防空壕の跡 参
「さて、どこで寝ようかな」
俺のひとり言は、変に赤い夜空に吸い込まれていった。
街灯の明かりに照らされた道をぶらぶらと歩き、小さな公園の角を曲がって住宅街の外れに向かう。
ここから十分ほど歩いたところに、小さな裏山があった。このあたりの住民たちからは『山』と呼ばれているけれど、どちらかと言えば『丘』という感じの低さだ。
なんとなく、ひと気のないところがいいな、と思い、俺は裏山のほうに足を向けた。
裏山のふもとは崖のようになっていて、岩肌が剥き出しになっている。その崖に、一ヶ所、ぽっかりと穴が空いてるところがあった。
「……ボークーゴー」
子供の頃、お母さんから聞いた。
『あれは防空壕っていって、戦争のときに、爆弾から逃げるために掘られたのよ。兵隊さんの幽霊がいっぱい出るから、絶対に入っちゃだめよ』
幼かったから、幽霊と聞いて縮み上がってしまって、ここには近づかないようにしていたっけ。今思えば、この中で子供が遊んだらしないように、このあたりの大人たちはみんなそう言うんだろう。
俺ももう中学生だし、幽霊なんかいないともちろん分かっている。防空壕はたしかに不気味だけれど、背に腹は代えられない、というやつだ。
俺はひとつ深呼吸をにて、防空壕に一歩一歩と近づいた。
住宅街の夜は、街灯もあるし、家々の明かりもあるし、それほど暗くない。でも、崖の裾にぽっかりと空いた穴の向かうにはどんな明かりも届かず、本当に真っ暗だった。ほんものの暗闇、という言葉が頭をよぎった。
どんなに目を凝らしても、そこには何にも見えないのだ。
高鳴る鼓動を意識的に無視して、私は防空壕よ前に立った。入口から一歩踏み込んだところに何があるのか見えないくらい、まったく奥行きもわからないくらい、真の闇。
ぞく、と全身の肌が粟立った。
でも俺は、臆しそうになる自分の心を鼓舞して、中に足を踏み入れる。だって、誰にも見られずにひと晩しのげるところなんて、ここくらいしか知らない。
中に入った瞬間、俺の視界は完全に闇に奪われた。足がすくんで、それ以上進めない。
恐怖心を振り払うように、俺は乱暴な仕草で足許にカバンを落として、その上に座った。
足許から、ひやりとした冷気が上がってくる。夏だなんて信じられないほどだ。今はまだ初夏だから、たしかに夜はひんやりと肌寒い日あるけれど、それにしても、ここまで寒いなんて。昼間も陽に当たらないからだろうか。
それとも、本当に……いや、そんなはずはない。ありえない。
自分の考えでまた背中が寒くなるのを無視して、俺はカバンの中から体育用のジャージを取り出した。春からずっと学校に置きっぱなしにしていて、たまたま今日、そろそろ持って帰ろうかと思ってカバンに入れていたのだ。まさか野宿する羽目になるとは思っても見なかったけれど、ラッキーだった。
これで凍死しなくてすむ。
俺はジャージの上下を着て、冷たい土の上に寝転がった。
奥のほうは真っ暗な闇で、何も見えない。
そこに何があるのか、何がいるのか、まったく分からない。
俺は奥を見ないように入り口に顔を向けて、ゆっくりと目を閉じた。
「……ん?」
地面に直に触れていた肌に、ちくりとした刺激を感じて、俺はふと目を覚ました。覚したはずなのに、何も見えない。
寝ぼけた頭で、おかしいな、と怪訝に思って身を起こすと、周りは漆黒の闇だった。
ずいぶん寝たような気がするけれど、まだ夜なのか。
そう思ったとき、地面についた手のひらがやけにざらざらすることに気づいた。何度か確かめるように触れてみて、どうやら砂利が敷き詰められているらしいと理解する。ゆうべは湿った土の地面だと思ったんだけど、勘違いだったかな……。
何気なく暗闇の中で首を巡らせると、ふとあることに気がついた。真っ暗闇の中に、ひと筋の細い光が差し込んでいるのだ。
不思議に思って、俺はそちらに向かって進んでいく。近づいてみると、どうやら板戸のようなものの隙間から陽が射しているのだと分かった。
昨日は入口に扉なんてなかったはず。いつの間に、誰が取り付けたんだろう?
