掴みにするようなもので、その顔を見る度にぬいぐるみではなく隣にいる己を抱きしめてくれればとの思いを抱くようになっていたのだ。
今まで縋れたものがぬいぐるみなどの無機質なものしかなかったことを教えてくれるそれについつい胸が痛んでしまうが、最近ではぬいぐるみを抱きしめて落ち着いた頃にはぬいぐるみを抱きしめる慶一朗を背後から抱きしめていた己へと抱きつくようになってきたのだ。
その変化が嬉しくもあった為に好きにさせていたが、それほど好きなキャラクターグッズならば誕生日プレゼントに買えば喜んでくれるだろうかと、悩みの根源を思い出して溜息を吐く。
サプライズなどはどちらかと言えば得意ではなく、されるのも少し苦手意識があるリアムだが、己の恋人は果たしてどうかと付き合ってまだ半年程度の決して長くはない時間で知った性格からすれば、サプライズをされた嬉しさよりも気恥ずかしさを感じてしまうのではないかと思い至り、サプライズはやめておこうと結論づける。
だが、サプライズを取りやめにしたからと言って誕生日プレゼントやその祝いまで取り止めようとは思っておらず、さて、どうしたものかと同じようで違う種類の悩みに頭を働かせていたリアムは、ドアベルが短く2回鳴らされた事に気づき、抱えていたクッションを投げ捨てて立ち上がり、玄関と鉄の網戸を開けて自然と出てくる笑顔を浮かべる。
「ハロ」
「ああ」
リアムのこれだけは抜け切らないドイツ語の挨拶をするとようやく仕事が終わって帰宅できたらしい慶一朗の顔からあっという間に笑顔が消え、本人曰くの薄い表情──他者からみれば無表情になってしまう。
「オペが長引いたのか?」
「・・・予想外の出来事はあるもんだな」
リアムの労いも込めた問いかけに、素っ気なさと半ば呆れた口調で帰りが遅くなった理由を説明した慶一朗だったが、ふと何かを思い出したように色素の薄い目を見張り、目の前でそれはお疲れ様と優しい言葉と表情で労うリアムの腰に腕を回してそっと分厚い胸板に頬を当てる。
これは、二人が付き合っていることを対外的に公表していない慶一朗が、自宅に帰ってきた事を実感するための儀式のようなもので、言葉や表情が以前より無表情であったり素っ気なかったりすることはリアムに対して最大限に気を許している証だったが、それがちゃんと伝わっているのかが不安になった慶一朗が言葉ではなく態度で示そうと決めた結果のハグだった。
耳を当てている胸から響く鼓動が少しだけ早くなった事に気付いて伺うように顔を上げると、そこには少しだけ赤くなった愛嬌のある顔があり、本来ならば言葉で伝えなければならない思いが今日もちゃんと伝わった事に無意識に安堵の溜息をこぼす。
「ケイ?」
「・・・ただいま、リアム」
その挨拶が日本では帰宅した時に交わされるものだと最近教えられたリアムは、お帰りと言えばいいのかと笑いながら問いかけ、うんと短く同意をされる。
「お帰り、ケイ」
日本では当たり前の、だが、ここではほとんど交わすことのなかった言葉を交わした後、リアムの口の端にそっとキスをする。
「腹が減った」
「今日は遅くなるって聞いていたから簡単なものにした」
トマトとベーコンのスープとポークソテーにマッシュポテトはどうだと聞きながら少し緊張を覚えつつ細い慶一朗の腰に腕を回したリアムだったが、その腕を振り払われることはなく、それのどこが簡単なものなんだと苦笑されて簡単だろうと軽く驚いてみせる。
「ケイのいう簡単なものはなんだ?」
「・・・栄養補助食品?」
「は、残念ながら俺の中では料理に入らないからな」
恋人の偏食──と言うよりは食事全般に対しての興味の無さはリアムにとっては信じられないもので、今までどうやって生きてきたと真剣に問い正したくなるようなものだった。
それをまた今も知ってしまい、それは料理じゃないと驚きから否定すると、俺にとっては料理なんだという不満タラタラな声が返ってくる。
「・・・で、ポークソテーとトマトスープは食う?」
