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蜂谷は、わけもわからないまま苦笑いする右京と、目を閉じて自分のリクライニングチェアに座り、優雅にブランデーを飲んでいる父親を交互に見つめた。
「なんでこんなとこにいんだよ……!」
右京に言うと、彼はハハハと笑いながら、
「えっと……」
と言いよどんだ。
後ろにいる、何か知っていそうな堤下を振り返るが、話す気はさらさらないらしく、目を伏せている。
と、そのとき、
「私が」
正面から、勇人が口を開いた。
「私が呼んだんだよ」
―――親父が?
わけもわからず蜂谷は眉間に深く皺を寄せた後、右京を振り返った。
「とにかく今すぐ祖母さんに電話しろ。心配して探し回ってる。祖母さんに繋がらなければ、諏訪でもいいから」
右京は頭を掻いた。
「あれ。ばあちゃんさメールしたんだけどな」
言いながら携帯電話を取り出している。
「あ、着信、鬼のように来てたわ……」
「――――」
蜂谷が睨むと右京は気まずそうに立ち上がり、窓際で通話し出した。
「ーーーあ、祖母ちゃんが?俺。大丈夫だよ。今、友達の家。もう帰っけから。安心して」
「圭人」
勇人が、その電話を見守っている蜂谷の方を見つめた。
「ソファに座ったらどうだ?」
「あ……いや、俺はーーー」
ガンッとブランデーの入った江戸切子のグラスが乱暴にテーブルに置かれた。
「いつまで私を上から見下ろす気なのかと聞いている!行儀の悪い!さっさと座りなさい!」
その言葉に、通話を終えたらしい右京も驚いて振り返った。
―――ああ……。もう……。
こういうところ、こいつにだけは見られたくなかったのに。
蜂谷は舌打ちを打ちたいのを堪えて、
「ごめんなさい。父さん」
と呟くとやけに低いソファーに腰を下ろした。
「今日は右京君に興味深い話をいくつか伺っていた」
父親は満足そうにブランデーを傾け、一口、口に含んでから、再び座った右京を、そして蜂谷を交互に見つめていった。
―――興味深い話?何の話をしたんだ、こいつ……。
右京を横目で見るが、彼は軽く口をすぼませたまま左右に首を振った。
「彼は―――」
勇人が大きく息を吸い込んでから、蜂谷に言った。
「転入してきたんだってね?」
「――――」
なぜか右京ではなく蜂谷を見ながら言う父親に違和感を覚えながらも蜂谷は頷いた。
「ええ。1月に」
「そう。1月にな」
言いながら、勇人はデスクに会ったメモ用紙を取り出すと、それを目を細めて読みだした。
「山形県館山市、霞城東高校。平均偏差値は進学校にしては下流に入る62……」
言いながら勇人は右京に視線を戻した。
「でもどうしても宮丘学園に入りたくて、猛勉強したんだよな?」
「はい…、まあ」
その言葉に右京が頷く。
「聞いたか圭人」
勇人は我がことのように嬉しそうに語った。
「転校が決まってからの2ヶ月間で右京君は偏差値を10も上げて、宮丘学園の編入試験をパスしたらしいぞ」
蜂谷は隣に座る右京を睨んだ。
―――全ては永月と同じ高校に入るためだろ。
動機が不純なんだよ。
「そこでだ」
勇人は大きな両手をパチンと打ち鳴らした。
「右京君!ぜひうちの圭人に勉強を教えてあげてはくれないだろうか?」
「え?」
「は?」
右京と蜂谷が同時に顎を前に出す。
そして互いの顔を盗み見た。
―――冗談じゃない。
蜂谷は右京を睨み上げた。
―――俺は、こいつと、一刻も早く距離を置きたいのに……!
「恥ずかしながら、うちの圭人の成績は偏差値60そこそこ。有名大学は愚か、国立大学でさえ危うい」
勇人は顔を左右に振りながら言った。
「その点、右京君は、2ヶ月で偏差値を10もアップさせたんだろう?短期集中での学力の身に着け方がわかっているはずだ」
言い切った勇人に右京が戸惑い顔を伏せる。
「いや、俺はそんな……」
「ぜひ圭人にも勉強の仕方を教えてはくれないだろうかと思ってね」
右京は困惑した顔を勇人に向ける。
蜂谷はその横顔を見てため息をついた。
こいつにだけは―――親父の犠牲者になってほしくなかったのに。
「―――やっぱり難しいかな」
勇人が首を振る。
「引き受けてくれたとしても、2年生の2学期に偏差値を10上げるのと 3年になってみんなが本気を出してくるこの時期に、偏差値を60から70に上げるのは恐らく勝手が違うだろう」
言いながらまたブランデーを喉に流し込む。
「わかった。右京君。この度は突然ご足労いただき、申し訳なかった」
勇人が視線で合図すると、堤下が右京の前に立った。
「ただし、今日のことは他言無用で頼む」
勇人がため息をつきながら言った。
「仮にも蜂谷グループの次期社長が、学年トップの学生に頼るほど成績が悪いなんて世間に知れたら皆の笑いものだ。おそらく3代先まで笑われ続けるぞ」
勇人は腹立たし気に言い放つと、ため息をつきながら椅子を回した。
「さあ、遅くなってしまった。どうやらお祖母さんも心配しているようだから帰りなさい。堤下、家まで送ってあげなさい」
「かしこまりました」