もしかして……閉じ込められた?
自分の考えに心臓が跳ねて、急に恐ろしさを感じた。慌てて戸を押してみる。
「なんだ……開くじゃん。びっくりした……」
呆気なく空いたので安堵の息を洩らして、私は板戸を全開にした。
その瞬間、外の熱気がぶわっと流れ込んでくる。
「あっつ…… 」
俺は着ていたジャージを脱ぎ、カバンの中に押し込んだ。
さて、どうしようかな。家には帰りたくないし、とりあえず学校に直行するか……。
でも、お風呂に入りたい。
ていうか、今何時なんだろう。
お母さんが朝のパートに出ている時間なら、こっそりアパートに帰ってシャワーだけでも浴びよう。
そう思って、時間確かめるためにスマホを取り出した。
「……え?圏外?」
驚いて場所を移動する。
でも、防空壕から離れてもいっこうにアンテナは立たない。念のために再起動してみたけれど、やっぱりだめだった。
わけが分からず途方に暮れて、俺はスマホをしまって顔を上げた。その途端。
「……え?」
目の前に広がる風景を見て、目が点になる。
「……なんで、なんにもないの?」
自分の目を疑いながら、俺はあたりを歩き回る。
ーあるはずのものが、何ひとつない。
家もアパートもマンションも、電信柱も電線も、道路も信号も歩道橋も、公園も学校も交番も。何もかも、なくなっている。
その代わり、そこにあるのは、ただ一面の
だだっ広い野原。
「……なんで?どういうこと?」
俺は野原のど真ん中に呆然と立ちつくした。
ひと晩にして、街が消えた?
そんなわけない……。
無意識のうちにゆっくりと歩き出す。
とにかく、この現状を理解させてくれる何かを見つけない、という一心で。
しばらく歩くと、少しずつ人間の気配を感じる景色になってきた。
それでも、やっぱり何かがおかしい。
訝しく思って考えを巡らせた結果、その理由に思い当たった。
建ち並ぶ家も、電柱も、看板や柵も、全部が見慣れない木造のものなのだ。だから、町全体が薄汚れた茶色に沈んで見える。
どう考えてもても、これは俺が住んでいる街ではない。何が何だか分からないまま、俺はよろよろと歩き続けた。
何か、なんでもいいから、自分の知っているものを見つけたい。そればかりを考えながら歩いて、歩いて、歩いて、そのうちふいに、急激な喉の渇きを覚えた。
そういえば、昨日の夕方に学校を出てから、一滴の水分もとっていない。
しかも、この炎天下。容赦なく照りつける陽射しは肌に痛いほどで、少し歩いただけで全身から汗がだらだらと吹き出してきた。
頭がぼうっとしてくる。
とりあえず、何か飲まないと……と焦りはじめた。幸い、財布はちゃんと持って来ているから、買い物はできる。そう思って、あたりを見回したけれど、自動販売機もコンビニも見当たらなかった。
ーヤバい、暑い。
だんだん頭が痛くなってきた。
胸のあたりが変に気持ち悪くて、吐きそうだ。俺は口許を押さえて道端にへなへなと座り込んだ。
暑くて暑くて、息が苦しいくらい。
このままじゃ死んじゃう……。
靄がかかったような頭の片隅に死がちらついた。
思えば、つまらない人生だった。
楽しいことなんか、何にもなかった気がする。未来に希望もなんにもない。
ああ、そう考えたら、俺なんか死んだって構わないか……。
お母さんだって、こんな出来損ないで反抗ばっかりの息子が消えてくれたら、自分のために生きて行けるだろう。
そんなことを考えながら膝の間に顔をうずめていると、突然、
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