約束の日。
レストランで食事をしてから、うちに行こう――。
数日前にそんなメッセージが届いていたから、私はいつもより少しだけおしゃれをした。レストランなら、それなりにドレスアップした方がいいかもしれない、と思ったのだ。クローゼットの中から、一昨年友人の結婚式用に買った、胸元と袖に透け感のあるベロアのワンピースを見つけてそれに決めた。
宗輔がプレゼントしてくれたリングを指にはめながら、ふと考えた。そう言えば、こんな風にドレスアップして、彼に会ったことがあっただろうか。もしもこの姿を見せるのが初めてだとすれば、彼の目にどう映るだろう。綺麗だと思ってくれるだろうか。
仕事を終えて迎えに来た宗輔に連れられて行ったのは、地元で上位ランクに入るホテルのレストランだった。最上階にあるそこは夜景が見られるとあって、特にカップルには人気の場所でもあった。
クロークでコートを預けてワンピース姿を見せる私に、宗輔は目を瞬かせた。
何も言わない彼に不安になってしまう。
「変、だったかしら……?」
「違う。――綺麗だな、って思って」
「ありがとう」
宗輔の言葉に照れながらもときめいた。コートを脱いだスーツ姿の彼も今日はいつも以上に素敵に見えて、どきどきしてしまう。
「ここのレストラン、人気なのに、よく予約取れたわね」
「偶然キャンセル出たんだってさ。たまにはこんなのもいいだろ?思い返せば、クリスマスも、初詣も、俺たちの間じゃ気づいたら終わってしまってたし」
「そう言えば、そうだったわね。でも、プレゼントは交換できたから満足よ」
宗輔は視線を下ろし、私の指を見て嬉しそうな顔をする。
「今日は、指輪してくれてるんだな」
「デートだから。宗輔さんのは?」
「もちろん、ここに」
彼は自分の左手を私に見せて微笑んだ。
席に案内されて間もなく、料理が順に運ばれてくる。飲み物以外、宗輔が予約しておいてくれたらしい。
しかし今夜も宗輔は、車だからとアルコールを口にしなかった。
「佳奈は飲んでいいんだからな」
その言葉に、私は首を振った。
「それなら、宗輔さんの部屋で一緒に飲みましょ」
宗輔は微笑みながら頷いた。
「そうだな」
料理を味わい、言葉を交わしながら、私はそわそわしていた。なんとなくだが、宗輔の様子がいつもと違うように思えたのだ。何か言いたいことがあるのに、なかなかそのタイミングがつかめないでいる――そう見えた。
私はデザートを口に運びながら、そっと彼を見た。目が合う。
ふうっと静かに息を吐くのが聞こえたと思ったら、宗輔が急に居住まいを正し、私の名前を呼んだ。
「佳奈」
「は、はい」
心なしか緊張さえ感じる声音に、私まで緊張が伝染する。
もしかして――。
私は水を一口飲むと、手を膝の上に置いて宗輔の顔を見た。
宗輔は私を真っすぐに見つめると、ひと呼吸ほど置いてから口を開いた。
「今日、改めて言わせて。――早瀬佳奈さん、私と結婚してください」
「あ……」
そういうことなのだろうと予感があったのに、言葉がなかなか出てこなかった。返事は一つしかないし、迷っているわけでもないのに、言葉が喉の奥に張り付いた。代わりに涙がこぼれて、つうっと頬を伝い落ちた。
「どうして泣くんだ」
戸惑うように宗輔の目が揺れた。
「ご、ごめんなさい。嬉し涙よ。色々思い出されて、なんだか感動しちゃって」
「なんだよ、脅かさないでくれ。ここまで来て、嫌だとか言われるのかと思って焦ったよ。――プロポーズの返事、もらえないか?」
今ここに人目がなかったら抱きつきたい衝動を抑えながら、私は宗輔に笑顔を見せた。
「――はい。よろしくお願いします」
「ありがとう」
ほっとした顔をして、彼は私の前に小さな箱を置いた。
「――これ、受け取ってもらえるか」
「これって……」
ペアリングをもらった時のことを思い出し、私はつぶやく。
宗輔が言う。
「婚約指輪だよ。近いうちに改めてプロポーズするつもりでいたから、この前ペアリングとは別に注文しておいたんだ。昨日、できあがったっていう連絡があってさ。一緒に受け取りに行けば良かったのかもしれないけど、驚かせたかった。今は大っぴらにつけてもらえないことは分かっている。だけど、これは俺の気持ちとか俺たちの関係を形にしたものだから。結婚指輪は二人で見に行こう。――それから、これも受け取ってほしい」
彼の手のひらの上には、鈍く光る銀色の鍵があった。
「これは、この前言ってた……。本当にいいの?」
「約束しただろ?新しい部屋のじゃなくて悪いんだけど」
私はその鍵をそっと受け取った。
「今、私から返せるものは、気持ちと言葉しかなくて……。宗輔さん、本当にありがとう。嬉しいなんて言葉では足りないくらいに、嬉しいわ」
形にしておきたいと言ってくれた宗輔の気持ちが、そこに集約されているようで、たまらなく幸せだった。この指輪は彼に会う時にだけ指に通し、普段は大切に仕舞っておこうと思う。彼の部屋の鍵も、私を迎え入れてくれている証のように思えて、胸がいっぱいになった。
贈り物たちを胸に抱く私を、宗輔は満足そうに愛おしそうに見つめていた。
見つめ返したその瞳の奥に、私を求めるように揺れる光を見て取って、私の胸は熱くなる。
「――そろそろ帰ろうか」
私は頷いた。宗輔からのプレゼントをバッグの中に大切に仕舞いこみ、彼に寄り添いながらレストランを後にした。
部屋に着いてリビングの暖房を入れると、宗輔は私を腕の中に引き寄せた。そのまま抑えていた気持ちを開放するかのように、私に口づけ始める。
その激しいキスに蕩けそうになりながら、私は彼の首に腕を回す。
「寝室に連れて行って――」
キスの合間の私の囁きに宗輔は唇を離すと、大切なものでも扱うように私を抱きあげた。
そうして――。
私たちは互いの存在と気持ちをさらに確かめ合うように、愛を交わし合った。
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