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「心、ここに在らずじゃな」
そう声をかけると、心身ともに大きく成長した弟子はハッと顔を上げて瞑想を解いた。
「申し訳ありません、白のお師匠様」
素直という言葉を背中に貼り付けて歩いているような純朴な弟子・無風は修行に集中できていないことをすぐに認め、頭を下げる。
「ふむ、自覚はあるようじゃな」
いつも思うことだが、陰謀と策略が蔓延(はびこ)る国・邪界で育ったにしては無風は珍しく心が清らかだ。これは生まれ持っての性格か、はたまた育ての主の影響か。
「して、どうしたんじゃ? おぬしが修行に身が入らぬほど焦るなど、珍しいのぉ」
「さすが白のお師匠様ですね。私の中に焦りがあることまで、お見抜きになるとは……」
「単なる年の功じゃよ。それで、焦りの原因は自分でも分かっておるのか?」
「それは……」
問うと、無風の視線がみるみる下がっていった。
「その様子じゃと分かっているようじゃの」
「……はい」
「その苦悩に、ワシの助言は必要か?」
仙人と呼ばれるようになって早数十年。基本的に悩みごとは自分で解決すべきだというのが信条だ。無論、どうしようもない時は他者の力を借りることも悪くないが、常に人に頼ってばかりで成長できないからである。
その教えの下、目の前にいる出来過ぎとも言える弟子は、これまでどんな問題も自分で解決してきた。そんな無風が苦慮しているとなると、相当に困難な悩みであるはず。ならば信条よりも師として助言してやるべきだろう。
こう見えて、実は結構弟子思いなのだ。
「白のお師匠様……あの……」
「言いにくいことなら、言える範囲で構わんぞ。無論、誰にも口外はせん」
「あ……ありがとうございます。では、その……少しだけご教示いただければと」
「うむ、言うてみよ」
恥ずかしいのか、もじもじと左手の親指を右手の同じ指で揉みながら、無風が遠慮がちに口を開く。
「実は……気になる方がいるんです」
頬をわずかに赤く染めた無風の悩みは、仙人にとって意外なものだった。
思わずほぉ、と驚きが口から溢れてしまう。
──この場合の『気になる』は、おそらくではなくそういう意味じゃろうな。
すぐに察したのはまさに仙人たる力ゆえ──と、言いたいところだが、実は無風に色恋の訪れがあることは、とうの昔に知っていた。なぜなら、
『仙人、実は近々無風に春が訪れる予定なんです。でも相手は今のあいつの立場じゃ簡単に添い遂げられない者でして……。きっとすごく悩むだろうと思うので、もし相談してきたら乗ってやって貰えますか?』
先日、無風の育ての主である蒼翠から、茶飲みの最中に聞かされていたからだ。
春というのは恋事のことを指すらしい。この国の言葉なのだろうか、初めて知った言葉だ。あの者は時折聞き覚えのない言葉を使うが、意味を聞いてみればなかなかに面白いものばかりなので興味深い。と、それはいいとして。
「気になる者か。うむ、おぬしはまだ修行中の身じゃが、心に留め置く者をつくることは決して悪いことではない。じゃが……思い悩んでいるのは、その部分ではないのじゃろ?」
「はい……。その方は、私では到底手の届かない方でして……」
「手が届かない、か、なるほどな」
確か無風の想い人は白龍族の女性だと蒼翠は言っていた。相手の身分までは分からないが、確かに黒龍族で、しかも皇子の従者となると立場的に一緒になることは難しいかもしれない。
「それに加え、その方はとても魅力的で多くの者たちから欲情の眼差しを……いえ、関心を向けられているのですが、本人はそのことにまったく気づいていらっしゃらないご様子なのです」
「ん?」
今、純真な心を持つ男から、らしからぬ言葉が聞こえたが気のせいだろうか。
「先日も皇太子殿下……ごほん、とある方に、あからさまな態度で言い寄られていたのに、笑って済ませるだけで何の対策も取ろうとなさらないし……」
無風の想い人は随分と魅惑的な女性らしい。我が弟子ながら見る目があるというかなんというか。
ほんの少し前まで育ての主である蒼翠にべったりで、少々盲目になっているのではと危うさを覚えたこともあったのに。女性相手にしっかりとした恋情を抱けるようになったことには安心を憶えた。
「今はまだ……ですが、……の後を継ぎ、今以上の権力を手にしたら……」
ふむふむと感心していると、神妙な表情になった無風が独り言のように口元だけで何かをブツブツ言い始めていた。声が小さいせいで内容がよく聞き取れない。
「それにもし……様のお父上が、ある日突然縁談を命じられたら……」
「無風、これ無風や」
「その相手が貴族の姫君でなく……殿下だったら……」
「これ、話を聞かんか!」
強めに呼びかけると、ようやっと我を取り戻した無風が大きく目を見開いた。
「も、申し訳ありません」
「おぬしがそれほど思い詰めるまでに相手を想っていることは、十分に分かった」
これは淡い恋心を抱いているという度合いではない。身分や種族など関係なく、本気で意中の相手と添い遂げたいと願ってる。無風の言動から読み取った仙人は、白く長い顎髭を撫でながら考え込んだ。
正攻法では無風の願いは成就しない。もしも強行すれば、おそらく双方ともに命をかけるほどの危険を伴う結果となることが考えずともわかる。
であるならば、無風の師として諦めたほうが両者のためだと諭すべきなのか。
──じゃがなぁ……。
しかし、道理も何もかも理解している無風がここまで望む相手とあらば、どうにか縁を結んでやりたい。
そんな思いが仙人を突き動かした。
「おぬしの懸念は、想い人が他者に奪われてしまうかもしれないという恐怖に対するもの、でよかったかの?」
「……はい」
「ふむ、それなら話は簡単じゃ。おぬしとその相手の現状がどういう状態か細かな部分は分からんが、そんなあることないことを想像して不安に追い詰められるよりも前に、もっとやるべきことがあるんじゃないか?」
「やるべきこと?」
無風が目を丸くしながら首を傾げる。