簡単な料理にかなりの相違があるものの、食べるか食べないかについては相違はないはずだと笑うリアムに慶一朗も小さく笑みを浮かべ、お前が作ってくれるものは美味いと、これは紛う事なき本心だと伝えるようにリアムの頬に再度慶一朗がキスをする。
「良し。じゃあ用意をするからグリッシーニとチーズを先に食っててくれ」
「ビールは?」
「それを食うのなら飲んでもいい」
リアムの言葉に少しだけ目を光らせた慶一朗が、ある種己の主食だと言い張るビールを飲んでもいいかと問いかけてそれを食えばと許可されるが、帰ってきた直後の一杯が美味いのにと不満をこぼす。
「一緒に何か食べても美味いと思うぞ」
だから、空腹状態でアルコールを飲むな、その悪癖を何とかしろと言いたげに端正な顔を見下ろせば、不満と理解しようと言う思いが綯い交ぜになっていて、聞き入れようとする気持ちがあることが判明する。
それだけでもリアムにとっては十分慶一朗の気持ちが伝わるものだった為、柔らかく波打つ明るい色の髪にキスをし、用意をしておくからと背中を撫でる。
先日の事件が二人にもたらした変化は大小様々にあったが、大きなものとしてリアムのベッドルームのクローゼットに慶一朗がこの家で着る為の服がひとつまたひとつと増えていったことがあった。
その服に着替える為にベッドルームがある二階に行けと背中を押したリアムは、シャツを洗濯するのならバスルームのカゴに入れておけと、階段を登る背中に伝える。
「・・・買い替えないのか?」
「?」
慶一朗のその言葉の意味が咄嗟に理解出来ずに首を傾げれば、とにかく着替えてくるとベッドルームに駆け込む背中に何となく嫌な予感を覚え、サイズが合っていない濃紺のバスローブの袖を折り返しながら階段を降りてくる慶一朗に気付いてダイニングテーブルに座れと告げるが先に顔を洗ってくるとトイレに行く。
これも付き合いだしてから気づいた事だが、慶一朗は仕事から帰ってくるとまず顔を洗い、真っ赤になるまで手洗いをする癖があった。
医者が丹念に手を洗うのはある種の職業病のようなものだったが、慶一朗のそれはまた違う意味を持っているように感じられ、何か意味があるのかと問いかけたリアムに返ってきたのは、今日一日の出来事をこれで洗い流していると言う心理的なものからの行動だとの回答だった。
それを今も行っているらしく、グリッシーニとチーズとビールをテーブルに置いた後、ポークソテーの準備に取り掛かったリアムだったが、スリッパを引き摺るように歩く足音が聞こえ、お疲れ様と思わず労いの言葉をかけると背中から抱きしめられて肩に頬が当てられる。
「先にビールを飲むんじゃないのか?」
残念ながらポークソテーはもう少し時間がかかると苦笑しつつ焼き加減を確かめたリアムの耳に疲れたとの言葉が届けられ、腹の前で組まれた手をそっと撫でる。
「どうした?」
「・・・先に、食っててくれて良かったのに」
リアムが二人分の食事の用意をしている事に気づき、己の帰宅を待ってくれていたのだと知った慶一朗から先に食べてくれて良かったのにと申し訳なさに小さくなる声でそれでも必死に想いを伝えられると、恋人の感情表現の不器用さも理解しているがジワリと嬉しさを感じて手を撫でてしまう。
「ビールはお代わりするんだろう? 食事の前に飲む分は加減しろよ」
さっきは空きっ腹にアルコールを入れるなと言ったのに、すぐに甘い顔を見せてしまうと己を笑うリアムを抱きしめる腕に力を込めた慶一朗は、それが焼き上がるまで我慢する、代わりにこのままハグさせろと笑うと、焦げても知らないぞと楽しそうな声が返ってくる。
その何気ない会話が慶一朗の疲労した心に染み渡り、張り付いた背中の逞しさから安心感を得ていると、陽気な声が今日はジャガイモをマッシュしたけどスイートポテトのマッシュは好きかと問いかけてきて返事に戸惑っていると、美味いから今度それにしようと慶一朗の日常生活全般に関する無知さを笑うでもなく、これから知ればいいと認めてくれるその心の広さに言い表しようのない安心感も得ていた。
