(本気でって言ったって)
由樹は拳を握りしめた。
二人は玄関のドアを見て、何かを言いながら内側の自動ドアを開けた。
「こんにちは」
バリッとアイロンのかかったワイシャツにカーディガンを着た主人と、首に鮮やかな紫のストールをつけた夫人が入ってきた。
「いらっしゃいませ」
(こうなったらもうヤケだ。見ていただこうじゃないか。俺の店員っぷりを!)
由樹は微笑んだ。
「見せてもらっていいですか?」
「もちろんです。どうぞお上がりください」
二人分のスリッパを出す。
高そうな革靴。
この春に買ったばかりという感じの真新しいミュール。
『靴にはお客さんの経済状態と性格が如実に出るから。さりげなくチェックするんだぞ』
またまた篠崎の言葉が脳裏に浮かぶ。
(上流階級だ…)
セゾンエスペースの家は、他の全国チェーンのハウスメーカーと比べても高い。当然、買うことのできる客層は絞られる。
(きっとこの客は、篠崎さんや渡辺さんから見たら、上玉の咽から手が出るほど欲しい客なはずだ)
ちらりと篠崎がいるはずの和室を振り返る。
(本当に、俺でいいんですか?)
「このリビングは何畳ありますか?」
主人が振り替える。
部屋の広さを聞いてくる=冷やかしではない。
この人たちは間違いなく家を検討している。
「リビングだけに区切ると、10畳ですが、LDK含めると20畳あります」
言うと二人はキッチンからリビングまでを見渡した。
「なるほどなー」
ここで、「今お住いのリビングの大きさと比べていかがですか?」や、「こういったワンフロアの間取りはいかがですか」など、差しさわりのない会話から、客の目的と意向を聞くチャンスなのに。
(くそっ。篠崎さんに聞かれてると思うと、言葉が出てこない…!)
「セゾンさんは」
主人の方が由樹を振り返る。
「坪単価、どれくらいでしたっけ」
眼鏡の奥の目が光る。
『坪単価の話をしてくる客は、どこかしらで近々に家を買うつもりだ。熱い客だぞ』
口を酸っぱくして言われた篠崎の言葉を思い出す。
「えっと、規格住宅ですと坪40万円台から準備しておりまして、注文住宅になるとだいたい80万円前後となっております」
テンプレ通りの返しをすると、主人は少し微笑んだ。
「やっぱり、するなあ。セゾンさんは…」
視線が下がる。
(う…やばい)
「でもその代わり、性能は高くて、ですね。高断熱高気密の家を作っておりまして」
「ええ、ええ、十分に、セゾンさんの家づくりの性能が良いのはわかってますよ」
夫婦は笑顔を交し合っている。
「高断熱、高気密っていうのは、どのメーカーでも使う言葉だと思うんですけど、実は燃費のように数値で表すことができるんです」
廊下に貼ってある表を指さす。
「断熱性はQ値、気密性はC値と、いう値になるんですけど、これがライバルメーカーさんとの数字の違いです」
「はあ、なるほど」
主人が興味あるんだかないんだか、よくわからない相槌を返す。
と夫人がふっと吹き出した。
「ど、どうしましたか?」
変なことを言っただろうか。由樹は夫人を振り返った。
「あ、いえ、本当にQ値、C値の話をなさるんだなと思って」
「……え?」
「ネットで、いろいろ見ていた時に、セゾンさんの営業さんは、この数値のことを絶対話しますってレビューで書いてあったので」
たちまち由樹の顔は赤く染まっていく。
「ですが、これがそのまま暖房費、冷房費に直結してくるので、馬鹿にできない数字なんです」
「ええ、そうなんでしょうね。そしてその数値がセゾンさんがずば抜けているのもわかります。どうか気を悪くしないで」
夫人が微笑む。
なんだか泣きたくなってきた。
「でもね、営業さん。私たち、そこまで求めてないんです。光熱費より購入費の方に重点を置いているので」
主人が由樹を見つめた。
「だから、セゾンさんははっきり言って高いです。可能性の低い僕らに、あなたを足止めしてしまっては失礼に値する。これで失礼しますよ」
「え………」
主人が夫人を促し、二人は和室も見ないでそのまま玄関に向かった。
「あ、あの」
縋りつく思いで、二人を呼び止める。
「来週、展示会があるんですけどもしよければ……」
シューズクロークに置いてあったチラシを勧めるが、
「いえ、良いものを見ると欲しくなっちゃうので、行きません」
主人がにこやかに首を振り、二人は展示場を後にした。
ため息をつきながら振り返ると、いつの間に移動したのか、2階から篠崎が降りてきた。
「5分」
「……え」
「接客時間、5分」
「……あ、はい。すみません」
ギシギシと音を立てながら降りてくる。
(やはり客の前ではわざと足音を立ててないんだな)
そんなどうでもいいことを考えながら、由樹は俯いた。
「仕入れた客の情報は?」
「……お金はなくはなさそうで、着ているものも、履いている靴も、真新しくて上質な感じがしました」
「それで?」
「購入費を気にされていて、坪80万前後では高いと言われました。規格住宅の話もしましたが、その間取りの話にもなることはなく、興味ないようでした」
「あとは」
「ネットで研究をされていて、Q値、C値の話も知っていました」
「……以上か?」
「です」
もう座り込みそうだった。
と、そのとき、自動ドアの前に、30代夫婦と思しき二人組が現れた。
篠崎は由樹の腕を引っ張り、洗面台のところへ引っ張っていった。
「自分が下、客が上だと、構えるからダメなんだ」
「え」
だってお客様なのに??
「いいから、見てろ」
言うと篠崎は襟元を正した。
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