町に出てしばらく。焼き菓子や小さな飾りのついた首飾りをプレゼントした。
「ありがとう…おねぇちゃん……」
「ふふ、どういたしまして!」
それから日が沈み始めて、帰り道である森の中をあの子と手を繋いで歩いていたとき、向かいから歩いてきた男がぶつかってきて私は盛大に尻餅をついてしまった。
手を繋いでいたあの子も揃って地面に膝をつく。
「…おうおう、あぶねーなァ?」
お嬢ちゃんがみっともない、と馬鹿にするように笑われことが頭にきて、あの子が止めるのも無視して声を荒らげてしまった。
「貴方がぶつかってきたんでしょう!?」
「お、おねぇちゃ…」
さっきまでの幸せな気持ちを台無しにされたことがただただ不快で、相手が荒くれ者であることはわかっていながらも喧嘩を売ってしまった。
「失礼だわ!あやまって!」
私が怒っているのもバカらしく見えているのか、男達の笑いはますます盛り上がった。
急に大柄な男の後ろにいた男の一人が、ヒソヒソとなにか耳打ちをした。
「あー、はいはい…オキゾクサマってのは面倒なやつばっかだな……ところで嬢ちゃん」
「な、なによ…!」
「オレらは嬢ちゃんに用はねぇんだよ」
男は腰からぶら下げた短刀を取り出して、その切先を私の隣で困った表情を浮かべるあの子へと向けた。
「用があんのはソッチのボクちゃんだ」
「……?」
この男達は人攫いだったらしい。
美しい弟を狙ってわざとぶつかってきたのだと思った。
ギラリと光る切先を向けられてもぽかんとしている鈍感な弟を抱きしめて、渡す気がないことを証明する。
「あーあ、優しいオネーチャンだなァ?」
「父さんと母さんが知ったら…!」
「そのパパとママからお願いされてんだ」
「父さんと、母さんが…!?なんで…!!」
「嬢ちゃん、この世には金を払ってまで子供を捨てたがるクソ野郎ってのがいるんだぜ」
哀れみの色を含んだ瞳が近付いてきて、私の腕を掴んだ。
すごい力で掴み上げられて、あの子を抱きしめていた手はするりと解けてしまった。
お互いが伸ばした手があと少しのところですり抜けて離れてしまう。
「いやっ、離して!私の弟なの!返して!」
男達に取り囲まれて見えなくなってしまったあの子に手を伸ばして叫ぶ。
大柄な男に担がれて、必死に手足をばたつかせて抵抗していたら、男の不愉快そうな声が耳に届いた。
「弟、弟って…嬢ちゃん、あのボクちゃんの名前も知らないのか?なら赤の他人と一緒だろ、黙ってろ」
顔も知らない人攫いの言葉に頭が真っ白になった。
私は私の名前を知っている。
でも、あの子の名前は知らない。
だって誰もあの子を名前で呼ばないから。
だって誰もあの子と話したがらないから。
呆然とした私を見て、ふっと目を逸らした男は、未だ動かないでいる男達をみて溜息を吐いた。
「…ハァ…おい、さっさとしろ」
「ゴプッ」
口の中に溜まった水を吐き出してしまったかのような音に、地面に水をこぼした時のビシャビシャという音が重なった。
「…?おい、どうした…おい!」
「きゃあっ!?」
突然地面に転がされた痛みに耐えながら顔を上げる。
「おねぇちゃん、大丈夫…?」
真っ赤な血の海と、死体の山の真ん中に…あの子が立っていた。
血を浴びてもなお色褪せることのない美しさが、余計に怖く感じた。
「……おねぇちゃん…?」
「ひっ…!」
パシャパシャと赤い海と冷たい肉体の陸を超えてあの子が近付いてくる。
あの大柄な男はいつのまにか体が二つになっていた。
胃の奥から込み上げた不快感をそのまま吐き出す。
戸惑ったあの子の声が聞こえたけど、それすらも恐怖の対象だった。
あの子が、人を殺した。
その事実だけが頭の中をぐるぐると回り続けている。
「おねぇ…」
「こっ、こないで……」
伸ばされた手を強く叩いた。
手の甲に付着した血液がなんだか汚いものに思えて、服の袖で何度もゴシゴシと擦った。
「……ぇ…?」
絶望するような声が聞こえて、全身から血の気が引いた。
「ぁ、ちが…違うの……ぁ、う…」
形だけで意味のない否定の言葉。
怯えた瞳と嫌悪の視線。
あの子が私に見切りをつけるのに、充分すぎる条件が揃っていた。
「〜っ」
立ち尽くすあの子を一人森の中へ置いて私は屋敷まで走った。
一度だけ振り返ると、俯いたまま自分の両手を見つめるあの子が見えた。
「ふっ、ゔ…ぁぁあああ…!!」
声をあげて泣いた。
あの子がとても怖かった。
それと同じくらい、私が大嫌いになった。
あの子が初めて笑ったのも、初めて悲しんだのも、私が初めてのことだった。
私はあの子を貶めた。
自分の都合のいいように可愛がって、牙を向くことを知ったら怯えて逃げた。
「あやまらないっ、と…」
真っ赤になった瞼を擦り、独りぼっちにしてしまったあの子の元へ走った。
「やめて!とぉさっ、痛いっ!!」
「黙れ!!姿を現したな凶悪な魔女め!!」
「今すぐ地下へ繋ぎましょう!然るべき手段で殺さないと…!!」
初めて聞いた怒鳴り声と、初めて聞いた誰かの悲痛な叫び声。
迷いなく進んでいた足が、ピタリと止まった。
「い、やだっ…たすけて、たすけておねぇちゃん!おねぇちゃん!!」
あの子の瞳が真っ直ぐにこちらを見ていた。
あんな酷い裏切り方をしたのに、あの子はまだ私のことを信じようとしている。
でも…
「何しにきたの、早く家に帰りなさい 」
「父さん達はワルモノ退治で忙しいんだ」
私を睨みつける両親の瞳が、私に“帰れ”と促していた。
カラカラに乾いた喉からは情けない声しか出てこないし、いつかの想像の時みたく“私の自慢の弟よ”と間に入ることすら出来なかった。
あの子の悲鳴と両親の怒号を前に、私は何も出来ずにその様子をただ傍観していた。
私は、あの子を二度も裏切った。
コメント
2件
子供が人の死体とか見たら怖くなるよなぁ………、みどりくんはこの後どうなるのか……。