この作品はいかがでしたか?
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「あの、高原さん……?」
高原の少し後ろを歩いていた私は、よく知る周りの街並みに首を傾げた。
彼は歩を緩めると、私の隣に並ぶように歩きながら訊ねる。
「どうした?」
「いえ、どこに向かってるのかな、と」
「ん?あぁ、すぐそこだ」
そう言って高原の目が指し示していたのは――。
「えっ、もしかして、楡の木ですか?」
「あぁ。早瀬さん、知ってた?」
「え、えぇ、まぁ、知ってるというか……」
私は言葉を濁した。高原と初めて会ったこの前の飲み会の後、飲み足りないからと一人で来たばかりだ。しかも短期間ではあったが、学生時代にアルバイトで世話になった、とてもよく知る店でもある。
「何かまずい?」
「いえいえ、そんなことは全然」
笑顔で答えながら、私はあの夜、マスター相手にこの高原のことをさんざん愚痴ったことを思い出していた。しかし、よもやその本人と私が一緒にいるとはマスターも思わないだろうし、黙っていれば分からないはずだ。私はごくりと生唾を飲み込んだ。
うん、大丈夫――。
視線を感じて見上げると、なぜか高原は笑いをこらえたような顔つきで私を見ている。
私は不思議に思いながら、彼に固い笑顔を向けた。
「ちなみに今回頂いた契約というのは、このお店の方の……?」
「あぁ、ここのマスター。ずっと前から知っている店なんだ。いわゆる常連っていうのかな。もっともここ何年かは、前ほど頻繁にも来ていなかったんだけど」
常連――?
そう聞いて、私は背中に変な汗が吹き出しそうになった。
「へ、へぇ、そうなんですね……」
「さて、行こうか。一応席を取ってもらってる」
「は、はい」
どういう顔をして入るのが一番いいだろうと考えてみたが、答えは出ない。
ためらうように階段の下で立ち止まった私を、高原が促すように呼んだ。
「早瀬さん、行くよ」
「は、はい」」
こうなったら成り行きに任せるしかないか――。
諦めたように小さなため息を一つつくと、私は階段にゆっくりと足をかけた。
「いらっしゃい!」
高原の後に続いて店の入り口をくぐると、良く知るマスターの声が私たちを出迎えた。
高原が言った通り、顔なじみなのは本当のようだ。二人からは親し気な雰囲気が伝わってきた。
「やぁ、高原君、待ってたよ。窓際の席にしといたけど、それで良かった?」
「はい。それと、今回は契約もありがとうございました。今日はその礼も兼ねて来てみました」
「いやいや、こっちこそありがとね。――あれ?確か二人って言ってなかったっけ」
マスターの訝し気な声が聞こえた。彼が今いる場所からは、高原の背後にいる私の姿は見えていないらしい。
「はい、二人でいいんです。俺と……」
高原は自分の肩越しに振り返って私を見た。
「早瀬さん」
高原に名前を呼ばれて、私は彼の背中の陰からおずおずと顔を出した。なんだか照れ臭かった。
私を見ると、マスターは驚いたように目を見張った。
「あれっ、佳奈ちゃんっ!えっ、何?どういうこと?」
マスターは、私のことも高原のことも、両方を知っているわけだ。「それでも」なのか、「だからこそ」なのかは分からないが、そんな私たち二人の組み合わせは相当意外だったらしい。
私はマスターに向かって複雑な笑顔を見せながら、簡単に説明する。
「えぇと……今、仕事でお世話になっているんです、こちらの高原さんから」
マスターは私と高原の顔をしばらく交互に見ていたが、何を納得したのかしみじみと言う。
「へぇぇ……そうなんだ……。そう言えば佳奈ちゃんは、そういう関係の会社で働いているんだったね。ほぉ、しかし高原君とねぇ……。まぁ、まずは座って座って!」
「は、はぁ」
ぐいぐいと背中を押す勢いで、マスターは嬉しそうに私たちを席へ案内した。
私はマスターの浮足立って見える様子を不思議に思った。そしてさらにもう一つ、気になったことがあった。マスターが私を親し気に呼んだ時、高原はなぜそのことに触れなかったのか、ということだ。
高原は以前からこの店に来ていると言った。もしかしたらそれは、実は私が気づいていなかっただけで、私たちはすでに会っていた可能性もあるということだ。だから高原は、マスターが私を「佳奈ちゃん」と呼んでいたことを知っていて、黙って聞き流したのではないのか――。そう考えて、私はアルバイト時代にまでさかのぼって、記憶を辿ってみた。しかし、思い当たるような人物は浮かんでこなかった。
眉間にしわを寄せながら考えていると、高原が私を呼んだ。
「早瀬さん?」
私は我に返って彼の顔を見返した。
「は、はい。なんでしょうか」
高原は私にメニューを見せながら訊ねた。
「何、飲む?」
「では……高原さんと同じものを」
「俺は今日はドライバーだから、ノンアルだよ」
「え?代行とか使えばいいのでは?」
目を瞬かせる私に、高原は笑みを浮かべながら首を振った。
「帰りは早瀬さんを送って行きたいから、今夜は飲まない。でも君は、飲みたい気分なんじゃないのか?俺のことは気にせずに、なんでも好きなのを頼んだらいい」
「飲みたい気分、って……。どうしてそう思うんですか?それに私はタクシーで帰りますから、お気遣いはいりません」
高原は少し考える素振りを見せてから、からかうような目つきで私を見た。
「最初の質問の答え。今日の早瀬さんは、今まで知らんぷりしてた俺の電話にうっかり出てしまうくらい、気持ちが穏やかじゃなかったのかな、と思った」
私は彼から目を逸らした。確かにある意味当たっている。彼の言う通り、そういう気分ではあった。今はそれ以上、追求しないでほしいと思う。
「二つ目。俺が送っていくから、タクシーはいらない。以上」
「……時々強引ですよね、高原さんって」
私は苦笑した。けれど心の中では、彼から確かに伝わってくる私への気持ちを嬉しく思っていた。そのことを顔に出したりはしないけれど。
「ということで、もう勝手に注文するぞ。マスター、注文お願いします」
待ってましたとばかりに、マスターがにこにこと満面の笑みを浮かべてやって来た。
「俺はウーロン茶、彼女にはレモンサワー。料理は軽め。あとはお任せってことでお願いします」
「了解!」
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