はるみか人魚2
朝7時、アラームと共に目を覚まして、コーヒーの支度をする。目を擦りながら、同時に食パンを2枚トースターにセットして、そのままだと食べ難いだろうと、前回好評だったイチゴジャムを取り出す。ハルはコーヒーと、ジャムをたっぷり乗せたトーストを持って浴室をノックしてから開ける。
「おはようございます、深影さん」
「あ、ハル。おはよ。」
深影と呼ばれた人影はハルの方に顔を向ける。浴室から半身を乗り出す存在の下半身は、まるで魚のそれであった。黒い鱗に覆われた、尾鰭のような下半身。深影と呼ばれたそれは、正しく人魚であった。
「ジャムトーストで良かったですか」
「もちろん 俺ハルが作ってくれるジャムトースト大好き」
最近の日課といえば、深影に美味しいものを食べさせることであった。ジャムトーストを始め、アイスクリームであったり、オムライスであったり。ハンバーグまで美味しいと言い始めた時は人魚って雑食なんだな・・・と謎の関心までしてしまった。見れば見るほど美しいのに、安心感と親近感があって、それがなんだか嬉しかった。
「俺もなにかハルのためにできることがあったら良かったんだけど。」
「本当に気にしないで大丈夫ですって」
「そうは言ってもなあ。あ、そうだ」
何かを閃いたように声を上げて、浴槽から半身を乗り出す。
「人の少ない時間で良いからさ、俺を海に連れて行って。良いもの見せてあげる。」
「海、ですか」
人の少ない時間といえば夜中だが、純粋に危険だ。深影と出会ったあの日くらいの時間であれば問題無いだろうと思案する。
「じゃあ、4時くらいに家出て海行きましょうか。車はあの日以来ですけど大丈夫ですか?」
「多分ね。その辺は心配しなくていいよ。」
「分かりました。」
「ふふ、デートの約束しちゃった」
「で、」
正直、ハル視点ではこの人(魚)がどれくらい意味がわかった上で話しているのか分からなかった。度々分からない単語もあれば、理解した上で使っている言葉もあるものだから、大抵は驚かなくなったつもりだったが、この手の恋人を彷彿とさせる言葉が出れば動揺した。更に言うなら、この間の独り言をうっかり聞いてしまったのだから。
翌日早朝。ハルと深影は車に揺られていた。水分に関しては経口摂取でも問題無いとの事で、一応2リットルペットボトルを深影に持たせた。「過保護だなぁ」と笑われたが、出会った時に衰弱していたことも覚えているし、万が一があったら怖かった。
誰もいない駐車場に車を停める。お姫様抱っこの子たちで深影を運び出して、海へと足を進める。
「朝日昇ってきてるね」
「綺麗ですね。寒かったりしませんか」
「大丈夫だよ ありがと」
深影をそのまま砂浜へと下ろして、水に浸ける。やはり広い海は気分が良いみたいで、大きな尾鰭が揺れていた。
「ハル、これ。」
深影は自分の尾鰭から鱗を1枚剥いだかと思うと、ハルにそれを手渡した。
「え、あの、痛くないですか、」
「え?大丈夫だよ。生え変わるし。」
胸を撫で下ろす。どういう形であれ辛い思いはして欲しく無いのだ。
ハルはそのまま手渡された鱗を見る。大きい、黒くてつやつやとした深影の一部。
「それ大事に持ってて。お守り。」
ゆっくりと深影に手を引かれて、海へと入る。
「顔浸けるの怖い?大丈夫?」
「大丈夫です。」
ゆっくりと、頭を海へ沈める。朝焼けの海は光を反射して、水面がキラキラと輝いている。深影の髪がひらりと水中を舞って、海と同じ色をした片目が光を受けて煌めいた。
海に入ったと言うのに、息苦しさを感じることも無い。
深影はふわりと微笑んで、1度海面へとハルと共に戻る。
「綺麗でしょ。ハルに見せたかったんだ。人間は水中だと呼吸続かないから、俺と一緒なら見れるよなあって思って。」
「凄い、綺麗ですね。」
美しいものは美しいものに惹かれる運命なのだろう。こうして海で優雅に過ごす深影を見ているうちに、深影にも海での好きな物があって、綺麗なものを知っていて、快適に過ごしていたのだろうと思った。
同時に、深影の帰る場所はきっと海なのだろう、と。
「そろそろ帰らないとだね」
「家、どれくらいの深さにあるんですか」
深影は一瞬心底不思議そうな顔をした。すぐに合点がいったようで、少し悪い笑顔をした。
「さてはハル、俺が海で楽しそうにしてるから、海に帰ると思ったんだ?」
「え、違うんですか。一応家の場所聞くだけ聞いて誘拐しようかなって本能と理性で大喧嘩してたんですけど」
「そんなわけないでしょ。俺が帰るところはハルの家だよ」
「あの、深影さん、好きですよ。深影さんのこと。」
「え」
人魚姫の恋は報われなかった。自分たちの暮らす世界では、人魚姫の物語は種族が違うものとは結ばれないという教訓であったし、望んではいけないだろうと思って伝えることを諦めていた。
「俺も、好きだよ」
「お風呂狭いですけど、ずっと一緒に居て欲しいです」
「もちろん」
「寝る時も一緒が良くて」
「うん」
「洗面所に布団敷こうかなって」
「止めはしないけど」
「深影さん、」
「うん」
そのまま、唇を重ねた。今度はハルからだった。
「帰りましょうか」
「うん」
車へと戻って、狭いアパートへと帰る。深影は酷く上機嫌で、バスタブへと戻る際にもう一度キスをした。一度昼寝をしようか、という話になって、ハルはいそいそと敷布団を洗面所へと移動させる。「ほんとにやるんだ」などと笑われたが、深影はこの上なく嬉しそうだった。浴室のドアを開けたまま、眠りに落ちる瞬間まで言葉を交わす。世界で誰よりも幸せな恋人達は、お互いの声を子守唄に深い眠りへついた。
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