だから、心を許した人には無表情だったり素っ気なかったりする口調を少しだけ和らげてうんと頷くと、嬉しそうな気配が抱きついた背中から滲み出してくる。
焼き上がったから少し離れてくれ、嫌だ誰が離れるかと子供じみた言い合いを顔を見ない為に素直に出来た慶一朗だったが、ワガママ皇帝陛下、どうかお聞き入れ下さいと言い放たれて腕を掴まれたかと思うと、リアムの顔が間近に見えて目を瞬かせてしまう。
「ほら、飯にしよう」
「ああ」
リアムの惚れ惚れとする笑顔に素直に頷き、腹が減ったと本能の声を告げると、本当はいつまでもくっついていたい体から離れて冷蔵庫で冷やしておいたビールグラスを二つ取り出してテーブルに並べる。
「美味そう」
「お口に合えば光栄です」
テーブルに並んだ料理を前にこれもまた素直な感想を伝えると、スープを運んできたリアムの顔に嬉しそうな笑みが浮かぶ。
そして、いつものように二人庭を見るように並んで座り、今日はリアムがどうぞ召し上がれとドイツ語で伝えれば、真っ先に慶一朗の手がビールが注がれたグラスに伸びる。
これはどれほど口を酸っぱくして注意しても聞き入れてもらえないと理解しているリアムは最早何も言わずにポークソテーを一口大に切り、ビールを飲んで満足そうに息を吐く慶一朗の口の前にそれを差し出す。
「・・・美味い」
「そうか? 今日はマスタードソースにしてみた」
慶一朗にとっては原材料が豚としか分からない料理のソースについて教えられ、ふぅんと返した後に自分の前の皿に同じように盛り付けられているそれを切り、そのまま口に運び、うん、やっぱり美味しいと呟く横から今度はマッシュポテトが差し出され、それも同じように食べるが、スイートポテトのマッシュも食べたいなと返す。
「食ってみたいか?」
「ああ。甘いのか?」
「そうだな、スイートポテトだから甘いな」
日本を旅行している人の動画の中で、スイートポテトをそのまま蒸したか焼いたかしたものを食べているのを見たことがあったが、そのまま食べてもおいしいのは甘さがあるからだろうとリアムが告げると、ああ、焼き芋の事かと慶一朗の顔に納得の笑みが浮かぶ。
「ヤキイモ?」
「そう。サツマイモ。ふぅん…今まで考えたことも無かったけど、サツマイモがスイートポテトなのか」
知らなかったと素直に告白して自分のために用意された料理を最近では当たり前になったがキレイさっぱり平らげた慶一朗は、満足そうに伸びをし、同じく食べ終えたらしいリアムに気付いて席を立つ。
「食後のコーヒーを飲むか?」
「飲む」
日常生活不能者や趣味や仕事以外では何の役にも立たないと双子の兄から酷評される慶一朗だったが、コーヒーを淹れることだけはそんな兄ですらも進んでやってくれと言うほどで、少し勉強をすればバリスタの資格が取れるのではないかといつもリアムは思っていたが、自分好みのコーヒーを淹れるだけでどうしてそんな御大層な資格を取らなければならないんだと不満そうに慶一朗に訴えられて以来、リアムは食後に出されるコーヒーを独り占めできる幸せに浸っていた。
キッチンから聞こえてくるガリガリというコーヒーを挽いている音が聞こえなくなった後、ガラスや金属の器具をセットする音が聞こえてくる。
その音は慶一朗と付き合いだしてからリアムが認識するようになった音で、以前までの彼ならばコーヒーなどどこか適当なカフェに入って、オーストラリアで暮らす人でも呪文のように感じるオーダーをしたもので良いと感じていたのに、今ではこうして手間暇をかけたコーヒーを飲むのが当然のようになっていた。
何一つ、当然なことなどないのに。
それに気付いたのは先日の事件の際に慶一朗が恐怖を告白したときで、リアムとの暮らしが当たり前に感じるようになっていた、喪った時のことを覚えば怖いから別れたいと言われた時にはさすがに衝撃で頭の中が真っ白になったが、その言葉の根源が慶一朗の過去であると気付くと己が衝撃を受けている場合ではないとも気付き、一緒に乗り越えようと手を差し伸べたのだ。