言われた右京はあいまいに会釈をして立ち上がった。
「―――じゃあな、蜂谷」
こちらを遠慮がちに振り返る。
「………ああ」
蜂谷は目を伏せたままそう言うと、堤下と右京が書斎を出て行くのを確認してから父親を睨んだ。
「どういうつもりですか?」
「――どういうって今聞いた通りだけど?」
勇人は悪びれもせずに微笑んだ。
「家庭教師や予備校や、今はWEB授業なんてものもあるからね。いい勉強方法があるなら教えてもらいたいと思っただけだ。
でも彼は教科書と学校指定のテキストしかやっていないというし」
言いながら首を前後左右に回す。
「お前も曲りなりとも受験生だろ。教科書を開き、学校指定のテキストを解くくらいはやっているよな?」
勇人は蜂谷を睨んだ。
「そうなると、私的には、脳みその違いだと理由付けをする以外になくなる」
「―――――」
睨みつけた蜂谷を勇人が睨み返す。
「何だその目つきは。圭人……」
「――――」
「お前、本当に三校合同模試で20位以内に入れなかったら、どうなるかわかっているんだろうな……?」
「――――」
「蜂谷グループの次期社長が、そんな模試一つで名を残せないようなら、恥さらしもいいところだ。学校の夏期講習など出ないでいい。朝から晩まで堤下と勉強だ」
「…………」
―――やっぱりな。
蜂谷は諦めと共に目を伏せた。
勇人は初めから蜂谷のことなんて、”長男の圭人”のことなんて見ていない。
蜂谷グループと会長であり厳格な父である祖父と、そして自分のことしか見えていない。
「もし20位以内に入れなかったら」
勇人は蜂谷を見下していった。
「残りの学校生活など捨てて良い。毎日毎日、自分の学習机に齧りついて勉強し―――」
言いかけたところで、バンと乱暴で大きな音が響いた。
「それは……それは違うでしょう!!」
蜂谷が振り返ると、そこにはドアを開け放った右京が立っていた。
「高校生ってのは一度きりしかないんですよ!それを半年間も蜂谷君から奪う気ですか?」
右京は勇人を睨み上げていった。
「もちろん受験が中心になりますが、これから体育祭だってあります。合唱コンクールだって、卒業式だってあります!」
右京は両手を握りしめながら言った。
「それらを蜂谷君から取り上げないでください…!」
慌てて後ろから堤下も入ってくる。
「すみません、社長。車に乗せようとしたところで振り切られて…」
押さえつけようとした彼の腕を、右京が振り払う。
「離せよ!」
「こら!君…!」
「堤下。手荒な真似をするんじゃない」
勇人はふうとため息をつくと、蜂谷を見下ろした。
「右京君。君みたいに明るくて、友人もたくさんいるような子にはわからないだろうけど、うちの圭人はそういうタイプじゃないんだよ」
「は?」
「今だって現に、学年に友人と呼べるのは、尾沢君という男子生徒しかいない……」
「な―――」
蜂谷は唇を震わせた。
「また調べたのか……。俺のこと!」
言うと勇人は呆れたように笑った。
「調べるまでもなかった。お前、本当に友達いないんだな?」
言いながらブランデーを手にすると、氷を馴染ませるように二度三度回した。
「でも尾沢君はあれだな。そろそろ時期を見て手を切った方がいいな」
何でもないことのように、さらっとそんなことを言う勇人に虫唾が走る。
「あんた……、また俺の友達を切り離す気か……?」
「―――おいおい、人聞きの悪いことを言うなよ、お前は」
勇人が笑う。
「とにかく、まともな友人一人選べない半人前のお前には、学校行事を楽しむ理由はない。これからセンター試験まで4ヶ月無いんだぞ。その間、死に物狂いで……」
「話がさっきと違いますよ……」
勇人の前に右京が立ちはだかった。
「違う?」
勇人が首を傾げる。
「それは、三校合同模試で、20位以内に入れなかったらの話でしょう!」
右京はこちらを振り返り、拳を握った。
「俺が!今から1ヶ月、蜂谷に勉強を教えます!絶対に20位以内に入れて見せます!」
勇人が眉をハの字に垂らす。
「どうして君がそこまでやるんだ?自分の受験勉強だってあるのに」
「―――」
「圭人のためにそこまでする理由は君にないんじゃないのかな?」
右京はすっと蜂谷を振り返った。
「俺は、学園祭、彼と一緒に回りました。いや、蜂谷が一緒に回ってくれました」
「――――!」
蜂谷は長く赤い前髪の間から、右京を見上げた。
「体育祭だって合唱コンクールだって卒業式だって。俺はこいつと一緒に参加したい……!」
「――――」
右京の腕を掴んでいた堤下が脱力するように手を離した。
「約束してください!20位以内に入ったら、このまま卒業まで、彼を学校に通わせてください!」
「………お前、何勝手なこと……」
「いいだろう」
蜂谷が右京を睨むのと、勇人が立ち上がるのはほぼ同時だった。
「どうか、よろしく頼むよ。右京君?」
勇人は数歩右京に歩み寄ると、その大きな手で右京の白い手を掴んだ。
「―――任せてください!」
右京もグッと握り返す。
「………マジか」
蜂谷は顔を覆ってそのままローソファーに倒れこんだ。