その手を慶一朗が掴んでくれた結果が、今リアムの家のキッチンに慶一朗が買い込んで設置したサイフォン式のコーヒーメーカーの出番であり、こぽこぽという小さな沸騰する音とともにこれまた小さな鼻歌が聞こえてくる時間を独り占めできている現実だった。
同じ病院で専門は違っても同じ医師として働く恋人と、こうして食後のコーヒーをゆっくりと飲む、その時間がどれほど貴重なものなのかをしみじみ実感していたリアムの目の前、その恋人の端正な顔が斜めに現れて思わず頭を仰け反らせてしまう。
「!?」
「ミルクは温めるか聞いただけなのにそんなに驚くのか?」
「…少し考え事をしてた」
ミルクは温めなくていいと返し、ふぅんと言いながらキッチンに戻る背中を見送ったリアムは、慶一朗が帰ってくるまでの間に考えていた事を思い出し、思い切ってその背中にぶつけてみる。
「ケイ、誕生日プレゼントは何が欲しい?」
リアムにとっては当たり前の、だが問われた方にとっては衝撃を受けるようなものだったらしく、サイフォンのフラスコからコーヒーをマグカップに注ぐ手が揺れてしまう。
「は?」
「ん?」
何故そんなにも不思議そうな顔で見つめられるのかと疑問を抱いたリアムは、まさかとは思うが今まで誕生日プレゼントはもらったことがないのかと眉を顰めると、貰ったことも贈ったことも無いと返されて目を丸めてしまう。
「そうなのか?」
「ああ」
お前も知っているだろうが俺の誕生は祝われた訳じゃないからと、何でもない顔で返す慶一朗の顔を正視出来なかったリアムの様子から何かに気付いた慶一朗が、最近お気に入りの大振りのマグカップを両手にリアムの隣に戻ってくる。
「…お前がそんな顔をする必要はない、リアム」
俺の過去はどうすることも出来ないものだし俺自身気にしていないからと心優しい恋人に感謝の思いを伝えた後でこめかみにキスをするとカップを置いた手を握られてしまい、小さく笑みを浮かべ広く大きな誰よりも頼りがいのある背中に覆い被されば握った手を胸元に引き寄せてくれる。
こんな風に手を握るだけではなく、己の見えない気持ちを伝えようと手を当ててくれる人など慶一朗の周囲には双子の兄しかいなかった。
その双子の兄も、慶一朗に対して抱いているのは罪悪感で、それ故に優しく甘いのだという一面も慶一朗は見抜いていた。
だから、そんな自らではどうしようもない罪の意識からではなく、経験してきた辛いことを慮り、昇華してくれというように抱きしめてくれる存在など今まで存在しなかった。
それだけでも十分幸せだと目を細めた慶一朗は、覆い被さった背中にせっかくのコーヒーが冷めるぞ、冷めても悪くないが淹れたてのものの方がやはり美味しいと思うと笑うと、その通りと返事がある。
「ああ、そうだ」
さっきの誕生日プレゼントだけどと後ろから頬にキスをした後、さっきまで座っていた椅子に後ろ向きに腰かけて頬杖をつきながらリアムを見れば、何を言われるのか緊張を覚えたような顔で見つめ返され、思わずその鼻を摘まんでくすくすと笑ってしまう。
親しい人たちの前では表情が薄かったり素っ気ない言動になったとしても、決して笑わない訳ではないと教えるその顔にリアムの顔が驚きから笑顔へと変化をする。
「何だ?」
「エスプレッソマシンが欲しい」
「エスプレッソ?」
「ああ。家にもあるけど、ここで飲むときにあれば便利だからな」
俺の体はビールとコーヒーでできていると揶揄われるぐらいコーヒーが好きだが、どうせなら一番落ち着ける場所で美味しいコーヒーを飲みたいと、背もたれに腕を載せて頬をその腕に当てながら笑う慶一朗にリアムが無意識に唇を噛むが、エスプレッソマシンなど詳しくないから欲しいメーカーのものがあれば教えてくれと、少し手を伸ばして白い頬に指の背で触れると、一瞬驚いたような表情を浮かべた後、気持ち良さそうに目が細められる。
「直火のものだったらどこのメーカーでも良い」
お前が家にあっても違和感がないものを探してくれと笑う慶一朗に一つ頷いたリアムは、せっかく淹れてくれたコーヒーが冷めてしまうと思い出し、テーブルに置いたマグカップの一つを慶一朗に差し出す。
「今日のオペはどうだったとお前に聞くのも愚問だろうけど、どうだった?」
「そーだな、自己採点は200点だけど、オペ後のゴタゴタがあったからマイナス100点でトータル100点かな」
マグカップを受け取りにやりと笑いながら自己採点結果を告げてくれる慶一朗の言葉になんだそれはと思わず吹き出したリアムだったが、同じようにコーヒーを飲み、ホッとする己に気付く。
慶一朗が帰ってくるまではハイスクールの悪友たちにしていたようなサプライズを考えていたが、それをした時の反応はきっと己が想像できる最悪の上を行くだろう。
喜ばせたい一心で行ったサプライズでそんな思いをさせることなどリアムの望むものではなかったため、サプライズではなくごく普通と言えば普通に誕生日プレゼントを渡そうと決める。
「ケイ」
「ん?」
お互いに手を伸ばせば届く距離でコーヒーを飲みながら今日の仕事について一頻り話をした後、お前の誕生日の予定は空いているかと問いかけ、小首を傾げられる。
「空いているはず、だけど?」
それがどうしたと言いたげな顔に一つ肩を竦めたリアムは、食いたいものがあれば言ってくれれば準備をすると頷くと、みるみる目が丸くなり、ついで耳朶が真っ赤になる。
そこまで照れることなのかと驚くリアムの前、慶一朗が天井を見上げたり床を見下ろしたりと挙動不審な行動を取るが、何かを決意したのか、真正面にリアムを見据えて照れ交じりのはにかんだような笑みを浮かべる。
「────!!」
「お前が作る料理は何でも美味い」
だから、逆で悪いがお前が食わせたいと思うものを食わせてくれと、自らは希望がないことを笑顔で伝えると、リアムの手がマグカップを奪い取り、椅子から軽く尻を浮かせて顔を寄せてくる。
その行為の意味するところをしっかりと読み取った慶一朗が笑みを一つ溢して目を閉じると予想に違わないキスが唇にされ、離れた瞬間を狙って目を開ける。
至近距離にある、今ではドラマに出ていた俳優よりも好きな顔に手を伸ばし、両手で頬を挟んでニヤリと笑みを浮かべ、このキスの続きはベッドでと吐息で囁く。
「後片付けは食洗機に任せよう」
「そうだな」
二人揃って片付けをしても構わないが、残りのコーヒーを飲みながらテレビを見、適当な時間になればシャワーをしてベッドに潜り込もう。
この後の予定を笑顔で語り合った二人は、お楽しみのために今何をするべきかを思い出し、食器類などを食洗機に投入するのだった。
そして、リアムがあの夜頭を悩ませていた慶一朗の誕生日が訪れ、本人が言うように周囲の誰にも祝福されている気配がないことを確認し、自分だけが祝う事実にこれもまたある種の独り占めだと苦笑する。
沢山の人に祝福される誕生日を迎える人もいれば、ごく少数の人に祝ってもらう人もいる。
自分達のように二人だけで祝う人もいる事は何もおかしなことじゃないと気づくと、誕生日ケーキは近くのカフェに注文して作ってもらい、慶一朗に食べさせたい料理とのリクエストには当然のようにシーフードや肉を沢山バーベキューグリルで焼いたものを出す事にした。
そして、誕生日プレゼントに欲しいと言われたエスプレッソマシンだったが、リアムは慶一朗程コーヒー器具のメーカーを知らない為、海外の老舗メーカーのマキネッタを購入してラッピングしたものをプレゼントすると慶一朗の顔に笑みが浮かぶ。
リアムの家の庭にあるハンモックチェアで両膝を抱えて体を丸めながらゆらゆら揺れて嬉しそうに口の端を持ち上げる慶一朗の顔を見るだけで満足したリアムは、ハンモックチェアから慶一朗の体を引っ張り出して己の足の上に座らせると、キョトンと見下ろしてくる端正な顔に向け、誕生日おめでとうとドイツ語と英語で伝え、ありがとうの代わりのキスを唇で受け止めるのだった。
サプライズなど出来ない己だったが、ありふれた誕生日の祝い方でもこうして喜んでくれる慶一朗の顔を見ることが出来たことで、サプライズをしなくてもよかったと思うのだった。